第10話 獣と人の祈り
大猫の形相を見て、僕は悟る。
もう逃げ切れば勝ち、という話はなくなった。ここで決着をつけなければ、決着がつくまで追われ続けるだろう。
それだけ強い執着の対象として定められてしまったのだ。本能より優先される、誇りによって。
獣も理屈から外れた行動をとる場合があるのだ。人間と同じように。
緊張感が爽やかさを追い出した森の中。
僕はカンディの上から飛び降り、抱えていた男を地面に落とさせる。荷物の籠も下ろした。
「“
そして形を変える。労働用から、戦闘用へ。揃った二体のゴーレムで壁を造るように囲む。
が、当然相手は囲まれる前に攻めてくる。筋肉を最大限に活かした突進の迫力は、安全圏の僕にも恐れを抱かせた。
「ファズ! カンディ!」
裏返りそうになりつつも、意識して大声で指示。
前後それぞれから殴りかかる。硬く重い拳が風を切って、敵の背中と顔を狙う。
しかし後ろは届かず、前は先に押し倒されて潰された。追ってきたファズには、くるりと跳んで背後へ回り、前脚で一撃。ぐらりとよろめかせた。
衝撃の重さも負け、速さは段違いに差がある。
しなやかな身のこなしを捉えられない。
ニ体のゴーレムによる挟み打ちをものともしない。決して鈍重ではないのに、遊ばれているような劣勢。
無力を痛感する。
僕は研究者。本来戦いとは無縁だった。だから苦戦の原因は僕の指示だろう。ゴーレム達には申し訳ない。
「くっ!」
点でなく面なら捉えられるか、とカンディに手を広げて突進させたが、当たり負けた。僕の近くにまで吹っ飛ばされる。
衝撃。慌てて後ろに逃げるも、余波に尻餅をつく。
それでも指示は出せる。形も変えられる。
ただ、真っ向勝負では分が悪いと理解させられてしまった。
岩と樹木。重く堅い体が、力で押し負ける。
息があがる。喉が渇く。汗が流れる。精神的に削れていく。
そうして暗くなりかけた世界に、背後から影が差す。
見るまでもない。聞き慣れた声は、獣と妖精の子。森の寵児。
「ペルクスッ!」
猛獣の視線が、飛び込んでくるカモミールを射抜く。
敵として定められた。
牙と爪は、己を害せる強者へ。
力を溜めるべく、体が沈む。そして跳ねた。
目前には獣。その敵意にも恐れず、カモミールは雄叫びをあげた。
「やああっ!」
精霊魔法の風に、周囲の緑が暴れる。
嵐のように枝葉を散らす飛行の勢いを乗せ、頭部へと槍を振り払った。
血飛沫が、森に散る。
──フゥゥギャアア!!
カモミールは羽を使って宙返りをし、相手を上手く避けて着地。
バランスの崩れた着地をした大猫は、耳のあたりが抉れている。ギリギリで首を傾け直撃を避けていた。毛皮と肉も堅い。浅くはないが致命傷ではないようだ。
むしろ更なる怒りと、敵意を呼び覚ました。瞳が赤く燃えたぎっている。
静かに、消えるような速さで樹上へ跳んだ。
瞬時に枝葉に隠れられ、見失う。目立つ巨体が完全に姿を消した。森の狩人の本気か。
うかつに動けない。僕達はファズとカンディの内側にこもり、守りを固める。
不穏な静寂。時間が経つだけで精神力が削れていく。
ただ待つだけで追い詰められる。
耐えかねたカモミールも対抗して上へ。キョロキョロと見渡すが見つけられない。ここからでも焦りが見てとれる。
なにか手が必要だとは思うも、僕とて疲れで上手く頭が回らない。酷い言い訳だ。なんたる未熟。
活路を開いたのは、シャロ。
サルビアに身を寄せて、頭上へ指を差す。
「サルビア、これ狙って」
一瞬、ビクリと動揺するサルビア。しかしすぐに赤くなった顔を引き締める。
シャロの指は細かく動いている。耳が正確に標的を追っているのか。
その先を追って、声が放たれる。
初めての攻撃では、対処も出来ないか。苦痛の鳴き声がこちらに居場所を知らせてくれた。更に言えば致命的な隙。
カモミールが羽ばたいて接近し、鋭く槍を突き出した。
「やっ!」
ガサガサと両者が地面に落ちてくる。
今度こそしっかり命中していた。腹部に深々と刺さった槍は赤く塗れる。
流石の猛獣も動けないようで、苦しげにうずくまる。
「ねえ、もう帰って」
カモミールは槍から手を離して話しかけた。優しく、慈しみのある声。死以外で解決したいのだろう。
気持ちは分かるが、僕は忠告せざるをえない。無力な者が恥ずかしげもなく。
「獣に言葉は通じない。向こうも逃げる気はないようだが?」
「……うん、でも」
「口元が見えるだろう? 獣が人を食うという事はな、人という生き物を獲物として認識しているという事だ。ここで逃がせば、今後僕達のような異端者が犠牲になってしまう」
「あ……」
言葉に詰まるカモミール。優しい気配が崩れていく。
卑怯だ。最初はそんな未来は無視して逃げようとしていたのだから。安全を優先して。
獣を油断なく見据え、ゴーレム達で囲みつつ、言葉を重ねる。
「だが、確かに手はある」
ついさっき手にしたばかりのものが。
記録した魔法陣を展開する。
「“
先程掌握した獣の魔法を、改めて見分する。
強制的な介入は、準備中のものの
ただ幸いカモミールとは相性が良い。獣と妖精の子なのだから。合わせて調整すれば、使用に問題はない。
「屈服させてしまえばいい」
カモミールを複雑そうな顔にさせてしまった。
確かに力尽くの解決法だ。
後ろからはシャロの「それ洗脳? マッドじゃない? いやまー、ゲットしたようなもんか」と呟きが聞こえてくる。独特な言葉を使っているが、声色からすれば納得してくれたようだ。
そう。使い魔の一種と考えれば良いのだ。
「……ううん。それは、だめだよ」
ぶんぶんと首を横に振る。
悲しげに、目は逸らさずに、獣へと目を向けた。
「さっきの、動物たちを見てたら、辛そうだった。だから、そんなのは嫌だよ」
「そうだな。その考えは正しく、優しい」
僕は肯定した。喜ばしい考え方だから。無理じいはしない。魔法陣を消した。
カモミールは笑う。友達相手にするように笑って、退却を促す。
「ね、もう行って。お願い」
彼女は獣人の血を引く。獣との交流は不可能ではないはずだ。
望みはある。一応、少しばかりは。
カモミールと僕では期待の大きさが異なるが、期待はする。
そして返答は、やはり。
──フギャアアアア!
