第45話 憎悪にも無邪気な救いを
わたしは、人は皆笑ってほしいと思っている。
仲良く、幸せに、生きていければいいと思う。
悪い事をした人も、もうしないって反省してくれれば笑って迎え入れたい。
争いは残念だけど、考えが違うからぶつかるのは仕方ない事もあるかもしれない。最後に笑えれば、それが一番だから。
だから、聞いた。
「ねえ、どうして!? どうしておかあさんとおとうさんを!?」
最後に戦う事になるんだとしても、少なくとも気持ちは分かるはず。
そう、思っていたのに。
「何を言っている。全てを奪ったのは、貴様等だろう!」
空と雲。真下の森と神殿。
爽やかで綺麗な景色を、悲鳴みたいな怒号が塗り潰す。
神官さんの顔は重い感情を物語っていた。
見た目は吼え猛る獣。だけど人の心が溢れる様相で、続ける。
「余所者は街を燃やした! 殺した! 滅ぼした!」
「そん、な……」
「覚えているぞ。血に濡れた鋼を! 惨劇を嗤う声を! 死に際の痛ましき叫びを!」
息が止まるかと思った。思わず精霊魔法を止めて落ちそうになった。
語られたのは想像も出来ないような酷い出来事。この憎悪も仕方ないと認めるしかない、悲痛な告白。
もしかしたら、マラライアさんが奇跡で街にした廃墟は、神官さんが住んでいたのかもしれない。
でもそれだと、一体いつの話なんだろう。
師匠さんがこの神殿は時空を歪めてる、って言っていたのと、関係あるのかもしれない。
「だから余所者は断罪せねばならぬ!」
少し、考え過ぎていた。
怒号で我に返る。
神官さんは翼を羽ばたき、空を猛烈な勢いで突進してきた。
慌てて突き出した槍。だけど簡単に掴まれる。
強引に引っ張られて、わたしの体ごと振り回された。ぐるぐると視界が巡る。
堪らずに槍から手を離した。距離が大きく開く。
そこに向けてわたしの槍が投げられた。空気をブォンと切り裂き、迫る。
かわせたのは運が良かったからだ。
体のすぐ横を通過して、何処かへ飛んでいく槍。当たらなくてもビリビリ肌が痛い。
今飛んで拾いに行くのは無理だ。精霊魔法で拾ってもらおうと呼びかける。
だけどその前に、神官さんが一直線の突進。
態勢を立て直して、真っ向から掴みかかってくる両手を、わたしも両手で受け止めた。
わたしはおとうさんの娘。
力は強いんだ。動揺せず、ちゃんと発揮出切れば、負けない。
お互い空で静止して、力比べ。
「おかあさんとおとうさんは、そんな事してないでしょ!?」
「母を殺したのは貴様ら余所者だろう! 父を、子らを、暴力で蹂躙したのは!」
「っ……母……」
「故に弱い私は神殿へ潜った! 神へ命を捧げた! 神が慈悲を下さった以上、誓いは果たさねばならぬのだ!」
神官さんは炎みたいに吼えた。辺り一帯に灼熱の声が駆け抜ける。
空そのものも怖がっているみたい。圧力にビリビリと痺れる。
わたしは固まってしまった。口が渇いて、冷や汗も出てくる。
精霊さんの反応も良くない。
魔法が弱々しくなる。
そうだった。ここに来た最初の頃。動物にも殺意を向けられて、攻撃を躊躇ってしまって、戦えなかった。自分に向けられた殺意は、怖い。
ベルノウさんの悪魔、シュアルテン様は守る為に戦っていた。
マラライアさんは海賊の人達に殺意を向けていたけど、わたしにはそこまでの敵意はなかった。
この怖さにちゃんと向き合わないと、勝てない。助けられない。
でも、わたしは戦いたくない気持ちになっていた。多分情けない顔をしている。
そのせいで、神官さんは余計に激しい怒りを増していく。
「なんだそれは。罪悪感のつもりか? ないものを持ち合わせる振りなどするな!」
緩んだわたしの手を外すと、憎しみと一緒に、剣みたいな爪が振るわれた。
避けられない。だから逆に魔法を完全に止めて、落ちる。
上の方を一撃が通り過ぎた。
余波だけでも大きい。風が刃みたいに鋭くて、肌が切れる。痛い。
もう一度精霊魔法を使う。
いつもより遅くても、なんとか水平移動。
急降下して追いかけてきた神官さんをギリギリで避ける。見切って反応出来るけど、反撃出来る気がしなかった。
この人の仇は、わたしじゃないし、おかあさんとおとうさんでもない。
わたしの知らない、ただ故郷が同じだけの人。
でも、だからって関係ないなんて言い張れなかった。
切り捨てるなんて、しちゃいけないと思った。
悲しみと憎しみ。大きな絶望。
相手にするには、怖い。
わたしはなんとか自分自身を奮い立たせないといけない。
戦いたくない気持ちを奥に隠して、叫ぶ。
「今奪おうとしてるのは、あなたの方でしょ!?」
「報復は自然の摂理だ! 奪われた魂と同数、あと四十二人の罪人を捧げるまで終わらない!」
神官さんの言葉は憎しみ任せじゃない。強い決意がある。
話し合いじゃ、無理だ。それが分かってしまった。
ペルクスが予想していた事が当たっていた。
異端者。あるいはその前の軍隊。
北方から来た人達によって行われた、悪。
この責任は誰にあるの?
