第36話 砂上の奇跡

 夜の廃墟は物悲しく、影が濃い。小さな声もいやに響いた。


「街全部が、奇跡で作られたもの……?」


 僕の説明を、呆けたようにカモミールが繰り返す。未だ信じられないのがありありと伝わってきた。

 実際、僕もそうだ。自ら調査せず、誰かから聞いたのなら信じなかっただろう。

 風が冷たい。沈黙は重い。


 それを破り、シャロはあっけらかんとした調子で呟く。


「あれが偽物かぁ……奇跡とか聖人ってホントにチートじゃん」

「偽物ではないだろう。奇跡の結果、神の御業なのだから、本物以上に本物だ」

「ああ、うん。それはそうだね」


 なにやらシャロに引き気味の顔をされたが、まあいい。異世界からの来訪者かつ独自の信仰もあるが故に、神や信仰の話は難しいようだ。

 気にせず話を続ける。


「しかしあの様子では自分が聖人だと自覚していないのだろう」

「うん。話が全然合わないから記憶喪失とか街ごと転移とか色々疑ってたよ」

「そうだ。そもそも彼女はここが何処なのかを認識していない」


 シャロの言に深く頷く。

 問題と謎は奇跡だけではないのだ。それとシャロの考察や発想は興味深かったが掘り返すとややこしくなる。惜しい。


「何があったのか、想像でしかないがな」


 前置きをし、一呼吸。

 別れている間に推測し整理した内容を語る。


「陸鮫への態度を考慮すると、街と部下を賊の襲撃で失った……というところだと思う。悲しみに暮れる彼女だったからこそ神は慈悲を与えたのだとすれば、筋は通る」

「でも異端審問されたんだよね? なんで?」

「ああ。責任をとらされたか、手引きを疑われたか、その辺りだろう」

「うーん、嫌な話」

「とはいえ決めつけるのは良くない。ほかにも可能性はあるし、実際に異端者か罪人かもしれん」


 僕は淡々と述べる。

 あくまで可能性だ。あらゆる可能性を想定したつもりで、それでも想定外はある。それを把握しておかなければ研究者は務まらない。

 聖人であるからには異端者の可能性は低いと思う。

 ただ、厳密に言えば、そもそも奇跡が神から与えられた加護、というのも仮定でしかないのだ。

 内容が内容であるせいか、重い。嫌な静けさが辺りに漂う。


 その中で、カモミールがポツリと言った。


「マラライアさんは一人ぼっちなの?」


 目が揺れていた、それから耳や尻尾も垂れる。

 悲しそうに。慈愛を向けるように。カモミールは彼女を案じていた。


 自分達への安全や理由より、マラライアの身を優先する。

 理屈を優先しがちな僕に、違う視点を気付かせてくれる。得難い資質だ。

 褒めるように優しく応じる。


「そうだな。心配か」

「うん」

「優しいな」


 ゆっくりと頷き返す。

 ただし、保護者の立場上、警戒は僕の役目だ。心苦しくも厳しい言葉を言わねばならない。


「ただな、同情は余計かもしれん。本人がこの状況に幸せを感じているのなら、他人が口出しするのも難しい」

「そう、なのかな……」


 カモミールは悲しげに顔を伏せる。納得していない。

 それでいい。

 結論は拙速に出さない方が良いのだ。


「うーん、幸せな幻想か厳しい現実か、って話か……共感する人も多いタイプのラスボスの野望じゃん」

「そんなの、選ぶまでもないでしょ。幸せな幻想を振りまくのは私達の仕事なんだから」

「うわ確かに。オレ、プロ意識足りてなかったわ」

「シャロが昔言ったんじゃない」

「……そうだっけ?」

「忘れたの!? 大事にしてたあたしが馬鹿みたいじゃない!」

「ありがとう。いやオレって愛されてるね〜」

「……もう!」


 シャロとサルビアは二人ならではの視点で語る。これもまた面白い視点だ。かけ合いは痴話喧嘩に発展したが。


 それはともかく。


「まずはマラライアを確認しに行こう。推測ばかりではなく、正確に実情を把握すべきだ」

「うん」

「え、何処にいるか分かる?」

「街が消えようと、本人の位置に変化はないはず。つまり騎士団の営舎があった場所だ」


 僕達は並んで歩いていく。

 草原の夜、月と星の灯りは弱い。

 冷たい風が吹いた。

 静かで、誰も喋らない。空気が沈む。嫌な雰囲気だ。目的地まで僅かな時間なのは大いに助かった。


 着いた先もまた、廃墟である。

 崩れた壁。転がる瓦礫。草だらけの床。動物の痕跡。少し前まで立派な建物だったとは思えない。

 そして土に汚れた段の上で、マラライアは寝ていた。


「そんな……」


 カモミールは息を呑んだ。青い顔で声には力がない。


 マラライアはゲッソリと痩せていた。

 薄い粗末な服。鎧や剣は当然ない。

 これが、奇跡のない彼女本来の姿。

 勇猛な騎士の面影はなく、重い病床に伏しているように見えた。


「これって、奇跡の代償とか?」

「待て。調査が先だ」


 シャロの推測はもっともだが、断定は早い。

 手早く魔術を展開。魔法陣で包む。

