第62話 今更ゴブリン
フロンチェカに着て、三日目の朝。
空は雨が降りそうな曇り空で、風も強い。生憎の天気だったが、街の住人には活気があった。
森へは狩人が赴き、港では船に荷が運ばれる。それぞれに仕事を励み、厳しい環境にも負けていない。
ここに馴染むには、僕達も懸命に働かなければならない。
商売はまだ一旦休み。
ギャロルは他の商人相手に情報収集。
アブレイムは早速子供達を集めて学びと遊びの場を開いていた。
教会の教えはもとより、文化や歴史も異なる。とはいえ人間関係や日常生活に役立つ教えは通じる。旅や森歩きの知識も豊富。加えて思いっきり遊ぶ機会もあって、なかなかに人気のようだった。
僕は僕で宿の庭を借りて様々な品物の作製作業をしていた。
薬が人気なので特に多く。紙や絵の具も作っているので、その様子をワコがじっと見ている。酒はベルノウに劣るが、需要はある。
工房魔術をフルに活用。カモミールにも手伝ってもらった。
シャロとサルビアも次の公演の準備で近くにいる。
ローナとグタンも森での狩猟について話している。フロンチェカの人々の取り分、生態系、それらのバランスを崩さない適切な量が求められるからだ。
僕達はそれぞれに賑やかに忙しくしていた。のだが、突如用が舞い込んだ。
「ゴブリンの被害が多いので討伐してほしいそうだ」
情報収集から帰ってきたギャロルが淡々と告げた。言い様からすると、相談ではなく既に確定事項のようだ。なにか取引済みなのかもしれない。
街へ馴染むにあたり、困り事を解決するのはやぶさかではない。
僕は納得したが、シャロは首を傾げて尋ねる。
「えー? そんな初級クエストみたいなの誰でも出来るんじゃないの?」
「簡単だと思っているのか? ゴブリンは厄介な相手だぞ」
ギャロルは呆れの表情で否定した。
僕も同意見。シャロはどうやら演劇等が由来か、間違ったイメージがあるようだ。
ゴブリン。
深い森や洞窟に住む妖精の一種である。
知能が高く、悪戯好き。時には人や家畜を襲う。人に好意的な場合もあるにはあるが、基本的に悪意を持つ怪物の類だ。
だがこの危険だという説明にも、カモミールは喜びを見せた。
「妖精? じゃあ、わたしやおかあさんと仲間?」
「む、いや。近いは近いが、仲間とは言い難い」
期待する表情が眩しくて、僕は眉根を寄せて悩む。あまり落胆させたくなかった。
ローナのような妖精もゴブリンも、同じく肉体を持つ精霊の一種。
異なるのは基になった精霊の種類だ。
妖精は明るさや温かさを好む、光に属する精霊。
対してゴブリンは暗さや冷たさを好む、闇に属する精霊。
光と闇、だけでは善悪とは言い難い。
とはいえ、精霊の力は感情に左右される。光には善意が、闇には悪意が集まりやすい傾向にあるのは確かだ。
そう、カモミールには純粋な善性が宿りやすい性質を持っている。現に今も、退治を否定する。
「仲間なら話が通じるかもしれないよね。なら退治しなくてもいいかも」
「それは、止めた方が」
「確かにその通りだ。偉いぞカモミール」
僕は否定しかけたところで、ローナがカモミールの頭を優しく撫でた。柔らかな肯定。
気持ちが分かるので心苦しいが、僕としては苦言を呈するしかない。
「ゴブリンには話が通じないのが通説。妖精だからといって、安易にはいかない。危険性は高い」
「まあ、アタシらがついてんだ。駄目ならフォローしてやればいい」
「その警戒心に感謝する。だが、カモミールの気持ちを優先したい」
グタンにまで言われては、引き下がるしかない。
ただ、二人もきちんと危険を承知している。
大人が、希望を持って交渉に臨むカモミールを助けよう。
荒事がなく解決出来れば、それが一番なのは確かなのだから。
準備を整え、森へ。
ゴブリン退治の面子は僕、カモミール、ローナ、グタン、ワコ。
シャロ達四人は街で引き続き商売や公演等に励むようだ。そちらも重要な仕事だ。安心して任せられる。
