第50話 矛と盾と祝福の娘

「キャッッッッハアアアァァァァァイ!!!」


 崩れかけた神殿から穴を空けて飛び出したのは、おかあさん。苛烈な叫び声が耳と心を大きく震わせる。


 それからまた、穴から影が凄い速さで出てきた。

 ペルクスと師匠さんを抱えたおとうさんだった。地下深くから跳んで来たみたいだ。


 ようやく、会えた。ようやく。

 あまりの嬉しさに痛いのも吹き飛んだから、急いで駆け寄る。


「皆! 無事でよかった!」

「いや遅れて済まない。随分無理をさせたようだ」

「……よく、頑張ったんだな」


 おとうさんが頭を撫でる。大きな手は優しくて、柔らかく包まれるみたい。


「カモミぃーーール!」


 そこにおかあさんも降りてきた。

 凄い速さで、少しの時間も待てないっていう風に。

 でも、わたしのすぐ前でビタっと止まる。

 顔の真ん前で、わたしの顔と同じくらいの大きさ。見える景色はおかあさんで埋まった。

 小さいのにしっかり温かみを感じる手で、頭を撫でてくれる。目を閉じて身を任せた。

 嬉しい。嬉しくて嬉しくて、気持ちが溢れる。口元は緩んじゃうし、耳と尻尾が落ち着かない。


 だけど、今はゆっくり浸っていられない。

 ヴリードさんが、来る。


「これをぶっ壊すたあ、確かに凄え。だがそんなアンタも今のオレなら潰せそうだぜ」


 敵意を込めた挑発。

 力は強い。おかあさんのやった事を見ても衰えない意志も強い。

 それらに相応しいだけの威圧感。だけど軽い感じは残っていた。


「大人しいんなら、ギニーも気に入るだろ?」

「そうね。黙ってれば可愛いかも」

「うるせえ!」


 二人の会話に割り込んで、おかあさんが叫んだ。

 途端に弾ける魔力。沸き立つ精霊。


 下からの突風で、二人纏めて空高くへと打ち上げた。


「親子の再会を邪魔したんだ。覚悟は出来てんだろうな?」

「クッソ! いい気になってんじゃねえ!」

「ああん? 遠過ぎて聞こえねえなあ!」


 空からの罵倒にも、声荒く返す。

 口が悪い。

 おとうさんが小さく「ローナ、落ち着きなさい。カモミールの前だ」と言ったけど、おかあさんは無視。仕方ないとおとうさんは溜め息を吐いた。


精霊オマエら、得物を揃えろ。誇りある緑、命を立てろ」


 精霊魔法で、周りの森から葉っぱが集まってくる。

 おかあさんの兵隊みたいに、ビシッと並んだ。


「後ろの奴はその立派な体で守ってやれよ?」


 槍を空の二人へ向けて突き出す。

 それが一斉発射の合図。

 葉っぱが矢みたいに、騎兵みたいに飛んでいって、敵を引き裂く。

 空からは怒りの悲鳴。一面の緑で何も見えない。たまに浮く赤色もすぐ風が散らしてしまう。

 相手はただ身を丸くして防御するしかない。

 ただの葉っぱが、おかあさんの手にかかればこれだけの武器にもなるんだ。


 そして長い一斉掃射が止んで。葉っぱがなくなれば、落ちてくる。

 丈夫な体は未だ健在。確かにギニーさんを無傷で守っていた。

 しかもまだ戦う気でいた。二人は高らかに吼える。


「こっの、妖精があああ!」

「こんな事して許さないから!」

「んじゃ続きだ」


 また風が吹いて、葉っぱが集合。

 すぐ次の一団が揃う。

 風と葉っぱの突撃が再び二人を上空へ押し上げる。圧倒的な魔法。

 あまりの凄さに、わたしはポカンと見ているしかない。


 でも、今度は一方的じゃなかった。

 風を避けて、横から回り込んだ炎が下まで降ってくる。反撃。

 追い込まれたからか、底力みたいな一撃。遠いのに熱で肌が焼ける。

 だけどおかあさんは顔色一つ変えない。


「ふうん。気合いあんな。でも足りねえ」


 槍を振れば、風の流れが追加。

 目に見える渦となって火球を貫く。軽く吹き飛ばしてしまった。

 やっぱりおかあさんの方が強い。


 二度目の葉っぱ射撃が終わり、二人が落ちてくる。

 ボロボロの体。だけどたちまち治っていく。

 神獣の加護はやっぱり強力。自信満々だっただけはある。

 でも、流石に心が折れたんじゃないだろうか。

 

