第23話 良い宵良い酔い良い月酔い尽く

 いきなり寒気が走って、わたしは目が覚めた。

 それから、なにか凄い音と揺れがする。なにか、不吉な事が起きたみたいだ。


「なに……?」


 わたしは心配になって慌ててテントを飛び出す。外に立てかけてあった槍も持っていく。

 音がした方に行くと、そこには。


「え、これは……?」


 荒れた地面。破れたテント。傷と汚れが目立つペルクスとシャロさん。


 そして、知らない人がいた。

 見た感じは赤ら顔のおじさん。筋肉が凄くて、動物の毛皮そのままみたいな服装。首には蔓草を巻いて、鎧みたいに木の板を身に付けている。手には大きな木のハンマー。

 これだけなら変な格好の人。

 だけどそれだけじゃない。

 嫌な気配を感じる。近くにいるだけで鳥肌が立つ。不気味だ。


 しかも、その人の奥には、まだ倒れている人がいた。


「ベルノウさんっ……!」


 危ない。助けなきゃ。

 慌てて走って助けようとする。


 すると、ペルクスが血相を変えて叫んだ。


「待て! 違う、来るな!」


 だけど止まれない。

 そのまま進んじゃって、その前に影が割り込む。


「わ!」


 強烈な悪寒。不気味な人がハンマーを振ってきた。

 なんとか避けられたけど、凄い風圧。もし当たったいたらと思うとゾッとする。

 やっぱり危険な存在だ。仕方なく、一旦諦めて下がる。

 ペルクスが近くに来て説明してくれた。


「カモミール。あれは悪魔だ」

「悪魔?」


 なんで?

 ペルクスが言うなら本当なんだろうけど、いきなりの事に信じられない。でも、あの嫌な感じは悪魔と言われれば納得だ。


「ベルノウさんは大丈夫なの?」

「心配要らない。見てみろ、危害をくわえるどころか、守っているだろう」


 確かにそうだ。

 私に殴りかかった後、後退してベルノウさんの前に戻っている。何故か。


「これは排除しなければなりませんね」


 後ろから来たのはアブレイムさんだ。

 ピリピリした雰囲気から悪魔への敵意が満ちている。臨戦態勢。

 今は必要な態度かもしれない。

 だけど、わたしは嫌だ。


「止めて。そう言ったでしょ」

「ではどうしますか。話し合えますか?」

「やってみる」


 危険だけど、だからといって止めたくない。

 息を吸って、吐く。

 気を付けながら、ゆっくりと話しかける。


「ねえ、わたし達は戦いなんてしたくないの。だからあなたも、大人しくして?」


 悪魔はじっと聞いていた。ただ動かないだけで聞いてはいないかもしれない。

 話は通じたのか、分からない。

 皆が注目。それぞれに警戒や準備をしながら、反応を待っている。


 かなりの時間待って、やっと悪魔は反応した。

 大きく音がする程に、強く長く息を吐き出した。薄っすらと色がある。


「“展開ロード”、……“薬品工房ケミカルラボ”!」


 真っ先にペルクスが動いた。

 魔術で息を調べる。毒かもしれないと警戒したんだ。もうそうなら、話は通じなかったっていう事になる。


「……これは、酒? なんだこれは。酔わせるのが目的の、攻撃?」


 ペルクスの言葉は困惑に揺れていた。

 わたしはなんで、と首をかしげた。だけどアブレイムさんは納得した風に呟く。


「成程。酒により人を堕落させる悪魔という訳ですね」


 鋭い視線で見つめる。ゆっくり距離を詰めつつ、杖を構えていた。

 その敵意に反応したみたいに。


 ──ウォホホホホホーッ!


