第30話 聖女様ご乱心

 偵察に行ったカモミールが上から降りてくる。ゆっくり、慎重に。安全第一は重要だ。感情に呑まれないようになったのなら喜ばしい。

 ふわふわと木漏れ日の間を抜けてくるのは幻想的な光景ですらある。


 しかし、着地したカモミールは、様子が少々おかしかった。


「あれ、皆は?」


 キョロキョロと辺りを見回す。瞳は不安げに揺れ、耳や尻尾も元気がない。

 僕達が見えていないのか?


「カモミール? 何を言っている?」


 近寄って声をかけるも、返事はない。目の前で手を振っても無反応。

 あらゆる感覚に異常が見られた。

 どうやら上空で何かがあったらしい。早く原因を突き止めなければ。


「“展開ロード”。“生物研究サンクチュアリ”、“分析アナライズ”」


 素早く魔術を展開。

 カモミールを多重の魔法陣で囲む。


「やっ!」


 が、カモミールは逃げてしまった。

 工房魔術は戦闘用ではなく、研究や作業用の魔術。非協力的で素早い相手には向いていない。魔法陣の展開そのものから逃げられれば、無用の長物になってしまう。

 妖精の魔力適性、獣人の身体能力。どちらも兼ね備えるカモミールとは相性が悪かった。


「なに? 誰!?」


 声高く誰何。

 身構え、毛を逆立て、見えない相手に対して警戒している。

 完全に敵意あるものとして認識されていた。非常にまずい。


 膠着状態の最中、シャロが話しかけてくる。


「カモちゃん、幻覚でも見てる? 上で変な虫に刺されたとか?」

「その類だろうな」


 苦々しく同意。ただ強い動物ならば問題なかっただろうが、搦め手は難しかったか。

 本人を調べられない以上、原因の方を探して調べなければならない。


 カモミールが降りてきた付近を見上げる。

 すると樹上に鮮やかな花が咲いていた。


「あれか? “展開ロード”。“人形工房ゴーレムドック”、“変形トランスフォーム”」


 ファズの腕を長く変形させる。上へぐんぐん伸ばし、花を切らせて回収。再び変形させ、地上まで降ろす。

 早速分析するべく魔術を展開。

 