 そう思ったけど、違う。

 新たに生やした翼。更に背中から炎で加速。魔力、神獣の力が、凄まじい圧を放っていた。

 灼熱の闘志。諦めずに、急降下突撃してくる。


「オレ達は、オレ達が! 奪う側の人間なんだ! オレ達の幸せを邪魔すんじゃねえ!」

「そうよ! あたし達は負けない! 負けるもんか!」


 炎が獣の形になっていた。

 これはギニーさんの方も神獣の加護を受けて魔法を強化しているみたいだ。

 合わさった二人の力はまるで太陽。

 周りの葉っぱが一瞬で燃え尽きて、地上の木々さえ発火する。わたしも熱くて、火傷しそうだ。


 二人して怖い顔。必死の形相。

 自分達の強さを信じて、挑む。

 自分勝手だけど、芯の硬さは凄い。感心してしまう。


 おかあさんも似た事を思ったのか、ニヤリと笑う。


「キャハハッ。そういうの、嫌いじゃねえぜ? 正直アタシだって似たようなモンだった」


 それから、教え諭す感じで、答える。


「だが、弱い。暴力で自分を通すんなら、暴力で止められる。それを刻むこった」


 余裕。風格を持った背中が格好良い。

 精霊へ声高らかに呼びかける。


「さあ精霊オマエら、最高の一撃をくれてやろうか。疾き誇りを。猛き覚悟を。空の神秘を!」


 おかあさんの周りで精霊が活性化する。この言葉で気合が入っているんだ。おかあさんの力になりたいって。

 風が渦巻く。

 強くて、激しくて、でも柔らかな風が吹く。辺りの火が消えて、熱い空気も冷やしてくれた。

 形のない風の塊を纏う。

 おかあさんも、真っ向から突撃。


「キャッハアァァァ!」


 爆発的な衝撃で、瓦礫と砂煙が盛大に舞った。

 皆が身を守ったり転んだり、大変な有り様。


 でもわたしはちゃんと見ていた。

 見上げれば、青空に一直線の軌跡。音より速く空を切り裂く。

 二つは拮抗なんてしない。

 ぶつかれば、抵抗なんかないくらいに、そのままの勢いで空の遥か高みへ押し上げた。

 あっという間に見えなくなる。


 今度こそ、おかあさんの勝ちのはずだ。




 だけど、終わりじゃない。


「さて、まだ争う気はあるか?」

「……当たり前だ」


 ペルクスは問いかける。

 一人残された、神官さんに。


「しかし、戦争は過去の事。害した者達は既に全員死んでいる。罪人の死が目的というのなら、既に叶っているのではないか?」

「それがなんだ」


 神官さんはまだ、憎々しげにわたし達を睨む。


 この人は憎めない。

 遥か昔の出来事に囚われている。

 神様の居場所と繋げる為にあった神殿の仕組みで、ねじれてしまったんだ。

 だから、納得出来ない。

 だから、終われない。


「お前らは、全てを奪った。許せない。許さない! この手で罰しなければ!」


 悲しげに立つ。全身を震わせて。

 あまりに悲愴で、心が苦しくなる。


「例え御助力がなくとも、神獣様に捧げてみせる……っ!」

「ならばその衝動。自分が引き受けよう」


 答えたのはおとうさん。

 ゆっくり進み出て、受け止めるみたいに手を広げた。


「憎悪は猛毒。全て出しきらなければ、危うい」

「何を……っ!」


 怒りに顔を赤くする神官さん。

 強引に体を引きずって、握り拳を突きだす。

 おとうさんは何もしない。ただその胸で拳を受けた。

 何度も、何度も。神官さんは殴る。鈍い音が鳴る。

 もうボロボロで、残された力でただ殴るだけ。これはもう意地だ。

 反撃の代わりに、おとうさんは優しい声色で、語りかける。


「それ程怒るのだ。亡くなった方は、さぞや素晴らしい人物だったのだろうな」

「そうだ。母は気高き巫女だった。父は優秀な役人だった。皆高潔で、奪われる理由などなかった!」

「同感だ。その熱意からもその方々の徳が伝わる」

「貴様らがそれを言うな!」


 激しさを増す殴打。限界まで振り絞っての全力。

 おとうさんは未だに動かず、ただ口だけを動かす。


「失礼。しかし過去の同郷の者はともかく、我々に貴方達から何かを奪う意図はない」