 悪魔は声高らかに叫んだ。まるで豪快に笑っているみたいだ。

 そして、ペルクスの方に向かった。速い。動物みたいな荒々しい突進。思いっ切りハンマーを振りかぶる。


「ファズ!」


 ペルクスは落ち着いて指示。ゴーレムのファズが前に立ち塞がり、手を広げて守る。

 岩の体と木の武器が激突した。

 轟音と衝撃。

 岩の破片が散らばっていく。負けたのはファズだった。ひび割れ、砕ける。ペルクスの顔には焦りと悲しみ。


 ふすぅぅ。息を吐く悪魔。もう一度ハンマーが持ち上げられた。

 下がりながらペルクスは反撃する。


「“展開ロード”、“状態変化チェンジ”!」


 取り出した薬を煙にして、悪魔を包む。多分前もつかった眠り薬。

 思いっ切り吸い込んだ悪魔は、攻撃しようとする姿勢で止まった。悪魔も眠るのか、薬が効くのか。


 どうか効いて。

 そんな願いも、虚しく。

 悪魔は眠気を払う為なのか頭をブンブン振って、それから強く足を踏み出した。

 ペルクスはまだ魔術を使おうとしていたけど、多分間に合わない。

 だからわたしが割り込む。


「やあっ!」


 ハンマーを横にした槍で受けた。激しい力。重い。腕がきしむ。あとお酒の匂いが臭い。

 でも、頑張る。誰も傷ついてほしくないから。


「ペルクスは逃げてて! わたしが戦う!」


 怖いけど、覚悟して叫ぶ。

 だけど悪魔は急に振り返った。

 そして逆方向に走り出す。敵意に満ちた荒ぶる突進。その先には、アブレイムさんがいた。


「成程。確かに彼女と繋がりがあるようですね」


 狙いを変えたのは、倒れたままのベルノウさんに近付かれたからだ。

 その証拠に、距離をとったアブレイムさんを追いかけない。悪魔はベルノウさんの近くで構えていた。やっぱり守るみたいに。

 わたしもアブレイムさんの隣に行って、並ぶ。


「幼子が一人で体を張るものではありません」

「……うん、じゃあ皆で戦おう」

「はい」


 横からのアブレイムさんの声にうなずく。心配するような感じには悪いけど、まだ近寄り難い。共闘はするけど。

 闘争心と杖の先が前を向く。

 じろり、と悪魔が見てくる。

 濁った瞳には得体の知れない闇の深さがあった。怖い。でも逃げたくなる程じゃ、ない。


「助かる! 僕は僕でそいつを調べる! 時間を稼いでいてくれ!」

「わかった!」


 ペルクスが魔術を展開。多くの魔方陣が空間を埋めた。悪魔の周りにもいくつか浮かぶ。

 後ろで自分の役目を果たしてくれる。

 その代わり、わたし達二人が抑えないといけない。


「愚直なだけでは大事を為せません。私が教えた事を覚えていますか?」

「……うん、わかった」


 アブレイムさんの言葉にまたうなずいた。

 わたしはすぐに空へと飛ぶ。羽を広げて有利な位置を確保。

 高くから悪魔を見下ろして、槍を構える。

 二人で上下から挟んで、気持ちを整える。


 とうとう戦いが始まってしまった。

 悪魔は重そうなハンマーを軽々振り回す。

 迎え撃つアブレイムさん。すり抜けるように避けて、死角から杖で殴る。キョロキョロと混乱する悪魔。

 大振りのハンマーは空を切るばかりだ。

 相手だと大変でも、味方なら頼もしい。悪魔が相手でもよく効いている。

 混乱の隙に背中から槍を突き刺す。ズルいと言っていられない。振り向いて反撃される前にまた空へ逃げる。

 悪魔はペルクスの方を何度も見るけど、その度に攻撃してキッチリ抑えていく。

 悪魔だからか、血が出ない。それでも生き物を攻撃する嫌な感覚はある。


 きっと上手くいく。

 そう信じて、戦い続ける。


「む」


 途中、違和感に気付いた。

 アブレイムさんの動きが変だ。

 足さばきが乱れ始めた。余裕がない。なんだかふらふらしている。消えるみたいな動きじゃなくなった。


「いけませんね。酔いが回れば動作に支障が出ます」


 お酒の匂いがする息のせいだ。

 わたしは上にいるからまだ大丈夫だけど、近くにいるアブレイムさんは吸い込んでしまったみたいだ。危ない場面が増えてきた。

 わたしは攻撃の回数を増やして、高度も下げた。お酒の息を吸っちゃうけど、アブレイムさんの為にも頑張らないと。


 そう思っていたら、違う煙が後ろから流れてくる。


「……これは」


 薬草の香り。爽やかな刺激がお酒の匂いを消す。頭がスッキリした。

 ペルクスのおかげだ。


「酔い覚ましだ。効き目はどうだ?」

「良い薬ですね」


 アブレイムさんの動きにキレが戻る。

 消えて、現れて、すり抜けて。また不思議な足さばきで悪魔を翻弄しだした。


 すると、悪魔は更に息を吐いた。長く、強く。ペルクスの薬を押し流そうとしているのか。

 すぐに息は充満。匂いがよりキツくなる。

 そして、ガチンガチン。何度も歯を鳴らす。

 すぐペルクスが引きつった顔で警告した。


「逃げろ! 今すぐ!」


 分からないけど、慌てて言われた通り逃げようとする。

 でも遅かった。


 悪魔を中心に爆発が起きた。

 火花が飛んで炎上。

 熱気が辺りに広がる。あちこちで火がくすぶり、地面が焦げる。


 わたしはちょっと火傷したけど、なんとか無事。アブレイムさんも同じだ。だけど、あの場所には。


「ベルノウさん!」


 炎で見えない。分からない。だけど、これじゃあ……。

 悪魔は守ってるんじゃなかったの?

