第9話 獣と人は同じ地平に立っている

 ごくり、と僕は唾を呑み込んだ。

 現れた脅威は大きい。危険な猛獣は興奮状態で、人を既に害したのは明らか。現状は死地の間際。

 それでも僕は冷静に状況を把握し、行動に移す。保護者として、そうしなければならない。


「ファズ抑えろ! カンディそれを拾ってこい!」

「うおおっ!? あ、え、うお!」


 少し裏返ってしまった僕の指示通りに、ゴーレム達が動く。

 片や尻餅をついたカモミールと大猫の間に立ちはだかり、片や恐慌状態の男を脇に抱えて戻ってくる。

 男は事態の変化に対応出来ていないようだが、致し方ない。このままで放置だ。むしろまた余計な事をされると、今度は感情を抑えきれないかもしれない。


 早速大猫はファズに飛びかかってきた。体全体で押し留めようとするが、力で負けている。ファズの重い体が、地面に跡を残しながら徐々に後退してしまっているのだ。爪や牙で引き裂かれなくとも、壊される可能性は十分ありえた。

 猶予は心もとない。


「カモミール、立てるか!? シャロ! このまま逃げる、案内してくれ!」

「ペルクス……うん」

「了っ解!」


 カモミールに手を貸して立たせれば、少しは落ち着いてくれた。本調子ではないので無理は禁物だ。

 そして大袈裟な動作とともに返事をしたシャロは、耳で探ると行き先を指差す。

 僕達は素早く態勢を整え、逃走を始めた。

 目的は人の救出。助けられればいいのだから、大猫退治は絶対条件ではない。逃げも勝ちの内だ。

 しかし。


 ──フギャアアア!


 不意の大音声に、思わず耳を塞いでしまう。しかも森中に響く獣の声には暴力的な殺意が感じられた。狩人の意思表示。食ってやるぞ、というような。

 そんなものに身を竦ませてなどいられないと、僕達は己を奮わせて走る。


 が、シャロが異変に気付く。


「なんかいっぱい来て囲もうとしてる!」


 舌打ちしそうになって、堪えた。

 あの大猫は群れだったらしい。

 猫の仲間としては珍しい。こんな形で後から参加してくるとは尚更。が、魔界の生き物に向こうの常識を当てはめるものではない。

 そして予想外だからといって、対応しなければ、そこで終わりだ。


「例のサルビアの声は!?」

「やってみて」


 シャロの声に頷いたサルビアが口を開く。発される神秘の声。

 こちらには何も聞こえない。望みをかけて待つしかないのがもどかしい。

 しばらくして、シャロは結果を告げた。


「あー、んー、効き目悪い!」


 ならば力ずくしかない。

 冷静に判断。瞬時に切り換え、前を見る。


「よし、真っ直ぐ突破! このまま僕が最後尾だ。悪いがカモミール、前を頼む!」

「……うんっ!」


 決意の顔つきで、カモミールは槍を構えて先頭を進む。無理はさせたくないが、シャロとサルビアに声以外の戦闘能力がないのだから選択肢がなかった。

 ああ全くもどかしい。

 中にシャロとサルビア。僕はカンディと並走。特に鍛えていない並の体力でも、今のところは息が続いている。頭もまだ冷静。

 だがそれを邪魔するように、抱えられた男がわめいた。


「は、ははっ! そうだ、俺はこんな所で──」

「今忙しい!」

「はぶ!」


 うるさくて対処に支障が生じるので、男の顔面に液体をぶちまけた。

 僅かな時間の後に彼は眠る。ぐったりと静かになった。

 シャロ達と出会う前に、植物を材料として作った眠り薬だ。こんなに早く使うとは思わなかったが。


「うーわ、容赦ない。って、それあのでかいのにも効かない?」

「無論これから試すつもりだ」


 答えると同時に、カンディの空いている左手に掴まり体を持ち上げてもらう。そしてそのまま頭の上にまでよじ登った。

 安定したところで背後を確認。

 ファズはまだ耐えているが、形勢は良くなかった。下がる速度は増しているし、体の端が所々崩れてもいる。保つ時間はそう長くない。

 その間に反撃の準備を整える。


「“展開ロード”。“薬品工房ケミカルラボ”」


 魔法陣がカンディの頭の上で広がる。展開したのは、薬品調合を目的とした工房魔術。

 先程の薬の材料を足元の籠から取り出し、成分を抽出する。更に濃度を高める。本来は繊細な調整が必要な調合も、この空間は補助してくれる。だから普段なら絶対にあり得ない、速度最優先の作業を進めていく。


