第四章 新参者をどうぞよろしく
第52話 混沌にただいま
ベバリート山脈。
緑なき険峻な威容が、僕とグタンとライフィローナ、三人の眼前にそそり立つ。周りは精霊や魔力すら薄れた死の世界。
かつて見たトカゲがチラリと見えたが、さっさと上の方へ逃げていく。警戒心が強い。グタンかローナの強さを本能で察知したのだろうか。
流刑された者が降り立つ、初めの地。
南方に来てまだ九日程のはずなのだが、既に懐かしい。
午前中に神殿からグタンとローナを迎え、一度拠点に戻り、それからすぐの移動。かなりの強行路だが、必要な無理だった。
ここに来た目的が、誓いを果たす為だから。
見た目はただの荒野と山肌だが、転移の魔法陣が仕込まれている。
初めは奪還戦争の拠点となるべく設置され、現在は流刑となった異端者を送り込む刑罰執行の手段となった。負の歴史があるものの、北方と南方を繋ぐ貴重な場所である。
この転移魔法陣を確保する。
悪意ある者の暴走を事前に止める為。そしてこの過酷な環境による死を止める為だ。
「“
僕の魔法陣が一帯を覆う。
広範囲に刻まれた転移の陣を全て調べるべく、同じく広範囲に。
あの戦いの後なので疲労は残っており、なかなか辛い。魔術の制御だけでなく、思考も濁る。
むしろ魔術師としては腕の見せどころか。
が、苦労を表に出してしまったらしい。グタンとローナが後ろから心配げに声をかけてくる。
「どうだ? いけそうか?」
「困難なら無理はしないように」
「いやあ。これは、惚れ惚れする陣だ」
そんな二人には悪いが、僕は内心興奮していた。心躍る情報が次から次へと明らかになるので、解析に集中したい。
素直に称賛するばかり。
転移魔法は、目に見える範囲内や間に障害物を挟まない条件ならば高速移動の応用で可能。だが長距離かつ山を挟むこの転移は、近年では再現が出来ていない。
非常に高度な魔法。失われたのが惜しい。
現在管理しているのは教会だが、既に原理は不明なまま実行しているに過ぎない。
なんとも愚かだ。
そして判明した事はといえば。
「正直、介入は難しい」
ここにあるのはあくまで出口を設定する為の陣。
転移魔法の調整と実行を行えるのは刑場、北方の神殿にある陣だ。
だから解析出来る部分が限られる。
ただでさえ複雑な上に防備の魔法も重ねられており、他者からの介入を拒む。
使用不可能にしたり、転移の場所を任意の地点に変更したりは出来そうもない。無論今すぐには、という話であり研究解析を続けていけば可能になるはずだ。数年数十年単位になるだろうが。
とはいえ、手は他にもある。
「だから、やはり力技だな」
「なら分かりやすくて良い」
「期待には応えてみせよう」
転移魔法陣の確保ににあたって、師匠から助言を受けていた。
そもそも師匠は降り立った時点でこの魔法陣を解析していたのだという。安全や食料より研究を優先するのはいかにも師匠だ。
自由な発想も、まだ僕は追いつけていない。
「“
新たに魔法陣を展開する。
工房魔術。魔法陣が大きく広がり、山肌から荒野までを囲う。
山が輝いた。
魔力の線が走り、魔法陣が刻まれた箇所と単なる岩を分ける。
そして、一帯が揺れた。
「おーおー、派手だねえ」
「くれぐれも無理はしないように」
「心配無用だ」
岩を切り出し移動。山と荒野の一部が、鈍い音を立てて滑っていく。
規模は小さいが、災害か天変地異めいた光景。
確かに大作業だ。魔力が多く、早くも疲れてくる。
だが不可能ではない。力を尽くせば成し遂げられる。
だから僕は口元には笑みを浮かべた。
完全に切り離しが終わると、僕は座り込んだ。
荒い息を吐く。顔には汗。それでも達成感が心地良かった。持ってきておいた果汁が美味い。
転移陣が刻まれた岩は、高さと幅はグタン二人分程、小さめの建物にも近い規模になるだろうか。
「次は頼んだ」
「おう、任された。グタンがな!」
「……ローナ」
「キャハハ。冗談だって。おい
