第20話 正しき白昼夢

 まだ朝の早い時間。わたしは、涼しいけど少し湿った空気を大きく吸い込む。スッキリして気持ちが良い。

 どんよりした曇り空は残念だけど、今日は飛ぶ気はないから平気だ。


 ペルクスは今日も用があってシャロさんと一緒に何処かに行った。そそくさと、逃げるように。

 昨日の蜘蛛の事件でサルビアさんがまだ怒っていたからかもしれない。でもわたしはもう気にしてない。むしろ、ちょっと言い過ぎたと、申し訳なかった。


 だから、働きたいと思った。ペルクスや他の人だけに任せて、わたしだけじっとしているのが嫌だった。

 それから、おかあさんとおとうさんを待つ間に、頑張りたい。戻ってきた時に褒めてもらいたい。立派になった姿を見せてあげたかった。


 そういう訳で、わたしは真剣にお願いをする。


「ベルノウさん、わたしやっぱり、遊ぶだけじゃなくて、何か皆が喜ぶ事をしてたい」

「カモミールちゃん。遊びたくはないのですか?」

「うん、遊ぶのも好き。でもね、皆をお手伝いしたり、皆が喜ぶ事をしたりするのも楽しいよ。だから、やってみたい」

「分かったのです。それなら反対なんてしないのです」


 ベルノウさんは温かく笑ってうなずいてくれた。その優しさにわたしも自然と笑う。

 少し考えてから提案してくれた。


「それなら、畑の方に行ってみるのです?」

「うんっ!」


 二人並んでウキウキした気分で向かう。

 畑仕事は、土で汚れるし結構な力仕事だ。

 だけど全然苦じゃない。

 美味しいものがたくさん食べられるから。それに、森に入らなくても食べ物が手に入るようになれば、皆安全でずっと一緒にいられる。平和で、幸せになれるからだ。

 だから、想像するだけで楽しい。


 今日も畑にはダッタレさんがいるはずだ。

 やっぱり、まだ少し苦手。最初の出来事が原因とかじゃなく、聖女様って言われるのが慣れないからだ。

 でも苦手なだけで、嫌いじゃない。ちゃんと誓ってくれたし仲間だと信じている。

 助け合っていけたらいいな。


 と、思っていたのに。



「……な、なにしてるの?」


 わたしもベルノウさんも、畑の前で行われていた光景をすぐには受け入れられずに呆然としてしまった。


 ダッタレさんは、アブレイムさんと杖で戦っていた。

 いや、お互いに杖を持って振るってはいるけど、一方的。ダッタレさんだけが体を傷だらけにしていた。


 戸惑っていると、わたし達に気付いたアブレイムさんが手を止めて、挨拶してきた。


「ああ、皆さんも来られましたか。私に何かご用ですか、それともこちらの方に?」

「なにしてるの?」

「鍛錬と、それから教育ですよ。この危険な場所では力があって損はないですし、こちらは信仰の道を歩みたいようですから」


 普段と変わらない穏やかな調子でアブレイムさんは答えた。さっきまで苛烈に戦っていたというのに、乱れも戦意もない。あくまで優しげ。

 それが少し、怖い。

 だから恐る恐る口を出す。


「ねえ、痛そうだよ。こんなの必要ないでしょ?」

「聖女様……止めないでください。俺はやります」

「だ、そうですよ」

「そんな……」


 ふらつきながらも、強い声を出したダッタレさん。ボロボロでも戦う気は折れていなかった。

 止まってくれない。

 悲しくなるわたしの前で、もう一度二人は構える。


「さあ続きです。先程の教えを、もう一度」

「……神は人の善行を尊び、それ故に人が人を救う事を望んでいる」

「はい、確かに覚えたようですね。では鍛錬を」


 アブレイムさんは真っ直ぐ振りかぶって素早く打ち下ろした。

 硬い音。ダッタレさんに横にして受けられる。

 するとすぐに杖を回転させて、反対側でお腹を叩いた。


「ぐぅ……!」

「はい、こうなります。技量で劣る相手に真っ向から挑んではいけません。自らの強みを活かしなさい」


 その言葉を受けて、顔が上がる。

 ダッタレさんは叫びをあげて果敢に攻めかかった。

 打つ、打つ。殴る。ひたすらに連打。

