第17話 白昼に悪夢を見る
暗い森の中。巨大な蜘蛛が上から降りてきた。牙を鳴らしながら糸を伝い、獲物を狙っている。
巣にかかったシャロはまともに動けないまま、声の限りに叫ぶ。
「ああぁぁしまったあっ! コイツ全然音しないんだけどっ!」
音に敏感なシャロが呆気なく捕まった理由は判明した。未知の敵の情報は有り難い。
早く助けたいところだが、僕達も迂闊に近寄れない。打てる手は限られる。
「ドルザ!」
まずは最速の一手。
風を切って小型ゴーレムの突撃が蜘蛛に命中する。矢のように命を貫通する力を持った自慢の攻撃。
だが、甲殻に弾かれた。ドルザは森の奥へ消える。揺れる糸上の巨体には小さな傷がついただけだ。巨体だけあって甲殻は頑丈。
「いや、それだけではないな」
僕は観察眼を根拠に呟いた。魔力も肌で感じられる。
籠から果実を幾つもまとめて取り出し、ファズへと放り、一気に潰す。
そして果汁を撒き散らし、森を染める。それで見えるようになった。
糸だ。
蜘蛛の糸がシャロの周りだけでなく、僕達がいる辺りも含めて広がっていた。巣はかなり広い。
僕にも既に何本か巻き付いている。巣の範囲内を進めば進むほど、糸が絡み粘着し、動きを止められる。そんな仕掛けだ。
「ファズ!」
まずは巣を取り払う。太い岩の腕を振り回し、糸を絡めとる。
多量の糸に重さで対抗。剛力で引っ張る。引き千切ろうと暴れさせる。
しかし、強靭な糸は切れず、糸と繋がった木々が揺れるだけだ。シャロも一緒に揺さぶられ悲鳴をあげた。悪いが我慢してほしい。
この抵抗をどう見たか、蜘蛛はスッとシャロから離れ、樹上へ消えていく。
巣は壊せなかったが、とりあえず時間に余裕は出来たようだ。
「ふむ。力技では無理だな。
広範囲に魔法陣を展開。二種の工房魔術を用いて調査する。
解析結果は間もなく示された。
元々かなりの強度や粘度を持った糸だ。更に魔力でそれを高め、吐いて設置するだけでなく操作もする。なかなかに高度。蜘蛛ながら称賛に値する腕と言っていい。
魔力持ちの獣を探していたとはいえ、これでは喜べない。
「まずは解除を……いやだが魔力以前に、糸そのものにもかなりの強度が……」
「危ないですよ」
急にアブレイムに手を引かれた。
次の瞬間に、僕がいた場所目がけて大木が倒れる。
これも糸による故意の倒木。ただし強引に倒しただけではない。根本に大穴が空いていた。掘られた土は近くに盛られている。糸を目の細かい網状にし、土をすくいでもしたのか。
静かに進められていた凶行。ゾッとする。
「助かった」
「いえ、お構いなく」
「しかし、これはどうすべきか」
「私が引き付けておきますから、あなたには魔法を頼みます。強度はそのままで構いません。粘着性を消してくださると助かります」
近くの糸を拾った枝で確かめていたアブレイム。確信を持った言葉を残し、ファズより前に出る。
すると蜘蛛も動いた。
倒れた木が起き上がり、宙に浮く。
まるで糸で人形を操るように、蜘蛛が大木を振り回しているのだ。
全く、魔界の生き物はこうも想像を超えてくるのか。純粋に楽しみ、追い求められないのが残念。
僕はファズと一緒に後ろへ下がり、木に背をつけて魔法陣を展開し直す。解析を進めて、解除の魔術を構築する。この中で集中するのは難しいが、頼まれたのだからしてみせよう。
人を押し潰す重量が、アブレイムに迫った。縦方向に、巨人が槌でも振るうように叩きつけられる。
それでもアブレイムは悠々としていた。心配になる程、危機感が感じられない自然体。このまま当たってしまいそうだと集中が乱れる。
しかし。
木はアブレイムをすり抜けた。確かにそう見えた。
僕は目を瞬く。目をこする。何が起きたか分からない。
だが戦闘は止まらない。
続けて、通り過ぎた木が、振り子のように逆から襲いかかる。小枝の如く、高速で回転して。
が、またもアブレイムは無傷。回避動作をしたようには見えないのに。
そして今度は真上から、判を押すような、あるいは踏みつけるような形で攻めてくる。
地面が振動。森がざわめく。シャロの悲鳴が混じる。
その中でアブレイムだけが涼しい顔をしていた。戦闘など起きていないかのように。
ただ、今度は僕も気付く。アブレイムの位置は確かに動いていた。かといって移動したようには見えない。転移のような魔法の痕跡もない。目の錯覚かとも思った。
だが、確かに現実に起きた。
その謎の答は、糸の解析をしているおかげで知れた。
振動や接触で伝わってくる。この糸が張られた狭く不自由な空間で、最低限の、しかも特異な動きで避けていた。
傍目からは見えない重心移動。ハッキリした緩急の切り替え。更に大きめのローブ姿が事前動作を隠す。だから予想とずれ、消えたような錯覚を起こすのだ。
それだけではこうならないとも思うが、達人の動きなら有り得るのかもしれない。
糸の解析と対抗する魔術の構築に集中しているが、正直アブレイムにも調べたい。衝動を抑えて自分の仕事を進める。
何度も何度も攻撃が繰り出されるが、アブレイムは全て避ける。
その度に大木の精度はズレていく。遂には避けるまでもない程に外れた。
気持ちは分かる。僕だって混乱したのだ。蜘蛛だろうと乱れるだろう。
