第61話 同類とお喋り

「ははは! 最高の研究日和だな!」


 フロンチェカ到着から一夜明けたこの日は、熱気に満ちていた。

 空は快晴。暑い気温。熱を冷ます風は吹かない。

 まるで僕の心境を表すかのような天候だ。


 僕は非常にワクワクしていた。胸の昂りが全く抑えられない程に。

 何故なら、南方の生物を研究している人物と今から会うからだ。

 ずっとこの機会を待ち望んでいた。否が応でも期待が膨らむというもの。


 興奮する僕を流石に見かねたか、グタンが肩に手を乗せて忠告する。


「ペルクス、落ち着きなさい。そのままでは失礼をしでかす」

「いや分かってはいるのだが、抑えられなくてな」

「……いざとなれば力尽くで止める」

「是非に頼む」


 確かに熱くなり過ぎていると自覚したので同意したが、グタンには呆れを含む視線を向けられた。

 落ち着く事を期待していたのだろうが、抑えられない以上仕方ないのだ。


 街の端、防壁のすぐ傍に建つ一軒の立派な建物。

 ここに、わざわざ都から移り住んできたという学者が住んでいる。

 利便性より研究環境を求めてきた、僕や師匠の同類がだ。


 他の皆は市場や食堂、街の人々の様子を肌に感じ、彼らの生活を体験している。子供達の面倒を見たり、あるいは森へ入って狩猟したり。それぞれがこの街に馴染み、役立ち、友好を結ぶ為に動いていた。