 しようとしたところ、カモミールに動きがあった。

 認識出来ない敵の探索を諦めたか、振り返って森の奥へ進みだしたのだ。


「うおおい、カモちゃん待って!」


 シャロが追いかけてくれた。

 全力疾走で回り込み、手を広げて道を塞ぐ。

 すると立ち止まってくれたが、顔つきには怯えと警戒の色が表れていた


「皆は何処?」

「ここにいるよ!」


 必死なシャロの答えにも、険しい顔のまま。

 やはり会話は成立しない。

 睨み合う両者。

 やがて見切りをつけたか、シャロを軽々と飛び越えた。羽を広げ、矢のように去っていく。


「ペッさん、どうする?」

「……先行して追いかけてくれ。僕はまずこれを調べる」

「オッケー」


 別れるのは危険を伴う。

 が、この事態、危険はある程度呑み込まねばなるまい。

 シャロとサルビアは足早に駆けていった。


「”展開ロード“。”生物研究サンクチュアリ“」


 僕は僕で調べる。

 やはりこの花、花粉には幻覚作用があった。

 かなり強い。魔力も持っていた。

 とはいえ、サンプルがあるので解毒薬は生成出来る。

 が、問題はそれをどうやってカモミールに投与するか、だ。


 僕を認識出来ず、魔法陣さえ警戒されては、逃げられてしまう。

 経口投与。刃物に薬を塗って傷口から。霧状にして散布。

 あの状態では、どれも成功する未来が見えない。


「……ファズ、とりあえず進んでくれ」


 岩の体の上に登り、運んでもらう。

 揺れる中でも集中して作業。薬を作りつつ、方策を考える。




 先行する二人に追いついた時、カモミールはなにやら一人で話していた。

 不思議な会話。僕達からすれば、滑稽に写る。

 今なら隙があるのだろうか。


「ファズ、止めてくれ」


 僕は降りて、ファズだけを向かわせる。

 慎重に、刺激しないように。


 しかしカモミールは顔色を怒りに染めてしまった。


「もう! 邪魔しないで!」


 強い気迫。戦意。

 風を切って踏み込み、槍を振り払う。


「やああっ!」


 強烈な一撃。

 ファズは木々をへし折りながら吹き飛ばされた。

 岩の重い体であっても無関係。力はカモミールの方が上だ。ゴーレム作成の未熟さを深く実感しつつ、修復を始めた。


 シャロは顔を引きつらせて、しかしあくまでおどけた調子で言う。


「……今更だけどカモ様強過ぎない?」

「ははは。それはそうだ。なんせあの二人の子供だからな!」

「笑ってる場合じゃ……いや笑うしかないよね、こんなの」


 二人、引きつった笑いが浮かぶ。

 味方の強さがこうも仇になるか。気まずい空気が流れた。


 そこに、底冷えするような声。


「真面目に考えなさいよ」


 サルビアだ。

 僕達を鋭く睨む。静かに、しかし激しく怒っている。


「面目ない」

「ごめん。でもふざけてたわけじゃないよ?」

「だったらさっさと考える!」


 凄い剣幕のサルビアには敵わなかった。

 カモミールへの強い心配が見える。身を案じ、助けたいと願っている。随分仲良くなったようで、それは嬉しい。

 遠慮なく僕だけでなく、二人の力も頼りにさせてもらおう。意識を切り替え、検討に入る。


 二人と言えば、歌、演奏。

 地獄耳。動物の嫌がる音。

 それらが使えるかどうか。

 いや、シャロには、他にも。


「シャロ、悪魔の力は使えるか?」

「え? どんな風に? 治療とか無理だよ? 音楽関係だけだもん」

「理外の力ならば幻覚に邪魔されずに届くかもしれん。僕達の言葉が正しく伝われば治療の助けになる」


 カモミールは今、幻覚により五感が異常な状態となっている。それでいて魔力感知は鋭いまま。助けようとする行為が、どれも危険と認識されてしまう。

 だが悪魔はどうだ。

 未知の塊。異次元の存在。

 今のカモミールにも通る可能性は大いにある。

 無論、やはり全く効かない可能性もあるのだが。


「そうだね。まー、とりあえずやってみようか。試行錯誤は大事だしね」


 強気に笑って、シャロはハープを取り出した。

 演奏の前に、軽くサルビアと打ち合わせ。


「うーん。メッセージ性の強いやつがいいかな。……よし、サルビア。『カルロッタの子守唄』で」

「分かったわ」


 指が緩やかに動く。演奏が始まる。

 相変わらず見事。清らかな音色が耳に心地よい。


 ──ああ、私の可愛いあなた。夜を怖がらないで。


 歌も素晴らしい。

 自然と瞳が潤む。感情が大きく揺さぶられる。現状が現状だけに入り込めないのが残念。


 ただ、肝心のカモミールには届いていないようだ。


「待って! ちゃんと説明して!」


 何が見えているのか。

 何かに誘われるように、奥へ奥へと飛んでいく。


 追いかけながら、作戦は続行。

 修復途中ではあるがファズに二人を乗せ、僕は走って追いかける。落ち着かない舞台で申し訳ないが、働きに期待する。




 カモミールは何事か言いながら、進んでいく。

 声からすると、随分愉快な景色が見えているようだ。楽しそうなのは良いが、油断出来ない。

 歌は続くが、やはり聞こえていない様子。


 その内、遂に立ち止まった。

 目線の先にあったのは、花だ。

 巨大で、花びらの中心には深い穴。魔力も感じる。不吉な気配も。


「“展開ロード”。“生物研究サンクチュアリ”」


 急いで調べた結果は、最悪。

 穴の内部には消化する性質がある。