 悲しさで胸が苦しくなる。


「精霊さん。火を消してください。冷やしてください」


 精霊魔法を一生懸命に頼む。

 炎を消して、熱を弱める。本当は雨を降らせられたら良かったけど、これが精一杯。それを全力で果たす。


 炎が弱まってくると、奥にベルノウさんが見えた。

 綺麗に無傷でビックリ。悪魔の力だろうか。守っているのは本当だった。

 一安心。ほっと落ち着く。


 だけど、まだ何も終わっていない。


「来ます! 警戒を!」


 ハンマーがくすぶる炎を巻き込んで唸る。

 アブレイムさんが前に出た。

 引きつけて、当たったように見えても、それは空振り。頭の横から痛打を加えた。反撃を更にかわして足元に一撃。

 ギリギリで避ける。すり抜けるみたいな幻惑の歩法。混乱させて、的確に隙を見つけて叩く。


 でも、顔にはびっしょりと汗。

 辛そうだ。見た目よりずっと、余裕がない。流石に悪魔相手だとギリギリの勝負だ。

 わたしも攻撃を増やす。

 何度も何度も。突き刺し、殴る。

 安全を削ってまで攻めるけど、悪魔に傷みを感じる様子はない。


「焦りは禁物です。こちらが傷を負わない事を優先しましょう」

「うん、そうする」


 戦いは続く。気持ちを落ち着けて、警戒を高めて。

 そうしていると、


 ──ウォホホホホーッ!


 悪魔はまた笑うみたいに叫んだ。

 今度は何が起こるかと身構える。すると、なんと。


「え?」


 ベルノウさんが上半身を起こした。

 そして、赤い顔で、だらしなく口元を緩めて笑う。楽しげに声をあげて。


「うふ、えへへへ。ヨイヨイヨイヨイ」


 どうしたんだろう。別人みたい。

 悪魔のせいでおかしくなってしまったんだろうか。心配がまた増えた。胸が苦しい。

 アブレイムさんは鋭い視線を向けていた。


「やはりあの方も敵なのでは」

「あ、待って!」


 信じられない。ベルノウさんは優しかった。きっと、いや絶対に悪魔のせいだ。

 そう思うけど、なんとかしないといけないのは確かだ。一度、力ずくなのも必要かもしれない。でも、そんなのしたくない。

 色々と考えて、考えて、動けない。


 なのにアブレイムさんは迷わず、一人で悪魔に迫った。

 闘志をみなぎらせて、戦いに向かう。

 わたしは動けない。


 と、そんな時。

 ぽつん。顔に水がかかった。

 雨だ。雨具はいらないような小雨がしとしと降る。

 いや違う。この匂いは、


「お酒……?」


 空からお酒が降ってきた。

 よく見れば悪魔がいるこの近くだけに降っている。

 全身がお酒で濡れる。気持ち悪い。匂いも不愉快。

 頭がくらくらしてきて、飛びにくい。精霊魔法で風を起こして吹き飛ばす。それでも匂いが残るし、気持ち悪さが消えない。

 

 アブレイムさんも突然立ち止まった。その顔は真っ青。脂汗も酷い。体調が明らかに悪い。ひどい酔い方をした姿だ。わたしより近いから影響が強い。

 それでも立ったままなのは、むしろまだ悪魔に立ち向かおうとしているのは、意地なのだろうか。

 わたしは助けようと風で雨を飛ばす。アブレイムさんもなんとか精霊魔法を使おうと唱える。


「か神の、御使いに、願い、ま……う!」


 だけど遂に、足がもつれて膝を付く。口元を押さえて苦しんでいる。

 昼間の出来事からは考えられない。こんな姿を見せるなんて。

 わたしは息を止めて急いで、ペルクスも魔術とゴーレムで援護しようとした。

 でも遅い。


 悪魔は笑う。

 重いハンマーが、アブレイムさんの顔を強烈に打ち据えた。

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