第56話 新参者のご挨拶
空は青く快晴。陽光が普段より近く、暑さが増した気がする。
眼下には森。密集する緑の中に一本の川が流れゆく。
進行方向にいた鳥は驚いて逃げていった。
大地が浮き、飛んでいる。目的が引っ越しであるのに、これだけ大袈裟な移動は過剰である。が、だからこそ気分が昂ぶる。
「ははははは! これは凄いな!」
僕は地面の縁から顔を出して下を覗き込む。
貴重な経験であるが故に、余さず学び取ろうと集中した。
こうも研究に専念出来るとは、神殿まで苦労した旅路も楽になったものである。
師匠とクグムスも同じように夢中になっている。
観察は研究の第一歩。基本中の基本だ。
そんな僕に、遠くからシャロが恐る恐る声をかけてくる。
「危なくなぁい? 度胸あるよね」
「それはそうだろう。度胸がなければ異端になどならない」
「まー、それはそうね」
「きひひ。アンタも見てみたらどうだい。音楽の参考になるんじゃないかい?」
「えぇ……いやそうかもだけど……」
師匠の言葉に尻込みしシャロは下がった。すっかり顔は青ざめている。
仕方ない。
他にもダッタレやベルノウの故郷、エイルータの人間等、興味ありそうな者はいても実際に縁ギリギリまでは来ない。危険を避けるのは当然だ。
逆にサルビアは全く興味なさげで、むしろおかしな遊びをする子供を見るような冷えた目だ。
ベルノウやアブレイムは普段と変わらず、人々へ手を尽くしていた。
ローナとカモミールの様子も見てみる。
強大な魔法を行使しているが消耗はしていない。
ただ、それが最後まで保つかは分からない。
移動のペースは確かに速い。
とはいえあの町までは一日がかりになるだろう。となれば疲労も溜まるはず。
いかに強者といえどサポートは必要だ。グタンが寄り添っているので精神的な助けになっているだろうが、万全を期したい。
と語ってみれば、そこで提案してきたのがシャロだ。
「え、じゃあオレが応援しようか?」
「ふむ。音楽による応援か。確かに効果的な助けになる」
「よし分かった。ねーえ、リクエストあるー?」
賑やかに駆け寄っていけば、ローナが答える。
「おう、ならアレだ。ロックとか言ったか? あの激しいヤツ」
「あー、でもアレ、カモちゃんが怖いって言ってたよ?」
「なに、そうなのか!?」
「う、うん。でもおかあさんが好きなら……」
「いやアタシが悪かった! ごめんなカモミール!」
申し訳なさそうにしたカモミールの頭へ即座に抱きつくローナ。すかさずグタンも混ざる。
そこに自然な流れで音楽が奏でられた。続いて歌。相変わらずの連携と調和が美しい。
愛の歌は正に今の光景に相応しかった。
豪快な空の旅はそのように過ぎていくのだった。
眼下に廃墟だった街が見える場所にまで着いた頃には、既に夕暮れ時だった。
高い場所から見ればまた格別な景色。多くの人が見惚れている。
が、残念な事に僕は仕事がある。
この大地を着陸させるにあたっては手順がいるのだ。
「僕が先に降りて下にいる人間に説明しよう。それからシャロを通して誘導だな」
「いや降りるってどうやって?」
「カモミールに頼みたい」
「分かった! 任せて」
元気に同意してくれたカモミールと僕で先行。
荷物を掴んで魔法の風に乗り、大地の縁から空へ身を踊らせる。妖精と羽なき僕が並び、遥か高みからの降下。
全身にかかる風の感覚が心地良い。
信頼があっても危険行為に変わりないが、度胸はあるのだ。純粋に貴重な経験を味わう。
そして、ふわりと着地。
草原に降り立てば、マラライアが難しい顔で待ち構えていた。
こうも目立つ登場では当然だ。後ろでは陸鮫達も上空を指差して騒いでいる。
動揺を無理に押し殺したような低い声で問われた。
「……ペルクス殿。アレは一体なんだ。流石に歓迎し難いぞ」
「驚かせて済まない。これは引っ越し作業だ」
「…………何を言っている?」
非常に強い困惑を返された。やはり僕としても納得せざるを得ない反応。
人が増えた為に受け入れられそうなここへ来たのだと、簡単に説明する。
「……また豪快な。しかし理解はした。迎え入れよう」
「感謝する」
正直、未だに困惑は残ってる様子だ。説明を聞いた上で「何故その手段を?」と言いたげ。
それでも一つ頷いて、マラライアは背後へ呼びかけてくれた。
「海賊共、草原に出ている者はいないか!? 全員揃っているか確認しろ!」
「全員いやすぜ!」
「よし、以降は近付くな!」
「へい!」
号令には打てば響く応答が返る。
問題なく、どころか完璧に陸鮫達を統率しているようだ。おかげで動きも早い。
早速僕は上へと合図を出す。
「安全は確認した。ゆっくり降ろしてくれ」
「わたしも手伝ってくる」
「ああ。気を付けてな」
「うん!」
カモミールは意気揚々と飛んでいく。