 体力と筋肉任せの全力で叩きつけ続ける。

 その全てを、アブレイムさんは涼しい顔で受け流していた。まるで子供のごっこ遊び付き合っているにみたいに。


「はい、いい調子です。未熟であるからこそ、力の使い方が肝要になってくるのですね。では信仰の指導に戻りましょう。あなたが犯した罪はなんですか?」


 軽々受け流しながら、鋭く問いかける。

 苦しげな顔になるダッタレさん。痛いところを突かれたせいか、手が止まる。

 すかさずそこを狙って強く打たれてしまった。


「はい、手を止めない。鍛錬を続けながら答えましょう」

「ぐ、このっ!」


 ダッタレさんは悪態とともに再び攻め込む。でも攻勢は弱くなっていた。

 雨に濡れたような汗。荒い息。でもそれ以上に、心が乱れていた。


「いけませんね。どんな状態であれ力を発揮出来るように励みましょう。ではもう一度問います。あなたが犯した罪はなんですか?」

「……どれだ? なんの話だよ?」

「指定はしません。思いつく限りを」

「俺は、野盗の一味だった。それから、聖女様を身代わりにしようと、した」


 辛そうに歪む。反省している顔つきだ。

 あくまで普段通りの態度を崩さず、アブレイムさんは聞き届けた。


「よろしい。自らの弱さを自覚するのはとても大切な事です。では次に、どうして罪を犯してしまったのか、その理由を問いましょうか」


 続く厳しい問いかけ。

 ここまで来て、ダッタレさんは逆に怒りを表に出した。ぐちゃぐちゃな感情を杖と一緒に叩きつけながら、叫ぶ。


「……金がなかった。餓えてた。生きたかった。それだけだ。あの時は仕方なかったんだ!」

「仕方がない。本当にそうでしょうか」

「そうだろうが。他に方法はなかった! 奪うしかなかったんだ!」

「いいえ違います」


 一際厳しい声音。

 それから強烈に杖を振るい、ダッタレさんを激しく吹っ飛ばした。倒れてうめく彼に、アブレイムさんはやっぱり淡々と告げる。


「何より生存を優先する。それは獣のことわりです。人であるのならば、知性と倫理と社会性に従って生きるべきです。それを無視して他者から奪うという事は、獣として生きるという事です」


 アブレイムさんは自信に満ちた声で言い放った。

 ペルクスも前に似た事を言っていた気がする。人と獣の違いは、知性に生きる矜持なのだと。

 でも、今は正しいとは思えなかった。怖いと思ってしまった。

 ダッタレさんも、怒りをみなぎらせて反論する。


「偉そうに……! お前だって同じなんだろ!? 異端って事は、お前も罪人なんだろうが!?」

「はい、そうですね。私も罪を犯しました」


 アブレイムさんは静かに答える。

 胸に手を当て、薄目を開けて。


「では私も、自らの罪について語りましょう」


 まるで、なんでもない今日の予定を話すみたいに。


「私は、三名の罪人を殺害しました」


 皆が黙った。それぞれに顔色を変えて。

 アブレイムさんだけが平然としていた。


「いずれも堕落した、名ばかりの聖職者でした。金欲に落ち、色欲に落ち、支配欲に落ちた者達でした。しかし名ばかりとはいえ聖職者であるが故に裁きを逃れていた者達です」


 淡々と、ずっと静かに話し続ける。

 間違っていないかもしれない。そう思わせてくる響きがこの声にはあった。


「では私が断罪を為した、その理由はなにか? 神は御自ら罪人を断罪なさらないからです。人の善行を尊び、それ故に人が人を救う事を望んでおられます。それを叶えるべく、私は断罪致しました」


 アブレイムさんの理由。

 それはさっきも聞いた、同じ言葉の繰り返しだった。なのに意味が変わって聞こえた。

 ダッタレさんは我に返って強気に叫び返す。


「……そっ、そんなの、ただのリンチじゃねえか! 結局俺と同じだ!」

「はい。恩師である神父様にも同じように言われました。私の解釈は間違っている。神はそのような事を望んでおられない、と。しかしこれが私の信仰です。その為ならば地獄の責め苦を喜んで受け入れましょう」