誰をどう裁けばいいの?
気持ち良く飛べない空。
追いかけられて、攻撃されて、悩んで。
色々考えながら逃げる。精霊さんに強い力を借りる為、無理矢理に楽しい気持ちにしたいけど、大変だ。
上から爪。避けても余波で飛行が乱されてぐるぐる目が回る。
そこに追撃の突進。迫力が凄い。
風に乗り上へ逃げれば、直角に軌道変更してくる。空中での制御がわたしと段違いの力技だ。
わたしは急に止まって、体のひねりを活かしてかわす。
速過ぎるせいで一瞬あれば神官さんは通り過ぎた。
逆に追いかける、でも速度が足りない。反転した神官さんと向き合う。
豪快な雄叫び。
慣れない怖さにも、怯む訳にはいかない。
なのに、どうしても振り払えなかった。
ペルクス達が神殿の魔法を解除しようとしているから、それまでの時間稼ぎでもいい。
だけどそれだけでも難しい。
ただ、わたしが神官さんを怒らせた。下にいる皆から離せて、引きつけられている。役目は果たせている。
このまま頑張りたい。
でもやっぱり苦しい。怖い。
憎悪に呑まれて、折れてしまいそう。
皆を、おかあさんとおとうさんを助けたいのに。
くじけて落ちてしまうかもしれない。
空が重い。狭い。息苦しい。
広々と明るい空なのに、わたしの心は真っ暗だ。
そんな時に。
──お空に太陽ありまして〜。
「え?」
わたしは戸惑う。神官さんも警戒すべきか判断出来ないような、妙な顔だ。
聞こえたのが絵描き歌だったから。
今この状況には合わないような、でも元気になる歌だ。思わず歌に合わせて頭の中でおかあさんの姿を描く。
続いて熱い声が聞こえた。
「カモちゃん! 負けないで!」
「そうよ! あんな奴にはガツンと言っちゃいなさい! うるさいバーカ、って!」
シャロさんとサルビアさんが、魔法を通してわたしを応援してくれる。それから歌と演奏に戻った。
絵描き歌を選んだのは、これが一番力になると思ったからなんだろうか。
うん、元気が出てきた。
「カモミール、受け取れ!」
ペルクスの声でまた下を確認。
ゴーレムのファズが落ちた槍を投げてきたから、しっかりキャッチ。ペルクスと目が合えば、遠くても応援してくれる笑顔なのが分かった。
わたしは、飛べる。
「断罪の剣を!」
「精霊さん!」
絵描き歌の警戒を捨てて、神官さんが攻撃を再開。わたしも対抗。皆のおかげで魔法の調子は良くなった。
荒々しい爪の一撃をひらりと回り込んで避けて、そこにきた裏拳も頭を反らしてかわす。そのまま仰向けの姿勢に。神官さんの背中、翼の付け根を両足で蹴りつけた。
その反動を活かして急加速。神官さんが振り向いた頃には、わたしは逆側へ回っている。
がら空きの背後から槍を突き刺した。
速度が乗って、翼を貫通して背中へ。嫌な手応えが手に残る。重い抵抗に胸が痛む。
だけどそんなのは、甘い油断。
悪寒がしたから、槍を抜いて素早く逃げる。
少し遅れて、肌を叩く暴風。衰えない猛攻が襲ってきた。
神官さんの傷はすぐに治っていた。神様の力だろうか。
「……この歌は、我が神を否定するものではないな。貴様の力の源か?」
「うん!」
歌は続いている。おかあさんとおとうさんの姿が浮かぶ。
二人との思い出を思い返す。
遊んで、お話して、笑い合って。
わたしを愛してくれた日々はとっても幸せ。
やっぱり、会いたい。
思って、気付く。
でもそれはきっと、神官さんも同じ気持ちだ。
この人も、家族ともっと過ごしたかった。だからこうも憎しみに囚われている。
分かるから、分かり合えない。過去には戻れないし、生き返らないから。
わたしは今から酷い事を言う。
「ごめんなさい」
他人は他人。
助けるのは難しい。そもそも人それぞれで望みは違う。どうしたら助けられるのか、時間をかけて話し合わないと、分からない。
だから、人は皆ワガママを通すんだ。
「わたしは、わたしの幸せが欲しい」
「今更か。恥ずべき開き直りだ」
「でもあなたの幸せも諦めない」
わたしは神官さんを真っ直ぐに見つめて言った。
これはワガママだ。
自分のやりたい事を優先する。
わたしは皆を助けたいし、神官さんも助けたいと思っている。
神官さんにとっては嫌かもしれないけど。憎い仇に情けをかけられるみたいなものだろうけど。
でも、これなら、頑張れる。
助けたいなら、怖さにも立ち向かう勇気を持てる。
おかあさんとおとうさんに、胸を張って「頑張ったよ」って言えるように。
皆が満足する世界になれるように。
わたしは声高らかに叫ぶ。
「だってわたしは聖女だから!」
「……傲慢な」
神官さんは苦々しく吐き捨てた。まだ届かないけど、それでも諦めたくない。
精霊の力が戻っている。むしろ更に増す。
風は強く、闘志は熱く、空中戦は激しさを増していった。
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