高度を保ち、魔法を扱う。親子の共同作業はやはり鮮やかだ。
ゆっくりと降りてくる大地。魔法陣が夕暮れの草原に輝いて、更に幻想的にする。
信じ難い、御伽噺のような光景。内心では興奮が抑えられない。
豪快なようでいて、緻密。繊細な魔法の制御がなされている。妖精というだけでなく、ローナ本人の資質と鍛錬も大きい。カモミールもかなりの腕ではあるが、母と比べれば発展途上。今後の成長が楽しみだ。
そうして見惚れている内に、滞りなく着陸。無事、誰にも被害なく終えられた。
「いよっし! 完了! カモミールもよくやったな!」
「うん!」
「ああ。頑張って偉いぞ。……それで、マラライアという方はどちらに?」
カモミールが僕の隣に降りてきて、大地から飛び出してきたグタンとローナと抱擁。喜びを分かち合う。
そして話は次の段階へ。
話し合うべくマラライアに向き合った。まずは手短に挨拶を済ませる。
「アタシがライフィローナ、こっちがグタン。娘達が世話になったし、これから世話になる。よろしく頼む」
「迷惑になるだろうが、お願いする」
「勿論。善良な人々を保護するのは騎士の勤めだ」
グタンと握手し、ローナとは手と指を打ち合わせた。
胸を張って請け負うマラライア。憎悪が収まれば彼女は優秀に仕事を果たしてくれる。町を任せて正解だった。
と、僕達は真面目な話を進めたいのだが、町の方からは囁きが聞こえてくる。
「マジか。本物の妖精だ」
「それよりライフィローナって言わなかったか!」
「まさかあの!?」
大きく騒ぎ出した陸鮫達を見て、ローナは怪訝な表情で問いかける。
「なんだオマエら、アタシを知ってんのか」
「そりゃ、アンタ暴虐妖精ライフィローナなんだろ!」
「ガキでも知ってる。悪さをするとライフィローナが来るぞ、ってよく言われたもんだ!」
散々な言われように苦笑する。
どうやら辺境地域にまでローナの勇名は広まっていたらしい。大分誇張され、恐れられているようだが。
当のローナは察して、上から彼らに凄む。
「なら話は早い。身内に手ぇ出したら、分かってるよな?」
「ハイィッ!」
綺麗に揃う返事。荒くれ者もあっという間に従えてしまった。
治安の問題を心配していたが、解決出来たと考えていいだろうか。
後は、もう一人。
「神官の下へ案内してくれるか」
「あの者か。何をするつもりだ?」
「ケジメはつけなくてはな」
あの戦いの後、身柄はマラライアに預けた。裏切った二人も一緒に。
悪いようにはしないはずだと安心していたが、どうなっているだろうか。
廃墟の他には、多少の小屋や大きな建物の基礎だけの町を歩く。
一日二日にしては十分以上に進んだ方だ。足りない今夜の寝床はテントを使おう。
案内された先にいた神官は大人しかった。
枷などはないが、奇跡により実体化した兵士が見張る。
事情には同情するが、罪は罪。自由は制限させてもらっている。
ただ、それと今から行おうとする事は別問題だ。
真摯に対応しなければならない。
神官はしかめ面で問うてくる。
「なんだ」
「僕達はここに住む事に決め、大勢連れてきた」
「ほう」
僕の答えを聞き、更に不機嫌そうな顔になった。が、それ以上は何も言わない。受け入れ難くはあれど、今の立場から呑み込んでいる様子。
僕は、この態度を変えたいと思っている。
「だから神殿、あるいは儀礼場や聖域はあるか」
「何をするつもりだ」
「敬意を払いたい」
目と目を合わせ、真剣に求める。
神官には怒りの雰囲気。危険な香りも漂った。
が、渋々ながらも先導してくれた。
行く先は町の中心地。
廃墟ではあれど、確かに手の込んだ意匠が残る。かつては聖なる場所だったはずの、跡地。何かを感じたのか、指示があったのか、陸鮫達も手を付けていない。
神官がじっと見つめる。その目はいかなる思い故か、揺れていた。
僕もまた息を静め、姿勢を整える。
そして花を捧げた。この為に選りすぐった鎮魂の献花だ。更に跪いて、祈る。
カモミールやグタン、ローナも横に並んだ。
「どうか安寧に。かつてのこの地の住人に、敬意を捧げます」
「安らかである事を願っています」
「…………」
惨劇は消えない。
であれば、せめて忘れずに祈る。敬い続ける。それが生きる者の役目だと、背負う。
長い時間の儀式が終われば、立ち上がって神官に乞う。
「決して礼は欠かさない。どうか我々が暮らす事を認めてほしい」
「……あの余所者と違う事は理解した。ならば、断る理由はない」
これまでと違い、穏やかな返答。
彼にも思いは通じたようだ。いつか彼の心にも真の安寧が訪れる事を願う。
「感謝する」
僕達はあくまで平和的に、新天地へ根を下ろすのだ。
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