第19話 お金のない地でお金の話

 今朝は清々しい気分とはいかなかった。

 どんよりした曇り空で風も強い。雨でも降りそうな天気には少し心配になるが、魔界初めての雨は興味深くもあった。

 朝食は獲ったばかりの魚や貝を使った丸焼きやスープ。昨夜は蜘蛛の件のお仕置きで量が少なめになってしまったが、今朝は許されて並の量を食べる事が出来た。

 反省しよう。怖がらせるような大物はカモミール達の目の届かない所で解体してから持ち帰る。これは守るべきルールで忘れてはならないものだ。


 そして僕は今日、森へ探索には行かず、まだ会っていなかったもう一人の人物に会う事となった。

 色々と面倒臭い、との話だったが、確かにその言葉は一目で理解した。

 湖の居住地から離れた場所に、その建物があったから。


 きちんと製材された木材や石材で大きく頑丈に造られたそれは、最早屋敷。テントや小屋とは大違いの立派な建物だった。

 花壇や人工池、規模は小さいが庭園さえ整えられている。

 貴族の邸宅を目指したと言われれば納得の代物だ。


 僕は感心とともに呆れてしまう。


「また手の込んだ事をするものだな」

「言ったでしょ? 凄い凝り性なんだよ。変人だよね」


 芝居がかった仕草で肩をすくめるシャロ。うんざりした顔もそうだが、大袈裟な誇張を感じた。言葉程には嫌っていないと見える。


 今まで見なかったもう一人がここに住む。

 ギャロルという名の老商人だ。

 元々は貴族とも大口取引をしたり金を貸したりするような大商会のトップだったらしい。自己申告によると、財産の没収を目当てに異端の冤罪をかけられて流刑になったのだとか。

 残念だが確かに起こり得る理不尽な悲劇だ。心から同情する。

 とはいえ、この屋敷は完全なる我が侭。

 なのにグタンを中心に皆で協力して建てていた。馬鹿正直に叶えた理由は、近くで騒がれるとうるさいから離れてくれるなら丁度良かった、という事が一つ。そして機嫌を窺って損はない、というのがもう一つだったようだ。


「じゃあ行くけど気を付けてね。機嫌損ねると面倒だから」

「うむ、分かった」

「ギャロル様、シャロです。お時間を頂いてもよろしいでしょうか」


 シャロが堅い挨拶をしつつ凝った造りのドアノッカーを鳴らす。

 すると間もなく声が返ってきた。


「入れ」

「失礼致します」


 礼儀正しい所作で中へ入るシャロ。普段はおどける事が多いが、この辺りは育ちの良さを感じる。やはり色々と異質で過去が見えてこない人物だ。


 室内も立派なものだった。家具も丁寧な技が光る良品揃い。むしろここまでやり遂げたグタン達にこそ敬意を表したくなる。

 そして奥の椅子に、人を見下すような偉そうな態度で座るのが、ここの主人だ。


「ギャロル様、ご機嫌如何でしょうか。本日は新しく来た者の紹介に参りました」

「……ふむ」


 しわの深い老人と対峙する。

 真っ直ぐ伸びた背筋にも眼光の鋭さにも、衰えは全く見えない。思わず竦むような迫力がある。商売という戦場で渡り合ってきた貫禄が、彼を傑物にしていた。

 僕はシャロにならい、礼儀を正して挨拶をする。


「お初にお目にかかります。ペルクスと申します」

「話は聞いている。魔術師だそうだな」

「はい。こちらが私の作成したものでございます」

「……良い出来だ」


 渡したのは紙の束と羽ペン、インク。

 紙は植物を材料としたものと獣の皮を材料としたもののニ種類。ペンは昨日アブレイムが狩った梟の羽根から作った。インクは煮炊きで出た煤や動物からとれるにかわを材料とした。