 細めた目で、感情の分かりにくい目で、わたし達を見据える。

 ダッタレさんは負けじと睨み返す。でもそれは空元気、小動物が威嚇するみたいに弱々しく見えた。


「……だったら、なんだよ? 俺はそんなだいそれた悪党じゃねえ! 小物だろうが!」

「そう怯えないでください。あなたを断罪しようとしている訳ではないのです」

「何がしたいんだ!?」

「だから、鍛錬と指導です。あなたは罪を反省し、やり直すと誓ったのでしょう? ならば必要なはずです」


 ダッタレさんは言葉につまる。目を泳がせる。迷い、怯み、苦しんでいた。

 でもやがて意を決して立ち上がって、杖を構えた。


「よろしい。さあ、続きです」


 アブレイムさんも杖をもって応えた。

 再び激しい戦闘の鍛錬が繰り広げられる。


 でも今度は。


「な、はあ? なんだこりゃ!?」


 アブレイムさんは動きを変えてきた。

 消える。消える。すり抜ける。

 ダッタレさんが杖を振り回しても全く当たらない。受けもしない。幻みたいに、消えては現れ、を繰り返していた。


「私が犯した罪、三件の殺害ですが、世間では“白昼夢”と呼ばれていたそうです。護衛も無関係の人間も大勢いたのに、誰も捉えられず、訳も分からない内に見逃した。まるで夢のような事件だったと。未熟を棚に上げて陳腐な怪談にしてしまうなど、呆れてしまいますよね」


 淡々と話をする。その声さえ何処から聞こえてくるのか分からなくなってきた。

 そして合間に合間に杖で打ち据える。ダッタレさんの傷だけが一方的に増えていく。

 本当に夢みたいだ。それも訳の分からない悪夢。


 ただ、わずかに、アブレイムさんの声から張りが消えた時があった。


「しかし私も、“純白の聖人”には敵いませんでした」


 それは異端審問官の異名だ。わたしとペルクス、それからおかあさんとおとうさんを捕まえたのも、その“純白の聖人”だったと聞いた。

 こんなに強くても、負けてしまう。打ちのめされる怖い現実があった。


「分かりますね? 誓いを遂げるには力が必要不可欠です。祈るだけではいけません。知識だけではいけません。祈り、知識、力、それら人が持ち得る全てを高めなければ、人を救うなど出来はしません」


 アブレイムさんは、言葉だけなら正しい。何も間違った事は言っていない。

 でもこれはやり過ぎだ。ただのワガママにしかなっていないと感じた。


「さあ、あなたも自らを高めていきましょう」

「う、クソッ……このっ!」

「言葉遣いも気を付けましょうか。窮地にあってこそ、人の本質が表れます。戦場だろうと礼儀を見失わない、それだけの精神を養いましょう」


 正しい事を教えながら、奇妙な鍛錬は続く。

 前に杖を振れば、背後から叩かれる。

 めちゃくちゃに振り回せば、鋭い突きに見舞われる。

 防御しようとしても、防御のない場所を狙い打たれた。

 圧倒的な実力差に、最早ダッタレさんは半死半生の有様だった。


「ぐ、あがっ……! が、あああっ!」


 でも、終わらない。本人も意地で立ち続ける。気合いを入れるみたいに雄叫びをあげる。

 アブレイムさんも止める気配がない。肉体を叩く音が曇り空に延々と響く。


 と、ここでわたしは怖くなった。

 ダッタレさんが止まらないのは、もしかしたら、誓いのせい?

 わたしに、皆を助けるって誓ったから?

 確かにこの危険な場所で守ろうとすれば、力は必要かもしれない。誓いを大切にしてくれるのも嬉しい。本気で反省して、その為に生きると決めたのなら、応援したい。


 だけど、



 ──もう、見ていられなかった。




 鈍い音が鳴った。

 誰かが驚きに息を呑み、誰かが満足そうに感心する。ベルノウさんも何か金切り声で叫んだ。

 衝撃から少し遅れて、掲げた腕にジンジンと痛みが走る。

 でも、怯まない。


「もう、止めて……っ!」


 わたしは萎んでしまいそうな声を震わせて、アブレイムさんの前に割り込んだ。

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