第49話 破城一穿
薄暗い地下に硬質な足音が反響。神殿内部地下を、師匠と二人で進む。
僕は焦りに急かされて、不格好に走っていた。
だが師匠は大いに満喫していた。
「“
魔法陣が行く先に連なり、埋め尽くしている。まるで最初からこういう神殿であるかのよう。おかげで別に灯りの魔法を使う必要がなかった。
壁や天井の文様を魔法で記録しているのだ。
師匠はニヤニヤが止まらず、むしろ増す一方。研究者として最高の環境だと全身で主張しているようだ。
無論僕としても興味深い。大いに好奇心をくすぐられる。
それを薄くしてしまう程、カモミール達が心配だったのだ。
「顔が固いよ。全く、未熟な弟子だね」
「……そうですね」
師匠からの呆れを含んだ言葉にも、空返事しか返せない。
僕は正に己の未熟を痛感していたから。
まだグタンとライフィローナの気配はない。遠い。既にかなりの距離を走ったはずなのだが。
神殿の地下は螺旋の一本道になっていた。緩やかな下り坂で、深く深くへ潜っていく。
独特な文様が描かれた壁や天井は、頑丈なだけでなく奇妙な構造だった。
”
もしかしたら人ではなく、神自身が造ったのかもしれない。
研究対象としては非常に魅力的だが、現状を鑑みるに喜べない。地上組の為にも研究は後回しだ。
考えれば考える程に増す不安を紛らわせるのには役立ったとも言えるか。
いや、やはり研究は集中出来る状況でこそだ。これではどちらにも良い結果はない。
そうして悩む僕を見て、師匠は深い溜め息を吐いた。
「やれやれ。仕方のない弟子だね」
師匠は興奮気味の笑みを消して、柔らかい微笑みを代わりに浮かべた。僕を案じてくれているのだ。
折角の愉快な時間を邪魔して申し訳ないとすら思うが、有り難い。
「“
師匠が展開したのは、大気に干渉しつつ肉体を保護する魔術。息が楽になり速度は増し、かなりの効果があった。
師匠の年に見合わぬ体力は、こうした魔術によって補っている。とはいえ、今日は流石に魔術を使い過ぎた。隠してはいるが無理をしている顔色。
この心意気を信じ、不安は強引に呑み下した。
感謝して、進む。
まずは二人の下に辿り着く事だけに集中する。
ただし、やはりというべきか、順調にはいかない。
神殿全体を揺らす振動が、突然訪れた。
「異変ですね」
「ああ。上で何かあったね」
僕達は立ち止まらずに、互いの意見を確認。
神官は神殿に傷をつけないよう配慮していた。カモミール達もグタンとローナがいる以上、控える。
という事は、事故や第三者の介入か。不明な要素に再び焦燥感を刺激される。
「ペッさん聞こえる? なんか二人裏切った!」
魔術を通してシャロの報告。
急に聞こえるようになった理由は、神殿が破壊された事により防護の魔法が崩れたというところか。
状況は判明した。精神的に和らげば、また進む事に集中出来る。
「配下の二人の裏切りだそうです」
「あの二人か。手加減しちゃあ不味かったようだね」
速やかに伝えれば、師匠は少しの反省。
そしてニヤリと悪どく笑う。
「ところで今のは、あのやかましい小僧だね? 後で紹介してもらうよ」
「分かっています。ですがお手柔らかに」
「きひひっ。それは保証出来ないねえ!」
やはり興味津々だった師匠。
シャロには悪いが、悪意ではなく純粋な好奇心なのだ。我慢してもらおう。
後の無事を祈るばかりだ。
そうして更に奥深くへ。
長い距離、遥かな高さを降り、焦らされる程の体感時間を経て。
ようやく。
ようやく、先に待ちかねた人影が見えた。賑やかな話し声も聞こえてくる。
「グタン! ローナ!」
嬉しさに声をあげて駆け寄れば、あちらからもにこやかに迎えてくれる。
茶色の分厚い毛皮、大きな体格に落ち着いた性格の獣人、グタン。背中には中身が詰まった大きな荷物を背負う。
金髪と紫の羽、小さな体に豪放磊落な性格の妖精、ライフィローナ。背中にはどうやってか知らないが没収を逃れた希少金属の槍がある。槍と言っても彼女用なので僕からすればペンのようなサイズだ。
グタンの頭の上で寝そべっていたローナが飛び立って、僕の目線の上から話しかけてくる。
「おーう、どうした。やっぱ変な事になってるよな?」
「ペルクス殿。貴方まで流刑にさせてしまいました。力及ばず申し訳ない」
異端審問官から逃げる際に別れてから、初めての再会。なのだが久々という感覚のない、極めて軽い挨拶だった。
片や現状の確認、片や過去の謝罪。
二人の性格の違いがよく出ている。
師匠は師匠で興味深げに二人を観察する。研究者としての目で無遠慮に。
「へえ。あの子の両親ねえ」
「あぁん? なんだ。ジロジロ人の旦那を見んなよ。小娘」
ローナは師匠の顔の真ん前まで飛んで睨んだ。因縁をつけるチンピラのように。
そして当の師匠は腹を抱えて大笑いした。
「ひっ、ひひひひひっ! 小娘! 今更小娘! そうか妖精だものなあ! ……ご安心を。手出しはしませんことよ、お姉様?」
「おう。お姉様を敬うたあ、良い心がけだ」
「きひひひひっ!」
「キャハハハッ!」
二人の女傑は笑い合う。
最初の因縁も冗談のつもりだったようだが、一瞬で仲良くなったようだ。確かに似た者同士ではある。