魔法ではない、単純な雄々しい吠え声。
未だ傷から赤い血は流れ続ける。激しいはずの痛みを感じていないように、苛烈な気迫を纏う。
徹底抗戦の構え。覚悟を決めた歴戦の戦士のよう。相手の好みに関わらず、屈服はしない様子。
カモミールは青ざめていた。そこに、突進。
「あ、や……」
鋭く凶暴な爪牙に、腰が引けながらも槍で打ち合う。
カモミールはなんとか防ぐ。押され、下げられるが致命傷は受けない。力より、死に物狂いの気迫に呑まれている様子だ。
防戦一方。ひたすら押され続ける。
強い力はある。見た目も大人。しかし精神的にはまだ子供なのだ。そのズレが、この事態を生んでいる。
気迫に呑まれていても、互角。負けることはない。それがなによりの証明。
カモミールは、ゴーレムよりも大猫よりも、この場の何よりも、強い。
存在として、一段階上にいると言える程に。
経験や精神と、持つ力の大きさがアンバランスだ。
故に発生する、力の使い方への苦悩。本来なら力と精神はある程度比例するものだ。特殊な生まれの経緯故に、参考になる話もない。
導く事は、難しい。
難しいが、投げ出せない。責任がある。僕もまた未熟だがそうは言っていられないのだ。
冷えた頭は、苦境を打開するべく回る。
「カモミール。その躊躇いは恥ではない。むしろ大切に育むべきものだ。恥ずべきは命を軽く扱う者なのだからな」
「でも」
「まだ子供だ。無理はしなくていい。”
魔法陣が輝くと、空気が弾けた。
瞬間、止まる戦闘。大猫の胸に穴が穿たれた。
心臓から血が溢れる。命が失われていく。
断末魔の呻きの後に巨体が崩れ落ちる。
決着。
僕が水を差させてもらった。
大猫に削られたファズの破片を使い、小型の、掌サイズのゴーレムを創造。軽さと速さに特化した型式で、ドルザという名を与えた。
真っ直ぐに飛ぶ妖精のような、矢を射るような突進が心臓を貫いたのだ。
動き回られたら、こうまで正確には狙えなかった。押し留めていたカモミールのおかげだ。
だが当のカモミールは槍を落とし、呆然としていた。うつむき、傷ついていた。勝者とは思えない。
怪我はないようだが、内面の苦悩が深刻か。
大猫の調査など考えていられない。カモミールの苦悩を解決する為にも、まず僕は目を閉じて手を組み、祈る。
「神よ。この魂に安らぎを。罪深い我らに許しを。……もう大丈夫だカモミール。気に病む事はない」
「……やっぱり、嫌だよ。駄目だよ。こんな、悪い事をしなきゃいけないのは」
「だから人は祈るのだ。祈らねばならんのだ。悪を忘れずにいる為に」
人とは、常に正義でいたい生き物だ。悪を自覚して生きる人間は、生きられる人間は少ない。
だから正義を掲げる。悪を断罪する。
しかし正当性さえあれば、作ってしまえば、なんだろうと正義となる。善人だから悪行を為さないのではなく、善人でいたいから悪行を善行という事にしてしまう。なんでもしてしまえるのが人間だ。
己の言動を考え、改め、認める。そんな時間がなければ、人間は容易く墜ちるのだ。
難しい話だが、伝わっただろうか。
ややあってからカモミールもまた、隣に跪いて、祈った。たどたどしい姿勢で、真剣に懸命に祈る。
「神様。お願いします。どうか皆に許しと安らぎをください」
多少落ち着き顔色は良くなったがまだまだ時間が必要だ。
教育は難しい。保護者の方こそ深く学ぶ必要がある。人を導くとは、こんなにも苦労があるのだと痛感した。
それに、厄介事はまだ残っている。
薬で眠ったままの男に目をやった。
さて、彼にも許しと安らぎは与えられるべきかどうか。
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