 食虫植物のように、カモミールを食べるつもりなのだ。

 更に消化した栄養は土に溶け、周囲の他の植物にも吸収される。幻覚の花と共生関係にあるようだ。


「全く。警戒を怠る訳にいかんな……!」


 好奇心と焦燥。感情が混ざった声がどうしても漏れた。

 研究対象としては興味深いが、身内が被害を受けるとなれば話は別だ。


 しかし焦りの中にも希望はあった。

 カモミールは食人植物の手前で留まっている。何か警戒している。幻覚も本能までは抑えられないのか。

 とはいえ、時間の問題。

 幻の存在と話をする内に納得してしまうかもしれない。


「早く他の方法も考えなければ……」

「待ってペッさん。これで準備整ったから」

「今までが準備だと?」

「うん。やっと契約料払い終わった。ベルさんの悪魔に酒とかお供えしたみたいな?」


 ファズから降りた二人は素早く姿勢を整えている。立ち姿すら美しい。自信に満ちたに雰囲気、僕の焦りが薄れていく。


 悪魔との契約。

 ベルノウのシュアルテン様に酒と宴を捧げれば、力を得られる。

 シャロの悪魔に音楽を捧げれば、引き換えに力を与えられるという訳だ。


 事実シャロから、異質な魔力が発された。

 興味を引かれる。が、今は我慢だ。

 なにしろ、カモミールが羽を畳み、穴に向かっていこうとしたのだ。

 時間を稼ぐべく、急いでファズを走らせる。


「もう! またなの!?」


 頬を膨らませるカモミール。尻尾は立ち、毛が逆立っている。

 また槍を構えた。精霊魔法も用い、攻撃態勢。

 気を引き付けられたのなら良し。ファズは腕を前で交差し、防御姿勢。覚悟し、構える。

 ただ、カモミールが攻撃する前に。


「いける? そう? じゃあよろしく」


 シャロのこれは悪魔への台詞か。

 気負わず、普段と変わらない態度。

 そして、本番が始まった。


 ──私はここにいるわ。安心してお眠りなさい。


「……え?」


 遂にカモミールに反応があった。

 驚きと迷い。

 闘志は霧散し、困惑が見える。槍を下げて、頭を抱えている。

 何事かを呟き続け、幻と現実のせめぎ合いの只中にいた。

 それから、自分に出来る事を考えたらしく、行動を起こす。


「精霊さん。お願い」


 精霊任せの魔法行使。

 以前に教えた事を実践したようだ。

 優しい風がカモミールの周りを吹く。こちらに害はない。花粉を少しでも取り除こうとしているのだろう。

 少しは効果があるのか、呼吸も落ち着いて魔力の乱れも減った。


 ──ああ、怖がらないで。わたしはここよ。何処にも行かないわ。


 確かに歌からは安心を得ている。表情が良い。

 横を見れば、顔をしかめた。警戒の色だ。

 優勢の状況に期待しつつ、油断しない。目を光らせて観察。


 また何かと会話するような仕草の後、幻影を振り払うように、カモミールは声を発した。


「ね、あなたは誰?」


 意を決した笑顔が向く。

 警戒が解けたようだ。

 サルビアの歌が確かに届いている。状況に疑いを持ち、こちらに友好的になってくれた。

 今こそ“生物研究サンクチュアリ”を用い、状態を確認。

 ビクッとしたが、今度は大人しく受け入れている。おかげで診断出来た。深い部分までの影響はなく、作った薬は有効だろう。


「わたしは敵じゃないよ」


 未だ優しく微笑むカモミール。

 これなら治療も可能だろう。

 再び魔術を使用。解毒薬を霧状にして散布する。

 一瞬怯えが見えたものの、カモミールは立ち止まったままだ。顔は苦しげだが、耐えている。

 

 やがて薬が効いたか、力を失ったように倒れかける。


「カモミール!」


 駆け寄り、優しく支える。

 安らかな寝顔。再度魔術で調べれば、異常はない。健康体だ。


「ふう、なんとかなったか……」


 僕も安心して力が抜けた。

 助けられて、本当に、良かった。






「ごめんなさい……」


 目覚めたカモミールはしゅんと頷いて謝った。尻尾も力なく垂れている。


 起きてすぐは僕達と抱き合って喜んでいたが、ずっと幻覚に囚われていたのだと説明したところ、こうなってしまった。

 深い罪悪感の中にいるのだ。

 善良なのは素晴らしい。しかし過ぎるのは毒だ。

 自分が悪いという気持ちは成長にも繋がるが、破滅にも繋がる。


 僕はしゃがんで、見上げるようにして目を合わせる。優しく。


「そう自分を責めなくていい。カモミール、これは仕方がなかった事だ」

「そうだよ。オレ達はなんにも困らなかったよ」

「今は笑いましょ。皆で助け合ってこそ幸せ、でしょ?」

「皆……」


 顔をあげるカモミール。未だ不安げだが、多少は明るくなった。

 落ち着いたところで頭を優しく撫でれば、目を細めて受け入れてくれる。


 シャロがサルビアに目配せ、そしてハープを持ち上げる。


「それじゃあ一曲」

「幻にも負けない楽しさをあげるわ」


 森に響き渡るのは、跳ね回るような楽しげな旋律。弾むような軽やかな歌声。

 シャロが演奏し、サルビアが歌う。黄金の組み合わせ。

 失敗しながらも明るく笑い飛ばし、やがて大勢の人間を救う、物語性のある歌だ。一件落着に相応しい。


「……あははっ」


 聞く内に元気を取り戻し、カモミールは目いっぱい笑ってくれたのだった。

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