第25話 悪魔の花嫁

 どうして?

 どうしてベルノウさんが?

 あの笑顔は嘘だったの?


 わたしの頭は混乱していた。ぐるぐると迷いや疑いばかりが思い浮かんでしまう。

 悪魔とベルノウさんはどんな関係なのか。

 気持ち悪くて気分が沈んでいるのは、きっとお酒の雨のせいだけじゃない。


 体が重い。

 心も重い。

 集中出来ない。

 アブレイムさんが倒されてしまった今、悪魔を抑えられるのは、皆を守れるのは、わたししかいない。

 でも、このままじゃ負けてしまうかもしれない。

 槍で受けても、勢いに後退させられる。すぐに距離を詰めるけど、また攻撃に吹き飛ばされた。

 地面は滑る。空も雨が強くて上手く飛べない。

 精霊魔法も、弱気のわたしをあんまり助けてはくれない。風で雨を吹き飛ばそうとしてるけど、なかなか上手くいかなかった。


 おかあさんとおとうさんから血肉を受け継いで、色んな事も教わってきた。

 だからわたしは強くて、負けない。そのはずなのに、上手く使いこなせない。そのせいで皆もピンチだ。

 不安はどんどん増していく。


 わたしには、やっぱり聖女なんて──


「ベルノウは味方だ! 安心していいぞ、カモミール!」

「本当!?」


 思わず大きな声をあげた。

 沈むわたしに、自信に満ちた声が届いたから。

 余所見は危ないけど悪魔から目を外し、ペルクスを見る。

 大きな期待。迷いから抜けられる答えを求めた。この戦いの理由を、ベルノウさんを信じてもいいという安心を、安心して皆を守る為の勇気を。情けないかもしれないけど、それでも。

 ペルクスはやっぱり、自信満々で強気に笑っていた。


「ああ! これは事故のようなものだ! ベルノウの優しさは、決して嘘ではない!」

「うん、分かった!」


 ペルクスの言葉なら信用出来る。いやすぐに信用した。間違いない。

 ベルノウさんは味方。優しさは嘘じゃない。

 言葉を繰り返す。胸の内に響かせる。


 だったら、大丈夫。わたしは頑張れる。勇気が持てる。

 明るく晴れた気持ちで笑い、高らかに呼びかけた。


「精霊さん!」


 精霊の皆が強く力を発揮するのを感じる。

 弱気だった時には少なかったけど、応援してくれている。応援したいと思わせられる心になったからだ。


 大きな力を借りて、巻き起こす風。周りを渦みたいに吹いて、結界みたいに守ってもらえた。

 雨は届かないし、濡れた体と服も乾く。

 万全な状態。もう弱気は吐かない。


 急加速して、ハンマーとぶつかる。

 力負けしない。互角の力比べ。

 押し合って、間近で暗い視線と合った。怖さを払い、ぐぐっと力を込める。

 悪魔の方が雨で滑った。押しきれそうな状態に、更に気力を増して押す。


 この隙にチラリとベルノウさんを見た。近くで戦いになっているのに、幸せそうに無傷で笑って歌っている。確認出来て、嬉しい。

 だけど、たちまちハンマーの圧が強くなる。そのまま強引に振り抜いてきたから、一度距離をとった。空振りで爆発したみたいに雨が弾ける。

 見ただけでここまで強くなった。

 やっぱり悪魔は過保護なまでに護ろうとしている。大切な人なんだろうか。


 でも、それはわたしも同じだ。

 ベルノウさんは優しくて、温かい。おかあさんやおとうさんやペルクスと同じくらい、好きな人だ。大切だ。


 同じ気持ちなのに、どうして戦っているんだろう?


「そうだよ。味方になれるでしょ……!」


 相手に声は届かない。代わりにハンマーの打撃。

 避けて、避けて、受ける。

 重い。強い。しびれる。

 苦しいけど、でも。


 大きく息を吸い込む。

 風のおかげで綺麗で清々しい空気。頭がスッキリする。

 ちょっと怖い。でも決めた。


「……やああああっ!」


 空に逃げれば、ペルクス達の方に行かせられない。つかず離れず、接近戦にする。悪魔をわたしに引きつけておく。


 きっと、ペルクスがなんとかしてくれる。

 この闘いが誤解なら、倒さなくても解決出来る。

 だから、時間稼ぎのままでいってみる。


 悪魔はずっとわたしを見ている。ペルクス達の方にも攻撃する様子はない。

 これなら大丈夫そうだ。安心。

 ベルノウさんに呼びかけながら、戦い続ける。

 防ぎ続けるのも簡単じゃない。

 頑張らないといけない。

 そう気合いを入れて、改めて精霊魔法を使おうとした。


 すると。


「うおおおぉっ! ヨイツクヨイツクヨイヨイヨイヨイッ!」


 悪魔に向かって、おかしな事を言いながら突っ込んでいく人がいた。

 ダッタレさんだった。

 何故かベルノウさんと同じような服に着替えていた。アブレイムさんからの傷があったのに、もう起きても大丈夫なのかな。

 ううん、きっと無理をしている。

 力を振り絞って、必死の形相で悪魔の邪魔をしようとしているのかもしれない。

 危ない。助けようとする気持ちは嬉しいけど、止めて欲しい。

 だからわたしも必死に叫んだ。


「逃げて!」


 だけど、ダッタレさんにハンマーは振るわれなかった。攻撃はわたしにだけ。

 ダッタレさんはベルノウさんにまで無事に辿り着く。

 どうして?