「ぐうっ!?」


 強い音と振動に器から薬がこぼれそうになった。周りの森も不穏にざわめく。

 遂にファズが押し倒されていた。その振動。邪魔を退かしてその上を飛び越え、大猫は襲撃してくる。

 速い。瞬く間に距離が縮まる。

 だが、準備は整っている。


「“状態変化チェンジ”」


 薬を霧状に変え、一面に散布。薬の白が森の緑を覆う。

 その中を大猫は突っ込んできて、思いっ切り吸い込んだ。

 ぐらり。巨体がよろめき、足が鈍る。目もとろんと眠りかけのものになっている。効果あり。

 このまま終わってくれ。

 そう願いつつ、油断せず集中。観察しているだけで手に汗がにじむ。


 だが、期待は虚しく、いやある意味予想通りに──。

 獣は持ち堪えた。大猫がブンブン頭を振ると、瞳に殺気が戻る。

 やはり態勢を立て直し、再び矢のように飛びかかってきた。

 驚きはしない。怯みもしない。あくまで冷静に、備えていた次の一手を素早く打つ。


「“展開ロード”。“人形工房ゴーレムドック”、“改造トランスフォーム”」


 工房魔術を変更。新たな魔法陣が光る。

 カンディの体を変形。前面を薄くし、その分の樹体を使って、背中から攻撃を繰り出す。

 唐突に伸びるは、鋭い木製の槍。


 しかし、獣を貫くはずのそれは、あえなく空振り。

 大猫は既に後退していた。不意打ちのつもりが、呆気なくかわされてしまった。

 何度も開閉する口元からは嘲笑している気さえする。


 手強さに歯噛みする。それと同時に好奇心がうずくのが自分としても困りものだ。


「賢いな。研究出来ないのが残念だ!」

「もう前からも来る! 気をつけてカモちゃん!」

「……う、うんっ!」


 シャロの言う通り、すぐに木々の影から新手が現れた。

 前方から、細長い体で角があるイタチのような獣。そして左右から、足が六本もあるネズミめいた獣。けたたましい鳴き声をあげてカモミールへ向かう。


 ただ、猫の仲間ではないのか。と疑問が湧いた。奇妙な生態は研究者心を刺激する。つくづく惜しい。

 そんな事を考えている間に、襲ってくる獣達とカモミールは互いの間合いに入った。


「……やっ!」


 わずかな逡巡の後、覚悟の掛け声。素早く踏み込み、短く持った槍で薙ぎ払う。

 しかしイタチは高く跳んで避け、そのままカモミールの頭へ。獲物めがけて牙を剥く。


「精霊さん」


 羽を広げ、補助を得てジャンプ。華麗に回転しつつ、相手より上回る高さから蹴り飛ばした。その勢いを活かし、続けて右から来たネズミへと踵(かかと)を叩きつける。

 どちらも一撃で沈黙。カモミールは余裕を持って着地した。


「おおおっ! アクロバティック空中戦!」

「シャロ。ちゃんとして」

「カモちゃん、また左右両方から来てるよ!」


 場にそぐわないような発言もするが、シャロは的確な指示をしてくれる。

 まずカモミールは右に向かった。槍と体術を駆使して新手を撃退していく。急いで、いや焦っているように見えるのはこちら側への心配故か。


「ね、あれやるしかないんじゃない? カモちゃんはあっちだし」


 むすっとしたサルビア。しかし反対はしない。むしろすぐに嬉しそうにほころんだ。

 左へ向いて、現れたネズミを睨む。表情がコロコロと変わる彼女も、この場面で動じていない。


 遠くへ呼びかけるように口に両手を添えると、目を見開いて、発声。

 森が揺れた。

 嫌がる音とは違うものだろう。純粋な大声の重圧をネズミが食らう。怯んだように止まり、そのままひっくり返った。

 範囲を狭めた声による暴力。というところか。一つの分野を極めた人間は恐ろしい。


「流石サルビア! その調子!」


 照れて赤くなったサルビア。続けて何度も繰り出していく。

 この調子なら問題ない。この窮地も切り抜けられる。


 そう、思った矢先。


 ──フギャアアアアアァ!!