そんな彼女らを余所に、僕はグタンと話をする。豪快な笑い声に流されず、落ち着いて。
「カモミールも近くまで来ているのか」
「ああ。だが敵対者がいる。カモミールも危ないがこの神殿も崩れかねない」
「つまり脱出を促すべく先行してきたと」
「概ねそうだ」
「待て! カモミールが危ない!? それを先に言えよ! んな悪どい奴は何処のどいつだ!?」
ローナが師匠を置いて高速でかっ飛んできた。娘の事となると容易く必死になるのだ。
僕は努めて冷静に説明する。
「二人をこの神殿に招いた人物だ。彼もまた配下に裏切られたようだが」
「チッ。アイツら騙してやがったか。カモミールが来る前に安全を確保しておこうと思っ……んん? 待て。そういや、なんでもういる? アタシらが出発してまだ半日だぞ。早すぎねえか」
「外では僕達の流刑から七日以上経過している。その理由はこの神殿が神の座所への」
「いや、理屈なんかどうでもいい! それよりカモミールだ!」
神殿の時空の歪みにより、ここまで認識がズレていたのか。二人の帰りが遅れた原因を改めて確認した。
というより、二人の移動速度の方が速過ぎるのだ。
だがその解説を遮ってローナは吼えた。
確かに長い説明は今必要ではない。
今求められるのは、戦力だけだ。
「だから二人の力を借りたい。すぐ外へ」
「急ぎだな?」
「可能な限り急いだ方が良い」
「んじゃ、ぶち抜いた方が早いか」
事も無げに言うローナ。
地下神殿の奥深くから、遥かに高い地上までを、ぶち抜くというのだ。
頑丈な素材、頑丈な造り、神聖なる守りのある場所を。
そうであっても、彼女はあくまで自然体。困難を乗り越えようという気負いなく、軽い調子で背中に言う。
「グタン、任せたぜ」
「任された。後ろは気にしなくていい」
「はっ。そりゃそうだ。その為に任せたんだからな!」
二人の会話は簡潔に済んだ。深い信頼関係が見える。
高みに立つ人物というのは、言葉以外でも大いに語るものだ。
グタンは僕と師匠を背に、壁に寄る。大きな体で覆ってくれる安心感があった。
更に師匠が魔術を展開。その目は好奇心の疼きに満ちている。
そしてローナはぶち抜く準備を開始した。
「オイ
槍を掲げ、ぞんざいに呼びかける。
本来精霊魔法に似合わないはずの粗雑さだが、確かに精霊は応えて魔法陣を生み出していた。
力による支配。
精霊との付き合い方は千差万別だが、基本的に好意的な付き合いの方がより力を引き出せる。精霊に意思がある以上、雑に扱えばそっぽを向かれるのが当然だ。
だが、妖精とは肉体を持つ精霊。存在として両者は近い。
だからこそ、上に立ち従える関係性が成り立つ。
気迫や生き様に惹かれた精霊達が、自然と集まり崇敬しているかのよう。
まるで荒くれの頭目のような号令が、彼女にとっての最適解。
精霊が魔法陣を輝かせ、魔力が凝縮されていく。
「風だ、風だ、風だ。絶ち、撒き、荒らす、畏怖すべき風だ。
狭い通路に暴風が吹き荒れる。今度は地上が原因ではなく、内部から神殿が振動する。
きっと地上にも届いているだろう。シャロ経由で地上に伝えるべく、この揺れは大技の準備のせいだと言っておいた。
あまりに強い風圧で、グタンの背に庇われて、師匠の魔術に守られて、なんとか無事といったところ。
ただ内心は興奮していた。
これ程の絶技は滅多にお目にかかれない。
それに、彼女の伝説は是非見てみたいとずっと思っていたから。
かつて、ライフィローナは各地を放浪する傭兵だったという。
ただでさえ珍しい妖精。豪快で喧嘩っ早い性格。トラブルが多く、ネタが尽きず、吟遊詩人の詩になる程有名な存在であったらしい。
そんな彼女を英雄にまでしたのが、“トールベースの戦い”だった。
とある国で隣国の奇襲により、戦争が勃発。侵略した一軍は占領した城塞を拠点に優位に戦いを進めた。要所を守る堅牢な城塞だっただけに、対抗する国の軍は苦戦していた。
長期戦が予想され、多大な戦力が投入される事となった。
しかし。
ライフィローナが傭兵として参戦すると、たった一人で──いや、たったの一撃で城塞を落とし、戦いを終結させてしまったのだ。
その活躍により王に与えられた称号は、“
英雄として評価され、傭兵から正規の軍属へ。
放浪を止めて一つの居場所に落ち着いた彼女は、そこでグタンと出会う。
僕の下に依頼をしに来る、十数年前の出来事である。
“破城”。
かつての伝説の、再現。
溜められた力が、一気に解き放たれた。
「キャッッッッハアアアァァァァァイ!!!」
妖精の小さな体から、天地を揺るがす雄叫び。
神殿が崩落。
螺旋の構造、何枚もの天井、それら全てを貫通。宣言通りに、ぶち抜いていく。
グタンと魔術による防御がなければ、僕もただでは済まなかった。
圧倒的な破壊。圧倒的な威風。
正に英雄の貫禄。
神殿の格すら吹き飛ばして、彼女は飛んだ。
そして余波が収まった時、頭上には大穴と、その奥の青空が見えていた。
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