アブレイムが無事なのはいいが、まるで夢のよう。
当のアブレイムは、涼しい表情を崩さず納得した様子だ。
「ああ、やはり知性があるのですね。動揺が伝わってきますよ。私としては、知性なき獣より、余程相手がしやすい」
樹上を見上げ、蜘蛛へと語りかける。
落ち着いた声音で、しかし厳しい。決して揺るがないと嫌でも理解させられる、厳格さ。
「そして、知性があるのならば、その行動は罪です」
静かに発される、威圧感に満ちた声。
空気が凍る。
蜘蛛にも届いたか、操っていた大木が落ちた。人でなくとも、恐怖はあるのだ。
「大人しく逃げるのならば、許しましょう。今なら間に合います。しかし続けるのならば罰を与えなければなりません」
人間に対するような、説得の言葉。対等な相手として接している。
確かに魔法を使うだけの知性があるのならば、交渉も成り立つのか。
言葉は通じるはずもないが、確かに威圧感は通じている。交渉ではなく、生き物としての本能であろうが。
果たして蜘蛛の返答は。
「残念です」
アブレイムに向けて、直接糸を吐いてきた。何本も連発されても余裕で見切り、横に避ける。元々外れているものもあるのは、やはり恐れのせいか。
戦況は既に大きく傾いている。
そして、丁度僕の方も仕事は終わった。
「“
糸にかけられた魔法を掌握。効果を逆転し、粘度を限りなく無い状態にした。
「仕事はこなした。それはもう、ただの糸だ」
「分かりました」
頷き、即座にアブレイムは反撃へ移る。
頭上の糸を掴み、跳ぶ。宙で別の糸を踏んで足場にし、更に上へ。曲芸、軽業もかくや。見事な身軽さで、間もなく樹上へ到達。
僕にもその先で対峙する蜘蛛が見えた。
暗闇に複眼が光る。巨体の影。人に恐怖を抱かせる見た目と力を持った、凶悪な生物。
それが、目の前に落ちてきた。正確には叩き落された。
ずん、と揺れる。
追いかけてきたアブレイムも軽やかに着地。そして説教を続ける。
「他者を害した者は地獄で罰を受けなければならない。神はそうおっしゃいました」
口を開け、噛みついてくる蜘蛛。虫とは思えない牙は容易く人体を食い千切るだろう。
しかし正面にいたはずの獲物はいない。
アブレイムは右側だ。振り上げられる杖。再び大木の槌が振るわれる。が、空振り。相手は既に左側にいた。
「その対象は人だけではありません。獣は獣を食べなければ生きていけない。それは承知していますし、生きる為の最低限の殺害は神も許されています」
淡々と説教を続けながら、杖を叩きつける。
蜘蛛は左の脚を打たれ、おかしな方向に折れ曲がった。巨体の体重を支えられず、姿勢が崩れる。
そして頭部に、打撃。堅い甲殻がひび割れる。頑丈だけに生きてはいるが、最早抵抗の意思はない。残された脚を懸命に動かして、じりじりと下がろうとしている。
既に勝敗の決した戦い。一方的な暴力だ。
「しかし、あなたのそれは最低限ではありませんね。不必要です」
アブレイムは逃げる蜘蛛を冷たく見据えて追い、指摘する。
揺れにより樹上から落ちてきた動物や虫の死骸。どれも肉は大きく残っている。食べ残し。
それを指して、罪と断じたのだ。
「祈りなきあなたでは、許しを得られません」
逃げる蜘蛛に、打撃。
重い音が響く。脚が止まったところで、更に何度も。
単なる木製の杖だが、砕けず相手にダメージを与えている。ひとえに卓越した技量のおかげか。
そうして割れて広がった甲殻の隙間に、槍のように杖の先端を突き刺した。
頭を貫通。散る体液。
遂に命を捉えた。
蜘蛛の目から光が消え、糸から魔力が散っていく。魔力の残滓すらやがて薄く。
沈黙。嫌な静けさが森に満ちる。
音を立てるのはアブレイムのみ。死骸の前に、綺麗な祈りの姿勢をとった。
「神よ。感謝します。そして罪ある魂にどうか寛大なる裁きと、贖罪の機会を願います」
真剣な祈りを捧げ終えたアブレイムは振り返り、僕達へ向けて言う。
「勿論、あなた達も罪を犯した場合は罰を与えます。謙虚な姿勢と祈りをお忘れなきよう」
「……こんな見せしめのような事をせずとも、僕の胸には正義と祈りがあるのだがな」
「はい。信じています。決して違えぬように。私も自分の言葉は翻しませんので」
あくまで淡々とした宣言に、背筋が冷える。
僕が罪を犯す訳はないのだから心配する理由はない。なのに、恐怖は刻まれてしまった。情けない。
深呼吸し、精神を落ち着ける。
そうしてようやく巣からシャロを開放する為に動けるようになった。
魔術で絡まる糸を切れば、彼は地面にどっと疲れ切った様子で尻餅をついた。
「すぐに助けられなくて済まない。大変だったな」
「いやホント恐くてチビるかと思った。でもまー、この蜘蛛魔力持ってるんでしょ? ならラッキーラッキー」
「強いと言うか図太いと言うか……よくそうも明るくいられるな」
「いやこうでも思わないとやってらんねえぇんだよおぉぉおおぉぉ!!」
平然としていると思ったら、豹変して怒りの絶叫が木霊する。
元気で妙な調子。いつも通りのシャロだと僕は安心したのだった。
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