第44話 開戦、研究者と守護者
旧き神殿の清浄な空気が、争いの激しさに押し退けられていく。
問答無用の開戦。満ちる緊張感。
神獣と化して突進してくる神官に対し、こちらは静かに対応する。
「“
師匠が神殿の“
大気を操作し、人の呼吸が不可能になる領域を作る魔術だ。
目に見えず、知らなければ一方的に倒れるだけ。凶暴な獣や賊を撃退してきた、師匠の十八番。
しかし神官は不可視のそれを回避する。
「それはもう把握した!」
詳細は聞いていないが、既に師匠と神官は何度もかち合っているようだ。
ならば不可視の領域も知っており、魔力などで感知は可能だろう。それにこの肉体はただの人間より耐久力も高いはず。経験で学んだか。
魔術の範囲を避け、大回り。それでも獣の俊敏さは十二分。
逃げるのを諦めざるを得ないような速度で飛びかかってくる。
神獣。外敵を滅ぼす力の具現。
それでも師匠は落ち着いていた。解析の手を止めない。勿論僕も、そしてクグムスも。
純粋な猛威の前に立ちはだかったのは、弟弟子である。
「“
クグムスが魔術を展開。
瞬時に体が変貌した。小柄な少年から、屈強な体格の獣人へ。
大柄なグタンにも匹敵。質の高い筋肉がみなぎっていた。
魔力が滑らかに循環している。獣人の体をよく理解した上で無理なく力を引き出す、堅実な魔法陣の構成。素直に称賛を送りたい。
神獣の神官と、真っ向から組み合った。
衝撃が走り、森を揺らす。
熱く激しい掴み合い。そんな荒い戦いとは反対に、両者の声は冷たかった。
「貴様等、神殿の神秘を暴こうとしているな?」
「それがボク達、研究者の生き様です」
「冒涜だ。その傲慢を冥界で反省しろ」
「お断りです。ボク達はこういう生き物ですので」
信仰と研究。
僕としては二つは切っても切り離せない関係ではあるが、この互いの意見の相違は明白。
決して相容れない。
ならば問答ではなく、戦いでしか決着しない。知性ある人として情けない事だが。
獣の野性。力と力。
膠着に見えて、徐々にクグムスが押される。体が浮きそうになる。
そこから、神官の爪が肌に食い込んで血が流れた。クグムスは更に強化して耐えるものの劣勢は覆せない。
両者、結果の似た変貌。
しかし過程がまるで違う。
クグムスの魔術の基礎構造は先祖返りだという。獣人の血肉に眠る獣の因子を喚起させたものだろう。あくまで本人の延長上にある。
一方で神官の変化は神の力。
精霊魔法の一種に見えるが、精霊を通して得たのは、神殿とその奥にいる神の魔法。ともすれば奇跡にも近い。
獣ではあっても、恐らくは神そのものの似姿。神獣。
力の源、その出力が違う。
差がつくのはある意味で当然の結果か。
「精霊さん、速さをください!」
「ドルザ、突撃!」
速やかにカモミールと僕が戦いに加わる。
援護に最速の一手。
しかし神官の背後にも、仲間が二人。男女は既に唱え終えている。
「空に漂う炎の子らよ、今こそ膨れ槌となれ!」
「狩人見守る森の司、我が手に鋭き加護ぞあれ!」
球状の炎、そして強弓の矢が僕達へ放たれた。
南方流の精霊魔法。魔法陣には北方との微妙な差異が見える。詳しく調べたいものだが分析は後だ。
ファズを前方に出し、守ってもらう。炎も矢も岩の体が弾く。しかし魔法は強力。いつまでもは保たないだろう。
だから、次はさせない。
「“
師匠が展開したのは、“
男女の周囲に空気の薄い領域を作り出した。彼らは息が続かず、精霊魔法を中断して逃げるしかない。
しかしこれは、領域に対象を追わせる魔術。魔術の内容を知らない者から見れば呪いのように見える事から、この名を付けたという。