森をずんずんと先導するワコ。表情は乏しいが、やる気が感じられた。
僕は歩きながら尋ねる。
「この辺りではゴブリンの被害は多いのか?」
「多い。大変」
ワコが淡々と語ったところによれば、昔からの難題らしかった。
外壁を壊そうとしているところを発見したのも何度か。
他にも森の中で休憩しているとこっそり荷物を盗まれたり、落とし穴を掘られたり、道に獣の糞をぶちまけられたり。
細かいところまで言えば切りがない。
定期的に退治しており、巣ごと全滅させた事も何度かあるが、被害はなくならないのだとか。
退治には、ゴブリンの狡猾さを上回る圧倒的な力が必要だ。
だから奥地の強力な生物を倒したという噂は広まっている僕達が頼まれたのだろう。
とりあえず今回新たに被害があった場所に着いた。
穏やかな川岸。
ここから商船が襲われたのだ。石や棍棒を投げ、乗り込まれ直接襲撃までされた。なんとか追い返したものの、船と積み荷の損傷や乗組員の怪我、被害は避けられなかった。
足跡。毛。痕跡はあれど、ゴブリンそのものの姿はない。追うにも途中で痕跡は消されていた。
追跡するには手がかりが薄い。
シャロがいれば耳で探す事も出来たのだが、危険なので留守番してもらっている。
だから、ローナが頼りだ。
「仕方ない。頼む」
「おう。
力強い精霊魔法。森に優秀な斥候が放たれる。
特に気配の察知は得意分野だろう。のんびりと待てばいい。ワコも水辺は得意分野だと、精霊魔法を使ってくれている。
この間に、遭遇する前の備えとしてカモミールへゴブリンの解説をしておく。その途中に結果が出た。
「よし、あっちの方に巣穴があるってよ」
ローナの先導に従い、森を歩く。
やはりローナのおかげか、危険な獣や虫は現れない。狩猟が目的なら困るが、ゴブリン退治が目的なのだから問題ない。
ワコが出番なく、不満そうだ。心配なのは分かるが、しっかり報酬は出すから安心してほしい。
緊張感を持ちつつ順調に進んでいた。
だが、ゴブリンも手を打っていた。
僕達の前に、凶暴な獣が現れる。
濃緑の毛皮の狼。しかも様子がおかしい。
目は血走り、口から尋常でない量のよだれが垂れていた。獣の本能ではなく、狂った理の下で動いているのは明らかだ。
しかも正面だけでなく、周辺、木々の奥から他にも多くの気配があった。
ローナが顔をしかめて呟く。
「こりゃ、飼われてんな」
「ああ。この面子で正解だった」
ゴブリンが獣を従える。それは北方でも確認されていた。知能が高い上に、魔法も用いた調教だ。
妖精の一種なのだから、ゴブリンも当然優秀な魔法の使い手である。
初めからローナに頼らなかったのは、逆に察知される恐れがあったからだ。
下生えを蹴る音が鳴った。
一斉に飛びかかってくる狼。
牙を剥き、凶猛な迫力を持っての襲撃。人の命を容易く食い千切る魔獣の攻勢だった。
だがこちらは誰一人動じていない。
それぞれに構え、落ち着いて迎撃していく。
グタンが突進の勢いを上回る剛腕で豪快に薙ぎ払う。
ローナが姿も見えない獣を風で空高くへと巻き上げる。
カモミールも正面からの疾風で追い散らす。
ワコも水の塊を叩きつける精霊魔法で応戦。
僕は“
危なげなく群れは撃退。あっという間に静かな森へと戻る。
僕達の敵ではなかった。
それが分かったゴブリンは、次にどんな手を打ってくるか。
「さあて、次が本命か?」
「この隙に逃げているかもしれない」
「警戒は厳にしなければな」
「待って、来るよ!」
早速数々の足音。歩幅からして小柄。間違いなくゴブリンだ。
警戒し、それぞれにまた戦闘へ備える。
そして予想通りに、ゴブリンの群れがやってきた。
だがその様子は予想と大きく違っていた。
手には果物や布の袋。武器はない。敵意や戦闘寸前の雰囲気もない。
しかも群れの全てが地面に体を投げ出し、僕達に向かってひれ伏した。
見る限り降伏のようだが、普通は考えられない。