 ならば僕の役割は知見を深める事だ。それが両者の橋渡しに繋がると信じている。

 グタンが同行しているのは、好奇心に負けてまた暴走しそうだと言われたからだ。つまり監視役。いまいち信用がなかったのだ。

 皆は僕の事をよく理解している。


 出来得る限り、最低限の礼儀を整え、勢いよく室内へ入った。


「貴方の知識を是非お教え願いたい!」


 扉の向こうは価値ある物で溢れていた。

 まず本棚。領主であるバントゥスの屋敷でも見られなかった本の量に圧倒される。

 地図や解剖図、本以外の資料も壁を埋め尽くす。

 床には幾つかの魔法陣が彫られていた。一見したところ、どれも何かしらの値を測定するもののようだ。

 横を見れば隣室への扉があるが、しまいきれない箱で扉は開きっぱなしに固定されていた。

 研究に関する物が揃い、逆に生活感は皆無。

 正に研究者の縄張り。かつて住んでいた僕の研究所もこんな感じだったと、懐かしさすらあった。


 そして机に齧りつくようにして、紙に何かを書いている人物が一人。不機嫌を隠そうともしない獣人の男性。

 彼こそが件の研究者、レオンルークであろう。


「チッ」


 が、返事は舌打ち。

 こちらには微塵も興味がないと言わんばかりに吐き捨てる。


「忙しい。帰れ」


 事前に領主バントゥスから聞いていた通りだ。

 気難しく、己の利になるものにしか興味を示さない。

 有力貴族の跡継ぎだったが、政治等煩わしい、と自らその地位を打ち捨ててきたらしい。自らの知恵と研究成果にこそプライドがあるのだという。


 それならそれでとるべき手段はある。


「まあ、待つんだ。こちらは間違いなく貴方の興味を引くものを持っている。見てくれないか。あらゆる研究は、まず観察から始まるものだろう?」


 机の前まで近寄り、挑発するような声色で言った。


 その言葉に、彼はやっと顔を上げる。

 レオンルークと目が合う。

 得た印象は寝不足、不健康。獣人の耳も力なく、毛並みも手入れされていない。食事と睡眠を削り、気力で動いているよう。

 危うげな雰囲気が漂っていた。


 そして彼からも僕達は観察されている。

 見定める目。

 無遠慮な目。

 情報を得る為の目だ。

 やがてレオンルークは僕達の正体に気付いて、態度を変えた。


「あ……? 待てお前らまさか北からの客人か」

「いかにも!」

「なら話は別だ!」


 レオンルークは直ぐ様立ち上がり、興奮気味に身を乗り出す。


「興味を引く物ってなんだ! そぅら出しやがれ!」

「ははは。いいとも。早速お出ししよう!」


 僕達二人は上機嫌で向かい合う。この好奇心への素直さ、共感しかない。

 肩をすくめたグタンが目の端で見えたが、まあ他人に理解されないだろうと自覚はある。


 早速本題へ。やはり形ある物があれば早い。

 荷物から大きな鱗を差し出す。


「出し惜しみはしない。これが何が分かるか?」

「んん? お、まさかそりゃあ……」


 驚き、そわそわと浮き立つレオンルーク。耳や尻尾が景気良く動いている。

 やはり見ただけで勘付くか、と心の内で称賛を送る。

 彼は床の魔法陣を発動させた。

 僕達の分析アナライズとは異なるが、効果は似たようなものだろう。

 その結果を受け、レオンルークは快哉をあげる。


「っぱり、森奥魚王エルダーカンサス! 仕留めたってのかあの怪物を!」

「ほほう。そんな名だったのか」

「くっ……余裕な反応しやがって……!」


 出した鱗は、森の拠点近くの湖を支配していた大魚の物だ。予想通り、大物だけに大層な名があったようだ。

 レオンルークは非常に悔しげだ。歯を食いしばり、僕を嫉妬混じりに睨む。


 ただ、僕とて別に余裕ぶっている訳ではない。

 やはり名前には意味がある。

 僕が名付けるのと、自然に付けられた名前を扱うのでは、全然違う。

 文化に根ざした、自然に育まれた理解は、真理への理解も大いに深める。

 名前を知れて、本当に感心したのだ。


 それは向こうも理解してくれるとおもうのだが、構わず血気盛んな子供のように詰め寄られる。


「どう仕留めた? 詳しく聞かせろ!」

「生憎と僕はその場にいなくてな。グタン、頼めるか?」

「……む。ああ。承知した」


 一瞬の間に何を思われたかは聞かない方がいいだろう。

 快く応じてくれたグタンが語る。


 貴重な水場である湖を支配していた巨大な魚。異端者達、ひいては森の生き物全ての脅威。

 それを、ローナは突撃一つで撃破した。

 激戦ではない。

 たった一文で終わる一方的な狩りだ。


 聞き終えたレオンルークはポカンとしていた。


「なんだそりゃあ? 確認だが妖精ってのは花畑の妖精フェアリーだな?」

「ああ」

「なら、んなふざけた攻撃が出来るなんざ聞いた事ねえ」

「ローナだからな」

「なんだそりゃ」


 納得してくれないが、こちらとしてもそれ以上の説明は厳しい。

 強者だから。それで納得してくれないだろうか。してくれないだろう。


 なので逃げるように話題を変える。