だから逃げた先でも精霊魔法は不発。不快げに舌打ちしていた。
おかげでカモミールと僕の手助けは間に合い、もう邪魔は入らない。
神官に突撃が命中。肩に槍、脚にドルザ、どちらも並の相手なら貫くはずが神官は血も流れない。
ただ多少怯んだ、という程度であった。
それでも僅かに勢いは押し戻せていた。
クグムスは前を見据えたまま、礼を言う。
「助かります」
「ううん、遅れてごめん。皆で頑張ろう!」
「……いえ。あ、はい」
クグムスの返事は今の姿に見合わない初心なもの。まだカモミールに慣れない様子だった。
カモミールも地に降り、クグムスの右側へ。協力態勢。二人の力で押し込む。
僕も加勢。ドルザを再度突っ込ませた。
純粋な暴力に、暴力。それだけでは魔術師の名折れと、神官にも
一方、師匠は男女と対峙。
息苦しそうな二人は移動しつつ、攻撃を加えてくる。師匠には不要かもしれないが、ファズはこちらに割いた。
男性が次々と矢を放ちながら悪態をつく。
「婆さん。いい加減邪魔だぜ」
「きひひ。この魅力が分からないのかい? 残念だね。見込みのない若者だ」
「馬鹿にしやがる。だから年寄りは嫌いなんだ。いけギニー、大技だ!」
「任せて、ヴリード! 空に太よ……うっ!」
「ギニー!」
ギニーと呼ばれた女性は苦しみだした。
魔術が効いているのだ。移動すれば避けられると思ったのが大間違い。神官の真似をすればいいと判断してしまったのが原因か。
ヴリードと呼ばれた男性は舌打ちし、相棒を抱えて引く。
しかし、その逃げた先にも師匠の領域は憑いてくるのだ。
「きひひっ。悪手だよ。格上の魔術師相手にただ逃げるなんてさ」
「このばばあ!」
「おお怖い。若い者はすぐ感情任せになるから困る。ほら、叫べば悪化するじゃないか」
「……クソ!」
師匠は反撃の矢を射られても動じない。
ファズを避けた曲射で頬に一筋の裂け目ができても、堂々と笑っている。
やがてヴリードも苦しみ始め、うずくまる。
圧倒。今や師匠は、淡々と沈む二人を見ている。
「いいかい? 未知に対抗するには常に疑い続けなきゃいけないよ」
それは師匠の実体験だ。
歴史研究、考古学の調査対象は遺跡や洞窟。そういった閉鎖空間の調査においては、障害は多い。太古の呪いや獣、商売仇などもあるが、環境そのものも恐ろしい。毒に汚染されている場合がある。
かつて、とある遺跡では死者が続出し、調査が停滞していた。罠や呪いは解除したのにまだ続くと恐れられていた。
そこで師匠は過去の研究者の、原因不明、あるいは呪いで片付けられた死を解明。異なる未知を解明する事で本来の研究を進めた。
考古学の研究をする為に、大気の研究が必要だったのだ。
今もそう。
グタンとライフィローナを助けたい僕達と違い、師匠はあくまで神殿の研究が目的。神官達の排除はその為の手段でしかない。
師弟の縁はあっても優先は研究。そういう人間だ。
まあそうは言っても、危機にある人間を見捨てる程薄情ではないし、未来への投資と言っては教育に尽力する事もあるのだ。尊敬する師匠である。
そして撃退が目的ではない以上、交渉も積極的にする。
「ほら、そこの神官。お仲間を見捨てるのかい? 引いてくれるなら開放してあげるよ」
「……世話の焼ける」
「なら大人しく引いてくれるね?」
「だが貴様等には媚びない」
神官は失望した風に呟き、後に師匠を睨む。そして魔力の量が膨れ上がった。
まだ力は増大する。
体もより大きく。より怪物めいた見た目に。
「我こそ獣の継承者。森の民の守護者。神域犯す罪人に、神罰の剣を与えん!」
猛々しい咆哮が轟く。