戸惑いつつ、皆で相談する。
「力の差から勝てないと判断したのか?」
「んん? そんな事あるかぁ?」
「確かに知性ある存在だが……」
僕達は疑う。そうせざるを得ない。
鳴き声も悲痛で、命乞いをしているようだ。確かに無碍にするのは忍びない。怪しみつつ、渋い顔で観察。
反対に、カモミールは希望を見つけて明るくなった。
「ほら、分かってくれるみたいだよ!?」
「いや待つんだ。信用するのは早い」
ゴブリンには明確に悪意があり、悪戯程度ならいいが殺傷してくる場合もある。
人間を騙すのもお手の物だ。
そうは言ってもカモミールは真っ直ぐに信じている様子。
「皆を全部守る。それが聖女なんでしょ?」
「それは、そうだが……」
難しい判断を迫られた。
この気持ちこそが聖女だが、聖女を危険に晒すのは躊躇われる。
「
迷う僕を尻目に、ローナが精霊へ指示。
精霊がカモミールの周りに集まった。ひとまずは安心だ。
一つ頷けば、カモミールはパッと笑った。
それからゴブリンに近寄ってしゃがみ、語りかける。
「もう人を襲ったりしちゃ駄目だよ。約束できる?」
微笑みかけ、手を差し出した。
ゴブリン達は揃って顔を上げ、先頭の一匹が話すような姿勢になった。
本当に友好的なんだろうか。
注意して見ていると、ゴブリンからも手を伸ばした。
握手。友好の動作。
両者はしっかりと固く握り上下に振る。笑うように口角を上げる。
奇跡が起こった。
僕は言い知れぬ感情でその光景を見ていた。
だが。
「え?」
ゴブリンは急に手を引っ張った。動揺するカモミール。
態勢を崩し、一歩踏み出す。
そこに、穴が開いた。
罠。落とし穴。
精霊が彼女を浮かせたが、間に合わなかった。
穴の中には、こちらまで届く匂い。獣の糞が詰まっていた。
悪意が、踏み込んだ足先を汚した。
「あ、わ……」
カモミールは自分の身体を見下ろす。
汚れた服。汚れた肌。汚された信頼。
そこに、森中に響くような大勢の声。
ゴブリン達はその姿を見て、嘲笑っていた。手を叩き、指を差し、腹を抱え、人間のように。悪意。知性があるという事の悪い面だ。
カモミールは呆けたように見ていたが、やがて表情が歪み、みるみる瞳が潤んできて。
「う、うぅ〜……」
遂には、泣いた。
懸命に堪えようとして、しかし堪えきれずに大粒の涙を流す。
ゴブリン達は増々盛りあがった。見下し、侮辱し、嘲笑の的にする。
今まで恐ろしい戦いにも果敢に挑んできた。そんなカモミールが、泣いた。
戦闘の負傷よりも、辛い訳ではないだろうが。
仲良くなれそうだったという期待を裏切られたからか。敵意や殺意ではなく、悪意だから。命ではなく、精神面を害されたからか。
不思議な程長い間。僕は固まって考えていた。解析や分析は性分だが、それにしても不自然だと、後から気付く。
それはきっと、恐ろしい気配を感じていたからだ。
ローナだ。
幽鬼のようにゴブリンの群れを睨んでいた。
が、不意に恐ろしい気配を消すと、慌てて娘に近寄る。
「カモミール! すぐ綺麗にしてやるから、な?」
「うん……」
魔法でカモミールを持ち上げ、一目散に飛んでいく。
僕とグタン、ワコは動けなかった。冷や汗が冷たい。体が自然に震える。
いつの間にかゴブリンは逃げていたが、追うという考えも出来なかった。
長い、長い時間、僕達はただ硬直している事しか出来なかった。
なのにローナはあっという間に戻ってきたと感じた。
そして彼女は、真冬より尚冷えた声で告げる。
「オマエら、あの糞野郎共絶滅させんぞ」
たった一人の感情が、魔力を乱し森を揺るがす。
可憐な妖精に似つかわしくない、憤怒の激情。怪物か、それと対峙する決死の勇者のような。明確な殺意が放たれていた。
破滅の未来が見えるようで、僕は身震いする。
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