 どれも一人で研究していた頃にも必要だったので作り慣れている。今回は時間をかけて普段より品質を高めた。事前にシャロから質に厳しいと聞いていたから。

 それらをギャロルはじっくり隅々まで見て、高く評価したのだ。自信作だけに気分が良かった。


 予想以上の好反応に機を見たか、上機嫌を隠せないシャロが横から声をかける。


「ご満足頂けましたか」

「ああ。ウチでも扱えた程の品だ。使わせてもらう」

「では以前お話させて頂いたお願いは……」

「いいだろう」

「ありがとうございます!」


 深々と一礼。よほど嬉しいのか、その下げられた顔はだらしなく緩んでいた。


 そして持ってきていた弦楽器や太鼓といった品々をいそいそと運び、並べた。

 ギャロルは検分すると、渋い顔で唸る。


「まだ全然駄目だな。木材の乾燥が足りていない内に作業しただろう。いやそもそも材料の選択からなっていない。一本の木の内でも、特に良い部分を吟味すべきだと前にも言ったはずだが」

「勉強になります。しかしお恥ずかしい話、未熟な私にはその『良い部分』の判別が難しく……」

「ふん。教えてやるさ。丁度紙もあるしな」

「ありがとうございます!」


 馬鹿にしたような態度のギャロルにも、シャロは目を輝かせて感謝する。


 会いに来たのはこれが理由だ。

 ギャロルはその経歴もあって、目利きである。それも一級の職人とも繋がりがあり、製作工程の知識もあるのだ。

 僕としても専門外の物の作製にアドバイスを貰えるのは有り難い。素人が玄人に学ぶのは基本中の基本だ。

 多く長い説明は、それだけ有意義な時間を長く過ごせるという意味でもあり、素晴らしい事だと言える。


「ではこちらの出来はどう思われますか」


 楽器が終われば、続いては布。

 昨日の蜘蛛の糸を織ったものだ。丈夫、滑らか、魔力との相性も良い。得難い素材である。織りにも手を尽くした品だ。

 ギャロルはしばし見て、わずかに口元を緩めた。


「これは良いな」

「では礼服にも?」

「ああ。申し分ない。どんな儀礼にも相応しい最高級の服になるだろう。無論、縫製次第がな」

「承知しております」


 この布は普段着ではなく、カモミールの聖女としての正装やサルビアの衣装にする予定だ。目利きに認められたなら自身を持てる。

 ただ、本人達が蜘蛛の糸だと知ったら嫌がる可能性は高い。卑怯だが隠しておくべきだろうか?


「意匠は」

「考えております」


 シャロは事前に描いていた紙を差し出す。

 しかし一目見て、ギャロルは一蹴。


「ふざけるな」

「やはり? 先進的過ぎましたか」


 それも当然だと、僕は頷く。

 ヘソや足を大きく露出していたり、逆に着膨れていたり、明らかに歩く事もままならなそうなデザインだったりするのだ。彼のセンスは分からない。軽い態度からすると、また一蹴されると分かった上でふざけたようにも思えるが。