声だけでも圧があった。間近にいたカモミールもクグムスも、軽々と吹き飛ばされる。離れた位置の僕でさえまともに立っていられない。
いや、声自体に魔力、神力が含まれている。肉体、物質に干渉する力だ。衝撃波と言っていい。
咆哮で弱き者を従える、獣の特性。
辺りを神獣の魔力が蹂躙していく。
魔力、精霊が散り散りに舞う。魔法陣が崩される。
僕達の魔術にも影響が現れてきていた。制御が乱される。
師匠の魔術も影響が薄れ、復活したヴリードとギニーが足早に森の奥へ引っ込む。
そして炎と矢。
木々の影に紛れながらの攻撃が放たれる。
ファズとソルフィーの影に隠れながら、僕達は簡単に状況を確認。
「解析が遅れています」
「邪魔だね。これには専用の対抗魔術が要るか」
「いえ、対策なら可能です」
悩む師匠とクグムスに、僕は解決策を提示する。
ここはまた彼らに活躍してもらう場面だ。
「シャロ、歌だ! 異なる神を崇める歌で乱せる!」
「え? えー、うん。オッケー、任せて!」
早速演奏が始まった。
清く涼やかで、厳粛な印象の曲。
しかも悪魔の力を乗せた音楽だ。魔術で増幅させており、神殿に響き渡る。
──嗚呼! 嗚呼! 嗚呼! 我らが麗しき女神様! 輝く美貌に澄んだ美声、地上を照らす女神様!
女神を称える歌詞。封印された劇の一幕。
僕の頭にも美を誇る女神が自然とイメージされた。信仰とはかけ離れたものだというのに。
悪魔の力が音楽を心に直接伝え、浸透させる。信仰が肝となる神の力だからこそ、異教の神は相性が悪く対抗策になり得るのだ。
事実、神官は困惑し、咆哮の圧が弱まった。
すかさずかき乱された魔力を奪い返す。
魔術の制御も戻り、解析が進む。
師匠とクグムスは興味深そうに目を輝かせた。やはりこの未知の力をお気に召したようだ。
「……なんだその力は」
神官はシャロをギロリと睨む。僕達に向ける中でも一番の敵視。視線だけで身を竦ませる程の殺意。
悪魔。この力の源の異質さを感じとったか。
極まった憎悪が牙を剥く。
大きな翼を広げて空へ、クグムス達を飛び越えシャロを直接狙う。獰猛な襲撃。神獣が恐ろしい迫力を持って駆ける。
「邪なる者に神罰の剣を!」
「させない!」
間に割り込んだのはカモミールだ。
精霊魔法で加速し、対峙。槍で爪を抑えようとして、しかしふっ飛ばされた。だがすぐに戻り、シャロへは向かわせない。
繰り広げられるは空中戦。
神々しい翼と妖精の羽が羽ばたく。
上から、下から、縦横無尽。爪と槍が火花を散らす。
リーチの差は有利にもならない。弱まったとはいえ、圧倒的な力は健在。なんとか食いつけてはいるが、危うい。
「天駆ける豊穣の使者。恵みを戦士の肉体に!」
「精霊さん、もっと速く!」
豪快に羽ばたく翼と、包み込む柔らかき風。対照的な両者はそれぞれに空を舞う。
上空の戦いに、僕達は割り込めない。援護は難しい。届くのは歌だけだろうか。悔しさに歯噛みしつつも、考えは練り続ける。
一方、カモミールは悲痛な顔で問いかけていた。
「ねえ、どうして!? どうしておかあさんとおとうさんを!?」
一対一の状況で、懸命に対抗しながら、それでも戦いからかけ離れた表情。
やはりなるべく争いを避けたいと思っている。それは間違いなく、カモミールの強さだ。
が、しかし。
「何を言っている」
低く、おぞましく、正に怪物らしい声が返される。
そして、凶暴な殺意がカモミールに向けられた。
「全てを奪ったのは、貴様等だろう!」
憤怒。激情。憎悪。
神官は昏き感情をもって、神に授かった力を叩きつけてきたのだ。
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