風が渦巻く。岩塊が揺れ、浮かび上がる。精霊や魔力の少ないこの場だけに普段程の力は感じないが、それでも十分に強い魔法。
浮いた岩塊にグタンは指を突き立て、右肩で担ぐように持ち上げた。いくら獣人とはいえ規格外の力である。
転移魔法を維持したまま、魔法陣そのものを移動させる。
知性に欠ける力技のようだが、現状では唯一の解決策なのだから仕方ない。
この塊をゴーレムに出来れば楽なのだが、この重さを動かす魔力を確保するのが難しい上、転移魔法陣と干渉して異常が起きる可能性もあるので断念。
代わりに二人の共同作業で大事業を成立させる。僕自身も絡んでいるが目の当たりにすれば呆気に取られる光景である。
グタンが進めば一歩ごとに震動する。これまた災害のよう。
彼の頭にローナは座った。
彼女の定位置、特等席。二人の関係性に許された愛の形なのだろう。
「気合いいれろよ?」
「当然」
「よっし、言ったな。着いたら思いっ切り褒めてやるよ。嬉しいだろ?」
「……カモミールの前でそれをするつもりか?」
「むしろカモミールに見せつけるんだよ。アタシらはこんなにも幸せだ、ってな!」
夫婦らしい甘い会話、なのだろうか。
特殊な気もするが、正直身の回りに恋愛事情のサンプルが少ないので判断がつかない。
こっちが恥ずかしくなるくらいなのは確かだ。
「そうだ。ペル、この上に乗ってけよ」
「いや、これ以上の負担を増やすのは……」
「既にこんなだぞ。人一人分の重さなんて誤差だ」
「まあ、その通りだ。ペルクス殿も疲労が強いのだから休んでいくといい」
結局、お言葉に甘える事となった。
ローナの精霊魔法を借りて運ばれ、岩塊の上に座る。
高い視点。世界を見渡せて気分は良い。
カモミールもローナもこれより高い場所から世界を見ているのか。
不思議な感覚に刺激される。
と、いきなり世界が大きく揺れた。
足元のグタンは、なんと岩塊を抱えて走っている。
「キャハハハッ。いいぞその調子だ! もっと速く!」
「ああ。まだまだいける」
「いや待ってくれ二人共! こう揺れては、その、吐きそうになる!」
「あん? 情けねえな」
「失礼。だが走らねば日が暮れてしまう」
「いやまあ、確かにそれはそのと、お、うわあああ!」
障害物なき荒野に響き渡る、悲鳴。振り落とされないよう必死に食らいつく。
僕を犠牲に、崇高な使命は荒野を駆け抜けていくのだ。
かつて一日がかりで通った荒野を短時間で爆走して抜ければ、森との断絶された境界に着く。
ここからは魔力や精霊も豊か。
魔法が強まれば岩塊運びも楽になる。
とはいえ、大木は邪魔だ。だからといって岩塊で無理矢理木々を押し倒し、道を作りながら進むのは強引に過ぎる。僕は降りて、豪快な獣道を後から歩いた。
あまりの存在感か、ローナの魔法か。虫や獣は一切近寄ってこない。鳴き声すら潜めて、危険が去るまで大人しくやり過ごそうとしているかのよう。
賢い選択だと僕でも思う。
そして、湖のほとりの拠点。
懐かしきキャンプ地に帰ってきた。
のだが、少し離れている間に様変わりしていた。いやまあ、運んできた転移魔法陣の岩塊を降ろしたので変化が加速したのだが、それはともかく。
まず目に入るのは、畑だ。
穀物、野菜、果物、香草、花、と多くの有用植物が栽培されている。
「うっお、凄! やっぱ怪力っすね! っと、お三方、お疲れ様です!」
迎えたのはダッタレ。土汚れと汗を拭いて丁寧な挨拶をしてくれた。
荒くれだった彼も、今やすっかり畑担当が板についた。
今は収穫作業中だったようだ。
大きく育った作物を木製の籠に山と乗せている。
僕も特製肥料などで畑には貢献している。だがたった数日でここまで成長したのは、明らかな異常である。
「お疲れ。しかし、立派な畑だ」
「本当、シュアルテン様凄えっすよ!」
この異常は、ベルノウの悪魔の加護が理由だ。
実を言うと畑の作物の成長には差がある。
