異端の認定と追放、すなわち流刑は、冷たい排除の論理という印象がありますが、ここで確認されたのは「教会は極刑を禁じている、だからこその流刑」であって、〈死罰〉という完全な排除を退けるための根拠となっています。この作品において〈流刑〉というのが賑やかで希望に満ちた旅であり、排除ではなく包摂の象徴でありえるというのは、かなり興味深い逆転だと感じました。神と魔、教会と異端の単純な対立構造に還元されないところに、異端の聖女、カモミール派の冒険があるんですね。
作者からの返信
ありがとうございます。
流刑に至る論理は書きたい物語に整合性が通るようにかなり考えました。解釈で意味合いを変えてしまうというのは印象的ですし自分でも気に入っています。
深く読み込んでくださり嬉しいです。
なぜ人を殺してはいけないのか。すごく普遍的な問いだなと感じました。
カモミールの答えは優しくて、信じたいと思えるものですね。
礎とする信仰は人それぞれでも、みんな違うそれらのものを丸ごと包み込むような懐の深さも感じました。
作者からの返信
ありがとうございます。
普遍的で答えが無数にある問いだからこそ、それぞれの信じるものを受け入れる懐の深さは重要な資質ですね。
カモミールの純粋な優しさは救いとなる答えになったようです。