 寝ている女性に勝手な事をしているが、勘弁してもらいたい。命に関わるのなら、一刻も早い処置が必要なのだから。

 結果としては、ひとまずは安心。だが問題がないとは言えない。


「これは、ただの栄養不足だな。食事も作られた幻想であったせいで、実際はしばらく食べていないも同然だったのだろう」

「え、じゃあ、それってさっきオレ達が食べたのも? あ、確かに腹減ってきたかも。いや、うん、今空腹だね。え、怖!」

「あ! 髪飾りもないじゃない!」

「うう……」


 三人はそれぞれに異変を把握して慌て出す。

 周囲の変化が異様過ぎてそれどころではなかったか。

 奇跡の影響範囲は思った以上に広い。

 街で過ごした間に接触した物も、全てが消えていた。


「それと、解除の引き金は眠った事のようだな。夢が鍵だ。名付けるなら夢想の奇跡といったところか」


 分析を続ける。

 過去の聖人達の奇跡にはそれぞれ特徴があった。

 “始まりの聖人”には、人々に恵みを与え救う、救済の奇跡。

 “純白の聖人”には、罪人を捕縛する、断罪の奇跡。

 比較検証すればある程度は奇跡の構造が見えてくるはずだ。


 それに加えて、“解析アナライズ”で直接の調査も出来る。例え理解に至らずとも奇跡に近付けるのだ。

 滅多にない機会に心が揺れる。

 それどころではないとわかっていながらも。


「それより、早く助けなきゃ」


 カモミールは悲痛な面持ちで再び訴える。

 やはり優しい。

 先程も言ったが、同情というものは、時として傲慢になり得る。

 であっても、純粋な願いは尊い。


「放ってはおけないか?」

「うん」


 カモミールは僕の目を見つめ返してくる。

 実態を見て、より助けたい気持ちが強くなったようだ。


「事実を教えれば何が起こるか分からない。苦しむかもしれない。奇跡の力を失うかもしれない」

「だったら尚更助けなくちゃ」

「そもそもどう教える? マラライアが起きればまた奇跡は発動する。その状態では幾ら説明しても信じないのではないか?」

「やる前から諦めちゃダメだよ」

「奇跡の力があるからこそ、陸鮫に対抗出来ているんだ。もし奇跡がなくなれば危険だ」

「そっちの人達も助ける。ダッタレさんみたいに話をして、止めてもらう」


 意志は硬いようだ。一切引かない。

 カモミールの案は、言うまでもなく困難。

 説得に応じる可能性は高いと思えない。

 ダッタレを改心させられた理由は同じ神を信仰していた、という点も大きいのだ。異なる宗教体系の人間ではまた話が変わる。

 だが話し合いを軽んじるべきでないのは確か。

 完全否定はすまい。

 いざとなれば、非情な選択と手を汚す覚悟も必要となるか。


 そんな内心を隠しつつ、カモミールに最後の問いをかける。


「急がなくていいのか? 早くローナとグタンに会いたいのだろう?」

「我慢する。マラライアさんを放ったまま、先には行けないよ」


 落ち着いた声、それに反した悲しみに耐えるような眼差し。試すように見つめ返しても、真っ直ぐ逸らさないまま。

 やはり決意は強い。

 我慢せずに自分の幸せを優先すべき。とは言ったが、他者を助けたいという、これもまた己の優先すべき欲ではあろう。

 ならば尊重しよう。


「そうか。決まりだな」






 翌日、昼。雲がゆったりと流れる穏やかな晴れの日。

 奇跡の力により整った体と身なりに戻ったマラライアと、僕達は再会した。

 その彼女は怪訝な顔で尋ねてくる。


「これはなんだ?」


 場は再び騎士団の営舎。

 兵士に「マラライア殿と話がしたい」と言ったら簡単に通されたのだ。が、それにしては妙な状況だった。


 テーブルには料理が並べてあった。

 魚のスープ。肉の串焼き。果物。

 こちらは流石に苦言を呈されたが、無理を通させてもらった。


「賄賂のつもりではないだろうな?」

「まさか。昨日のお礼ですよ。是非我々の故郷の味を知って頂きたいのです」

「いや、受け取る訳にいかない。当然の事をしたまでだ」

「でしたら、こちらのお礼も当然の事です」

「……そう言われては立つ瀬がないな。……分かった。頂こう」


 渋っていたが、最後には席に着く。

 食事が始まった。

 正真正銘、実物の食べ物を食べてもらえた。

 ひとまず第一の課題は成功。栄養を補うよう、薬も混ぜてあるので多少は改善されるはずだ。

 横目でカモミールを見て、笑って頷き合う。

 味は好みにあっただろうか。感想はなく、静かに礼儀正しく食べている。騎士としての作法は素晴らしい。

 生真面目な会食は彼女の性格がよく伝わった。


 頃合いを見計らい、提案をする。


「我々はこの街で歌劇を上演します。貴女も観劇していかれませんか」


 肉体の不足を補えば、次は心の傷に向き合うのだ。

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