収穫には程遠い物も多い。既に実ったのは酒の原料になるものだけだ。酒に関する力があるのは理解していたが、まさかこんなにも応用が効くとは。
増々興味深い。
ダッタレと別れ、更に奥へ進む。
するとシャロの声が耳に届いた。
「助けてぇ! マッド婆ちゃんに人体実験されるぅ!」
「全く、人聞きの悪い。ちょっと寝てるだけで終わる話じゃないか」
「済みません。大人しくして頂ければ苦痛などはありませんので」
魔法陣が描かれた台に寝かせられたシャロが必死に抗議していた。
傍には師匠とクグムス。
悪魔の研究、解析の為にこうしているのだろう。
結局こうなってしまったか。
「サルビアはどうした? あれだけ許さないと言っていたが」
「売られました。新しい楽器と引き換えに」
しくしくと泣く真似をするシャロ。大袈裟に悲しさを訴えるが、そういう冗談も通じる間柄なのだと信じる。
当のサルビアは、確かにファズ、カンディらゴーレムが演奏する楽器を楽しんでいた。
木の筒、陶器、金属の塊と一見楽器には見えない。
しかし幻想的で不思議な、珍しい音の響きがする。製作には工芸知識も深いギャロルも関わったらしい。
「ああ、興味深い音色だろ? 各地で儀式に使われてたものさ。好奇心は意外なところで役に立つってね」
「いやああ! 好奇心の悪用反対!」
「あの、何を想像しているのかは分かりませんが、本当に危険な事ではありませんからね?」
師匠は明らかに怖がるシャロの反応で遊んでいる。たちの悪い悪戯心だ。
クグムスのフォローもまるで聞いていない。
まあ、心配は要らないだろう。解析魔術が主なら無害なのだから。フォローを信じて先へ進む。
次は女子達。
例の音楽をお供に、カモミール、サルビア、ベルノウが食事の準備をしている。傍には立派なかまどや調理台があり、料理する為の環境が充実していた。
作業しながら、お喋りに花が咲く。
「それでね、おかあさんがね、おでこを撫でてくれたの。おとうさんも抱きしめてくれてね、とっても幸せだった!」
「うんうん、カモミールちゃんは凄いのです。頑張っていて偉かったのです」
「カモちゃん、そんなに二人が好きなんだ?」
「うん大好き!」
笑顔溢れる場がそこにあった。
仲良くしているのは良い事だ。
「あっ! おかあさん、おとうさん!」
「カモミール! アタシも大好きだぜ!」
「カモミール。ああ、自分もだ」
立ち上がり、親子三人で抱き合う。それから有言実行でローナがグタンを褒め倒し、カモミールは一緒にはしゃいだ。
食事の準備は、まあいいだろう。
僕まで幸せになるし、サルビアとベルノウも温かな笑顔で見守っている。
「あ! ペルクスも好きだよ」
「はは。気にしなくていい」
これは本心だ。あの両親の後回しでも、十分。冒険の苦労が報われる。
そこに、新たに人の気配。
「おや、お帰りなさい」
アブレイムが森からやってきた。森歩きに合わないはずのローブでも軽快に。
籠には野草や果物、そして獣。狩猟と採集に行ってくれていたのだ。
彼は置かれた岩塊を一目見て、淡々と言う。
「いやはや本当に丸ごと持ってくるとは。神をも恐れぬ所業です」
「だが恐れるばかりでは先へ進めない。そうだろう?」
「はい、褒め言葉です」
アブレイムは口元だけでわずかに微笑んで言った。細い目からは本心が読み難い。
彼との信仰議論はやはり深みがあり、学びも多い。もっと話したくなる。
が、それを遮るようにローナは飛んでいって、戦利品をまじまじと見た。
「それより肉だ。良いモン狩ってきたじゃねえか」
「恐縮です。お祝いには良き品を揃えなければなりませんから」
「そうだ。よく分かってんな!」
そう、残念だが議論はまた次の機会だ。
優先すべきはお祝い。そろそろ準備は完了する。となれば。
「いよいよ、カモミール派始動の祝宴だ!」
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