「貸してみろ」


 ギャロルはサラサラとデザインを描く。

 すぐにでも作業に移れるような完璧な図面。何度も儀式で見かけた、しかし細かくは覚えていない礼服の衣装が再現されていた。

 僕達は素直に関心するばかり。


「ではこの通りに」

「出来るのか? 職人の技を侮るな。素人が簡単に真似出来ると思っていないだろうな」

「はい」


 厳しい口調。身を乗り出してきて、更に迫力が増す。


「本当に理解しているか? 人が金を払うのは物に値打ちがあるからだ。素人のお遊びに値はつかんぞ」

「はい、存じております……」

「ならいいのだがな」


 ギャロルの言動からは、商人、最高級の品物を扱う人間としての矜持を感じた。

 魔界にあっても曲げられない程の矜持。僕とは違うが、彼もまた夢を追い続ける求道者なのだろう。

 在り方に敬意を表する。


 と、彼は不意に、思い出したように声を出した。


「ああ、そうだ。なんだ、アンプと言ったか? 音楽の道具に心当たりがあるのを思い出したのだった」

「本当ですか!?」


 思わず僕は叫ぶ。

 じろり、と人も殺せそうな視線で睨まれた。居住まいを正し、言い直す。


「詳しく教えて頂けますでしょうか」

「ふん。確か……マットヒル商会のチャーリーだったな。あやつがお抱え魔術師に作らせたらしい。貴族を喜ばせて契約を取り付けるのに使っておったそうだ」

「成程」


 学院で世の真理を追求する者とは別に、市井で雇用される魔術師も当然いる。

 貴族や商人のお抱えとなり、金を生む魔術を追求するのも、魔術師の道として正道の一つだ。こうして、世の真理を追求していては得られない発見をする事もままある。


「俺は商品にならないかと、伝手を使ってお抱えを潜り込ませて調べさせた。結局実用には至らなかったが、ある程度は覚えている。その限りなら教えよう」

「感謝します」


 他人の研究を盗むようで複雑な思いはあるが、知識とは独占するものではなく世に広めるべきもの。有り難く利用させてもらおう。

 だが、ギャロルの羽ペンはインクに浸る前に止まった。


「まあ待て。貴様は俺に何を差し出せる?」

「私には魔術師としての自負があります。お望みのものがあればなんなりとお申し付け下さい」

「ふん。では酒はどうだ? 宮廷御用達並の蒸留酒は作れるか?」

「それ程の質となれば難しいでしょうが、必ずや用意しましょう」

「いいだろう。契約成立だ」

「重ね重ね感謝します」


 代価を約束し、音の魔術の詳細を受け取る。

 警戒していたよりずっと首尾良く用は済んだ。

 だから最後に、勧誘してみる事にする。


「ところで、新たな信仰に興味はございませんか。カモミールという聖女が人を導く仕組みを作ろうとしております」

「ハッ。異端者が異端の教団を作るか」

「はい」

「断る」


 吐き捨てるように言われた。

 険を深く、警戒を露わにして詰め寄ってくる。


「もう一度言うがな。人が金を払うのはそれに値打ちがあるからだ。貴族や商人が教団に寄進するのも同じ。教団に値打ちがあると認識するからだ。それを理解しているか?」

「勿論」


 救いがある。糧を得られる。守られる。権威を利用出来る。

 信仰には人それぞれの動機がある。幾ら素晴らしい教えだと説いても、信じたくなる何かがなければ、人は信じてはくれない。

 ダッタレが良い例だ。あの時彼は身の安全を動機として誓った。

 もっとも、動機がなんであれ、信仰に貴賤はない。一度信仰心を持ったのならそれは尊いものだ。


「なら分かるな。権威のない信仰など要らん。俺に協力して欲しければ、値打ちがあると照明してみせろ」

「努力しましょう」


 見定めるようなキツい目を向けてくるギャロルに、僕はハッキリ言い返した。

 考えさせられる。

 僕もまた、カモミールを支えるだけでなく人を導く方法を模索し続けようと、誓うのだった。




 屋敷を出て充分離れてから、シャロは肩をすくめながら言う。


「いやー、大変だったでしょー」

「なかなか興味深い御仁だ」

「そう?」

「そういうシャロも交渉が上手いではないか。顔を使い分けおって」

「まー、それはね? お前はもう無一文なんだよ! とか言ったところで無意味だし。お互いウィンウィンでいかないとね」


 シャロは交渉の基本を分かっている。

 相手を打ち負かすには相手の得意分野で戦わない事が肝心だが、交渉や説得の場合は相手の分野に立たないと話にならないのだ。


「それよりさ、早く進めようよ。これで大分効率良くなるでしょ?」

「ああ。大いに助かった」


 そう、今回の目的は順調に達成した。

 シャロの楽器も、カモミールの礼服も、音の魔術も、ギャロルとの交流も上々。曇り空よりも打ち勝つ晴れやかな気分だった。




 ただしそれは、あくまでこの場に限った話であったのだと、後に知る。

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