 大猫がけたたましく吠えた。サルビア以上に森を揺さぶる。

 すると僕にも分かるぐらいに、森中から足音が生まれた。獣の進軍。


「うお、増えた! まだまだいるぅ!」

「もうっ!」


 イタチとネズミ、他にも倒れた獣達以上の数が迫ってきた。絶対的なボスの号令だったようだ。

 カモミールは怒ったような顔で戦っている。赤いウサギを打ち払い、四本腕のサルを蹴り上げ、角イタチを突き刺す。

 囲まれかけて、一旦上へ跳ぶ。しかし樹上にも、尻尾が二本ある大型のリスがいて噛みつかれそうになっていた。

 それでも彼女は妖精。軽やかに、鮮やかに、狭い森の中を飛び回って、攻める。

 苦しげな表情は、自分の苦痛よりも、動物を倒さざるをえないこの状況に対するもののように思えた。


「ファズ!」


 だが、復活というならこちらもそうだ。

 一度倒されたくらいで僕のゴーレムは壊れない。起き上がり、後ろから突撃。

 が、大猫は軽く跳んで避け、上からのしかかる。大型の重量に岩の体もミシミシと鳴る。劣勢。しかしこちらも毛皮を掴んで留めている。

 その間に、次の一手。


「“展開ロード”。“生体研究サンクチュアリ”」


 妙な疑問は放置してはいけない。

 これがきっかけになるだろうと、相手を調べる。

 しかし読み取れるのは、やはり肉体や骨格の構造。そういう魔術なのだから当たり前だが、現状では活かせない。むしろ負傷も疲労もまるでしていないという、恐ろしい現実が見えるだけだ。

 敵を知る、という基本は間違っていないはずなのだが。


「あー、サルビア。ちょっとあの鳴き声に張り合ってみて」

「えぇ? ……分かった」


 シャロの提案に従い、サルビアは僕達にも聞こえる声で叫ぶ。大猫そっくりに真似た鳴き声。歌姫だと言ったが、芸に関しては多才らしい。

 それを目を閉じ耳に手を当てて聞いていたシャロ。ふざけていた雰囲気は消え、真剣そのもの。

 目を開くと、こちらを向いて口早に言った。


「やっぱり! ペッさん、これただの鳴き声じゃなくて魔法じゃない!? サルビアのも最初魔法って疑ってたし、多分そんなの!」

「……成程、素晴らしい仕事だシャロ!」


 僕はシャロに心からの賛辞を送る。

 独特な視点や技術を持つ人間はやはり有り難い。行き詰まった研究にも新たな糸口をもたらしてくれる。

 と、そんな風に利害関係で考えがちなのは僕の悪い癖だ。利害を抜きにしても、シャロは良い関係を築いていきたい。自由な言動を気に入ったから。

 それはともかく、後は僕の仕事だ。


「“展開ロード”。“分析アナライズ”」


 また工房魔術を変更、魔法陣を分析する為の魔術を展開。今度はボス猫の周りだけでなく、周囲の空間までをも覆う。

 結果は、当たり。

 強き者が命令し弱き者を服従させる、精霊魔法の一種だった。仕組みさえ理解出来たなら、対処は容易い。僕はそれだけの研究を積み重ねてきたのだから。


「“掌握ドミネーション”!」


 魔法陣が赤く輝き、発動。

 光が収束し、機能を縛る。鳴き声の魔法を封じてやった。

 大猫にもやっと痛手を与えられたか。唸り声にも悔しげな気配がする。

 その隙をついてファズが押し退けた。そのままマウントを取り返そうとしたのは避けられたが、これでイーブン。


「よっし、やっちゃえサルビア!」

「任せてシャロ!」


 意気揚々と胸を張ったサルビアにより、不可視の攻撃が森に広がった。確かに歌姫の貫禄。劇場でないのが残念だ。

 獣達は悲鳴をあげ、一目散に逃げていく。何者だろうと命は惜しい。枷が外れればそんなものか。

 カモミールも槍を下ろし、ほっと一息。あの数をよくやってくれた。素晴らしい健闘で、こちらにも賛辞を送る。


 そしてあとは、一体の獣。

 僕は意識を改めて向き合う。警戒し、準備を入念に整える。


 対するは低い唸り声。

 威嚇する猛獣。瞳は獲物を見据える。血濡れの牙がぬらりと光る。

 配下はいなくとも、単体で十二分に強い。

 更には武器の一つを封じられた事を理解しているせいか、空気が変わっている。より洗練された狩人らしい静かな殺気を纏う。


 嫌でも思い知らされた。

 まだ、僕達は助かっていない。

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