「馬鹿にするのも大概にしろ!」

「墓所まで案内してくれるか。是非祈りたい」

「貴様らに死までも汚させるものか!」


 激情を乗せて、爪を振るった。

 これは深い。胸から血が噴き出した。


「おとうさん!」

「カモミール、大丈夫だ。下がっていなさい」


 わたしが慌てても、おとうさんはどっしりと構える。だから心配だけど、信じた。

 ずっと攻撃は続いているのに、戦いじゃないみたいだ。

 静かに話を続ける。


「犠牲者の死を汚す意図はない」

「何がっ! 貴様らのせいでっ、正式な弔いも奪われた!」

「では今から行いなさい」

「ふざけるなあっ!」


 渾身の蹴りがおとうさんの胸を打った。

 嫌な感じの音がした。

 でもびくともしない。正面から受け止めて、おとうさんは語る。


「ふざけてはいない。弔いなき死者は悲しい。早く実施すべきだ。我々は邪魔をしない」

「貴様らを罰した後だ! 罰が全て終わってからだ!」

「そうか」


 静かにうなずくだけ。

 じっと耐える。ずっと、待っている。受け止めて、助けようとしている。

 大きい背中が。強くて頼もしい。


 やがて、神官は息切れする。

 立ったまま、動けない。

 疲れ切って立っているのもやっと、いう感じ。

 怒りは薄れたみたいで、辛そうで弱々しい顔で睨む。


「ぐっ……このっ……貴様、ら……っ」

「そろそろ目を覚ましなさい。貴方が向き合う事を捨てれば、誰が死者を悼むというのだ」

「何を今更……貴様がっ、貴様らが……っ! ……手向けられるのは、罰だけだったというのに……っ!」

「思考を放棄するな」


 バン!

 おとうさんは強烈に両手を打った。神官さんは目を見開いて固まる。

 あまりの音にわたしまで耳がキーンとした。


「頭は冷えたか。それは、死者でなく貴方の憎悪。貴方の復讐心。消えぬ憎悪は猛毒。吐き出したのなら、生きなさい」

「……今更、何が出来るというのだ」

「少なくとも、自分は一つ知っている」


 おとうさんはその場で両手を組んだ。


「貴方の愛する方々に、どうか安らぎがありますように」


 真剣な祈り。優しい声が愛と慈しみをもって響く。

 ペルクスも言っていた。

 忘れず、考える為にも祈る事が必要なんだって。

 確かに、今出来るのは、しなきゃいけないのは、こういう事なんだろう。


 気付けば、神官さんは泣いていた。

 へたり込んで、何事か呟きながら、涙も拭わずに泣いていた。

 その後で天を仰いだ。きっと、これがこの人にとっての祈りなんだ。


 わたしも祈ったら、失礼だろうか?


 チラっと見れば、おとうさんは深くうなずいた。

 だからわたしも手を組んだ。

 どうか、安らぎがありますように。



 その少し後で、上空から、柔らかな風。

 見上げればおかあさんが急降下してくるのが見えた。


「よう、待たせたな!」


 ぐったりしている二人をどしゃっと落とした。神獣の魔法は解けていて、生きてはいるみたいだ。

 そんな二人を完全に放置して、おとうさんに話しかける。


「よぉう、そっちも終わったんだな」

「ああ」

「なら今度こそ」

「ああ、今度こそ」


 おかあさんとおとうさんはうなずき合った。今度こそ、再会を喜べる。

 ただ、神官さんが気になる。近くで喜んでいいのかな、とも思う。


 だけど、やっぱり抑えられない。

 わたしはもう、我慢を捨てた。


「おかあさん! おとうさん!」

「カモミール!」


 おとうさんの胸に飛び込んで、おかあさんは顔の横に飛んできて。三人でギュッと固まった。

 羽に気に付けて、優しく背中に手を回してくれる。頭が温かい。体がフワフワする。心が最高に弾む。安心する匂いで胸がいっぱいに膨らむ。

 嬉しさがいっぱいで、自分の中から溢れてきて、気持ちが良い。


 うん。これが、幸せなんだ。

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