 呪文みたいな声のせいなんだろうか。

 ダッタレさんはこちらを見て、叫ぶ。


「聖女様すみません! 遅れました!」


 そう言ってベルノウさんを無理矢理抱きかかえて去っていく。

 やっぱり、わたしの為だった。無事ならいいけど、複雑な気持ちだ。

 引っ込んでいくダッタレさんに、やっぱり悪魔は攻撃しない。守りたがっていたベルノウさんを連れていったのに。

 安全なのはいいけど、よく分からなくて不安になる。

 

 と、少し注目し過ぎていた。

 殺気。

 すぐ前にハンマーの圧が迫る。危ない。急いで避けないと。


 そう思ったら、悪魔は弾かれた。


「良い活躍です。及第点といったところでしょうか」


 次はアブレイムさんの登場。

 布で顔を覆い、更に精霊魔法でお酒に対抗している。

 そしてやっぱり服はベルノウさんと同じもの。

 杖さばきは相変わらず。強烈なハンマーも斜めに受け流した。


 それで悪魔は止まる。

 睨んでいるだけで攻撃はない。

 むしろわたしを見ている。アブレイムさんの横を通ろうとして、でも通れない。アブレイムさんがすかさずキレの良い動きで立ちふさがったから。悪魔は攻撃せず、いや出来ずに困っているみたい。


「しかし、一人で戦おうとしてはいけません。人間が一人で為せる事など、たかが知れているのですから。ほら、あちらをご覧ください」


 アブレイムさんも傷や泥にまみれて、でも戦っている。それぞれが力の限りに。

 わたしだけが頑張る必要はないんだ。

 指し示されて、改めてペルクス達の方を見る。


「皆!」


 ペルクス、シャロさん、サルビアさん、それから初めて見るお爺さん。

 やっぱり皆、何故かベルノウさんと同じ服に着替えている。それから、たくさんのお酒を用意して、太鼓を叩いていた。

 風の音で今まで聞こえなかったけど、意識すれば演奏が響いてきた。

 その太鼓のリズムには聞き覚えがある。


 とととんとん。とっとととん。

 とととんとん。とっとととん。


 これも、ベルノウさんがしていた演奏だ。

 しかも実際の人数より遥かに多い人が叩いているみたいに響く。魔法だろうか。ペルクスはシャロさんと音楽の魔法の道具を作ろうとしていたから。


 どんどん大きくなっていく音に、悪魔も反応していた。

 目を見開いてキョロキョロと顔をあちらこちらに動かしている。

 アブレイムさんと目が合えば戸惑ってるみたいな、向こうの皆には穏やかに見守るみたいな、そんな感じだ。


 だけどわたしを見る時だけは、敵意はそのまま、ハンマーを持つ腕もしっかり力を込めている。

 まだ、油断出来ない。


「カモミール」

「ペルクス……え!」


 ペルクスの声に応じて振り向いたら、驚いた。

 そこにいたのは木のゴーレムだったから。樽を抱えて、肩に服をかけている。


「驚かせて済まない。魔術で話しているんだ。それより手短に話す。やはり理解出来る部分が増えた。この儀式祭りによって悪魔との繋がりが出来たせいだろう。だがベルノウは正常ではない。まだ悪魔憑きの影響がある。そこで悪魔との繋がりを足すべく、供物を捧げる事にした」


 説明は難しい。とにかく服や太鼓に意味があるみたいだけど、急いでいるせいか色々足りない気がする。

 だけど、樽を見て意味を察した。


 悪魔にお酒を飲ませればいいんだ。


「わかった。行ってくる!」

「待て民族衣装を……」


 ペルクスがなにか言う前に、樽を抱えて、悪魔の下へ。

 重いけどへっちゃら。わたしはおとうさんの娘だから。

 すぐに悪魔の前まで来て、アブレイムさんが横にずれてくれたから、頼みながら差し出す。


「飲んでください。お酒です」


 じっと見てくる。睨んでくる。

 怖い顔。まだ警戒が残っている。わたしはまだ敵だと思われている。

 安心させる? もっと仲間だという証拠がいる?