「それより、だ。他にも見て欲しい物はまだまだある」


 今までに遭遇してきた様々な動植物のサンプルを取り出した。多くの獲物は加工場に引き渡したが、特に貴重そうな物は別にしておいたのだ。

 輝く瞳。

 輝く魔法陣。

 レオンルークは子供のように喜ぶ。


百将蜘蛛ジェネラルダイス! 迷灯花メイズラシア! うおお……流石に奥地から来ただけはあんじゃねえか! いいか、こいつらはな──!」


 興奮し、魔法による解析と僕達への説明を同時進行。早口でまくし立ててくる。

 僕は興味深く傾聴。聞き逃さず糧にしようと集中する。


「それらの利用価値が高いのなら、また集めてこよう」

「……正気か。いやコレはまぐれ勝ちじゃねえ。なら可能って訳か」

「ああ」

「強いってのは羨ましいねえ」


 引きつった笑い。己にないものを求める欲が見え隠れする。


 そして各種動植物の名前や生態から、活用方法を教わった。

 特に有用な物はリストアップし、優先的に狩猟採集の目的物とする。新たな取引対象だ。

 時期や数等も含め、今後の計画を纏める。


 かなり長く話したところで、一時休憩。手土産の果物類で喉を潤す。

 レオンルークは一息つくと、物欲しそうな表情で見てくる。


「……と、それより、だ。いい加減北の話も聞かせろよ」

「ならばこちらも竜人の話が聞きたい」

「ん? ああ、そっちにゃいねえのか。島からは遠過ぎたか。いいぜ。そっちの話が先だがな」


 要求の口調は強い。全く譲る気はなさそうだ。


 僕達は南方の生物についての知識を多く受け取った。

 確かに今度はこちらが渡す番だ。

 それに、ある程度あちらが得する形にした方が、今後の付き合いを考えれば良い。


「何から知りたい」

「妖精がいたはずだな? 怪物殺しの妖精が」


 やはりローナが一番の興味の対象か。カモミールも十分興味を引くはずだが、あまり僕達については知らないのかもしれない。

 グタンに視線を向けると、頷きが返される。


「話だけで満足しないだろう? 解析した各種の情報も必要か?」

「ああ。それも勿論要る。だが」


 レオンルークは口元に狂気的な笑みを浮かべ、言う。


「羽を少しばかり切りとって提供してくれ」


 純粋な興味。研究への執着。

 この一直線な熱意には僕も覚えがある。

 が、当然頷けはしない。


 グタンもピクリと反応。表に出していないが、その感情は想像に難くない。

 僕は意識して冷静に努める。


「髪の毛や爪とは違う。易々と提供は出来ない」

「重要な器官なのは重々承知してる。だが、研究の発展には対価がつきもの。我慢してくれ」

「調査した情報なら提供する。実物がなければ何も出来ない訳ではないだろう」

「そっちこそ、無駄に傷付けずに切除する技量がないのか?」

「品のない挑発だな」

「そりゃ手段は選ばねえさ。探求の機会が転がってきたんだからな」

「確かに真理の探求こそ神より与えられた使命。だとしても探究より優先するものはあるはずだ」

「あ? 神の使命だ?」

「ああ。未だ人知の及ばぬ大いなる難題、感謝と祈りを捧げながら挑むべき使命だろう」

「はっ。感謝は実際に真理を解き明かし世の無知を正す俺にこそ向けられるべきだ」

「……僕とは根本の価値観が違うようだな」

「そうだ、俺は譲らない。把握したなら、そっちが折れるべきと理解するのが──」


 言葉の途中で、空気が急激に冷えた。

 緊張による錯覚。グタンからの威圧感が精神を凍えさせた。

 彼はその場から動かず、ただレオンルークを見据えて、口を開く。


「ローナとカモミールを害するようなら、自分は敵に回る」


 あくまで淡々と告げた。

 しかし言葉以上に雄弁なメッセージを備えていた。

 怒り。

 愛を阻む他者への敵意。

 それすらも、内に秘める感情の極一部なのは明らかだ。


 流石のレオンルークも熱が冷めた。

 酷く怯え、耳と尻尾は垂れ下がり、真っ青な顔で震えながら体を仰け反らせる。


「い、いいや。わ、わ分かった。諦める。諦めるとも。ああ、潔く引き下がろう!」

「……失礼。こちらこそ取り乱した」


 グタンは敵意を収め、紳士的に謝罪。残り香はあれど、すっかり威圧感は薄れていた。

 そして自ら代替案すら出す。


「代わりと言ってはなんだが、自分の話は幾らでもしよう。研究材料を提供してもいい。北方の獣人に興味はないだろうか」

「……あ、ああ! あるとも!」


 レオンルークは元気を取り戻して応えた。空元気なのは察せられたが、まあ言わぬが花だろう。

 今後も注意すべき点はあれど、彼との友好的な関係はなんとか維持出来るか。


 ただ……と思う。

 グタンもローナも強大な力の持ち主。力の差が、様々な面でも不均衡を生みかねない。

 敵意やすれ違いから対立すれば、危うい。

 いつか、取り返しの付かない溝をつくってしまうのではないか?


 僕は少し不安になっていた。

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