 でも、いい加減黙って待っていられない。


「飲んで! お願い!」


 抱えた樽ごと口元に突きつける。強引に押し付けようとる。

 怒らせるかも、とは後で思ったけど、考える余裕はなかった。わたしも疲れて、怒っていたから。


 すると。

 悪魔はハンマーを振るった。

 やっぱり拒否。攻撃。

 わたしは樽を抱えたまま、大きく後退する。そこを悪魔は追いかけてきて、連続攻撃。全然飲んでくれない。


「だったら、わたしも……!」


 決意して、加速。急加速。風の力を借りて、一気に高速へ。鳥よりも矢よりも速く。

 迎え撃つハンマーが迫る。

 痛い程の敵意。圧力だけでビリビリ肌が振動する。

 集中して、周りがゆっくりに見えた。

 空気の裂ける音も間延びして。

 当たれば命取り。ドキドキと激しく心臓が暴れる。


 緊張の一瞬。覚悟の突進。

 わたしはギリギリで樽を上に放り投げて、自分は下へ潜った。地面を滑るみたいに。

 直接当たらなくても風圧だけでも強い。涙が出そうで、肌が痛い。


 激しい一瞬が過ぎ、無事に背後へ回った。

 だけど、終わりじゃない。


「精霊さん、下に!」


 精霊魔法。

 投げた樽を風で落とす。同時にわたしは地面に落とさないよう、方向転換してジャンプ。両手で受け止めて上下を逆に。

 そして、お酒がたくさん入った樽を、被せるように叩きつける。

 悪魔の口どころか顔全体へと、無理矢理に。


「やああっ!」


 樽ががぼんとはまった悪魔は動きを止めた。敵意が消えてハンマーも地面に落ちる。


 そして。

 ごぼぼ。ずずずずず。

 音を立てて、樽を被ったまま、お酒を地面に落とさず凄い勢いで飲んでいる。

 ややあって、樽は破裂。顔を出した悪魔はげっふぅと豪快にげっぷし、手で口を拭う。

 それから、笑った、んだろうか。口元を緩める。


 これで、いいのかな?


「よくやったカモミール、ベルノウが気付いたぞ!」


 振り返って奥を見れば、ベルノウさんが起きていた。

 嬉しくて飛びつきたいのを我慢して、この場で胸を撫で下ろす。


「……あれは」


 上半身を起こしたベルノウさんは悪魔を見つける。

 そして、怒った顔で叫んだ。


「もう! なんで出てきているのです!?」


 悪魔の体がビクリと跳ねた。

 悪戯が見つかった子供みたいに。または、ビックリした仔猫みたいに。

 腰に手を当てるベルノウさんは、やっぱり子供を叱る母親みたいだ。


 それから立ち上がり、皆を見回して、深刻な顔で謝った。


「皆、すみませんなのです。シュアルテン様がご迷惑をかけてしまったのです」

「シュアルテン様?」

「そうなのです。私の故郷を守ってくれていた守り神様なのです」


 皆が呆気にとられる中、ベルノウさんは足早に進んでいく。


「一体どうしたのです?」


 シュアルテン様の声に耳を傾ける。

 漏れ聞こえてくる言葉は聞いた事もない言語だったけど、ベルノウさんは理解していた。


「……ああ、私達を守ろうとしたのですか。それは感謝するのですが、でも、この皆も仲間なのです。ここは安全なのです。もう守ろうとしなくていいのですよ」


 優しく語りかければ、頷きが返る。

 悪魔らしかった怖い顔も、今では荒っぽいおじさんみたいな笑顔。すっかり大人しくなった。

 そして、フッと魔法陣を残して消えた。


「もう一度、謝るのです。皆に迷惑をかけてしまって、どうもすみませんなのです」


 深々と頭を下げるベルノウさん。心から辛そうに悔やんでいた。

 だけど、わたしはベルノウさんのせいだとか責める気はなくて、安心して抱きついた。すると「怖がらせてしまったのですね」と頭を撫でてくれた。

 これでもう大丈夫。また平和だ。


 と思ったそこに、アブレイムさんが割り込んだ。

 出来る限り汚れを落として、姿勢や声も整えた、礼儀正しい出で立ちで。


「謝るだけでは許されません。しかるべき罰や償いが必要です。さあ、あなたの決断が求められていますよ、聖女様」

「え……うん」


 どうしてこんな時まで厳しい事言うの?


 真剣な顔でわたしの決断を求めてくるアブレイムさんにはモヤッとしたけど、確かに必要なんだろう。

 わたしは考える。

 考えて、考えて、でも、頭が上手く回らなかった。わざとじゃないし、でも皆大変な目にあったし、難しい。答えは出ない。

 だから、そのまま言ってしまう。


「皆大変な目にあって疲れてる。だから……それはまた明日! 今日はもうおしまい!」

「はは! それはそうだ、明日にしよう!」

「残業はんたーい!」


 わたしの言葉には、笑いと共感の声。アブレイムさんまでも認めてくれた。

 こうしてとりあえず悪魔の騒動は解決したのだった。

 その後始末は、疲れて眠ってしまったから、よく覚えていない。

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