第8話 魔界にいるのは悪人なので

 四人と二体の一行になった僕達は、雑談をしながら森を進む。

 暗くて危険な森も、サルビアのおかげで平穏になったので、ただ賑やか。シャロはずっと明るく笑っていて、まるで観光のよう。数々の虫や獣に襲われていたのが嘘のようだ。

 途中からは木々が薙ぎ倒されて道のようになっている場所を通った。一直線に森を貫いており、歩きやすくて助かるが不審に過ぎる。ただ、シャロによると居住地に繋がっている安全な道らしい。

 となれば、人によるものだ。居住地にいた人物を考えれば誰の仕業か察しがつく。むしろ懐かしさすら感じたものだ。


 襲撃はなく、会話に花が咲き、研究ははかどる。不満など何一つない道行きだった。

 しかし、そんな順調だった移動の最中、シャロが急に立ち止まった。


「……あー、ちょいストップ。このまま真っ直ぐ行くのは止めた方がいいっぽい」


 その声には軽い口調に反して、重苦しい気配が満ちていた。

 嫌な感じが肌を走る。


「少しなら遠回りになってもいいよね?」


 シャロは唐突に真っ直ぐ進んでいた行き先を変えようとする。笑みの消えた真剣な顔で。

 僕もまた、きな臭いものを感じ、意識を思考に割きながら問いかける。


「理由はなんだ?」

「危ない感じの音が聞こえるんで」


 さっぱりと答えたシャロ。険しい雰囲気ながらも、話す様子は世間話のよう。嘘や誤魔化しの気配はない。

 しかしそれは妙だ。カモミールと顔を見合わせる。

 彼女はやはり首を横に振った。

 父から受け継いだ耳は人より遥かに敏感。その耳に異音は聞こえていないのだ。

 シャロを信じていない訳ではない。ただ、疑問は放置出来ない性分である。

 抱いた問いを素直に尋ねる。


「カモミールには聞こえないようだが、シャロには聞こえるのか?」

「あー、オレこれでも音楽のプロなんでね。耳は自慢っていうか生命線っていうか……まー、耳がチートなんだよ」

「チート?」

「まあ天才って事だね」


 よく分からない言葉を使う。女神の件といい、やはり遠く離れた文化圏の出身だろうか。

 それより恐ろしい事に、スラスラと淀みなく言葉がハッキリしていて、事実を言っているように聞こえる。これで嘘なら仕方ない。検証出来る時間はないのだから。

 だから続けて、質問を重ねる。


「この先にいる危険には、嫌がる音は効かないのか」

「あんまり大きくて強い奴は無理なんでねー。そういう時はこうして遭遇しないようにしてるんで」


 やはり同じように真実らしい台詞だが、僕はまだ納得しない。どうにも話を急かしている気がする。


「まだ何か隠しているな?」

「えー、オレ疑われてるぅ?」

「いいや。好奇心がうずくだけだ」

「……仕方ないかー」


 真っ直ぐ見つめている内に、とうとう反応。妙に険しかった雰囲気が、変わった。悪戯がバレた子供めいたものに。

 嘘はなくとも、端々に後ろめたさがあったのだ。

 罪悪感に苦しむように、シャロは少し下を向きながら言った。


「人が肉食獣から逃げてる。このまま進めば、その先で横から来たそいつらとぶつかる」


 それは、予想していた事態だ。この危険な土地では当たり前に起こり得るのだから。

 カモミールが息を呑んだ気配。衝撃に顔も青くなる。優しい心には毒になるか。

 しかしあくまで冷静に、僕は問い続ける。


「助けないのか」

「……だってそいつらクズなんで」

「それも聞こえると?」

「うん。向こうで何人も襲ってた野盗っぽい。異端とかじゃなく、シンプルな悪人だよ」


 どれだけの聴力があるのか。シャロにも魔法補助があるのか。信用はするが、研究対象として実に興味深い故に疑問が浮かぶ。

 それを後に回して、考える。

 この話が真実だったとして、確かに僕達には無関係ではある。悪人だとか善人だとかも。

 シャロが決めているように、見捨てる選択もアリだろう。助ける義理はない。危険な獣と虫が蔓延る森では尚更。


 だが、そう簡単に冷酷な判断を下せるものではない。特に、幼ければ。


「わたし、見てくる。ねえシャロさん、どこに行けばいい?」

「カモミール。落ち着け。落ち着くんだ」


 カモミールの顔には焦りがあった。

 相手の素性を聞いても尚、見捨てられない。危うい優しさの発露。


 さて、保護者としてはどうすべきだろうか。

 安全を最優先にするのなら、大人しく迂回するべきだ。

 かといって、見捨てる事が正しいとは教えたくない。


「カモミール。お母さんとお父さんに会いたいだろう? 自分を優先していいんだ」

「だって、わたし達も同じなんでしょ?」


 純粋な言葉が、真っ直ぐな瞳が、僕にぶつけられた。


 僕達は、悪。

 そう断定されたから、ここにいる。であれば、確かに同じだ。

 罪人にもそれぞれに事情は異なる。一度説明はしたが、譲る気はなさそうだ。

 保護者としては判断が難しいところだ。

 難しいところだが──正義感を否定するのは、やめておく。


「分かった。様子を見に行こう」

「……ありがとうペルクス!」


 険しい顔で頷けば、満面の笑顔。この豊かな心は必ず守らなければならない。

 後ろからはサルビアの困惑した声が聞こえてきた。


「ちょっとシャロ。どうするの」

「……これはこれでヨシッ!」

「はあ?」

「正義感溢れる行動をとる女の子。危険を顧みない純粋なヒロインの奮闘。人はそれを尊いと言うんだよ!」


 ポーズまでつけて興奮気味に言い切ったシャロ。

 真剣な場面にも左右されない独特の感性だ。女神が登場する劇を作ろうとしただけはある。劇における天才とはこういうものかもしれない。

 理由はともかく、一緒に来るらしい。


「シャロ。嫌だったのだろう? 僕達だけで行ってもいいんだぞ」

「無理。あんなの見せられたら最前席に行くないでしょ。というか案内しないと。カモちゃんこっちだよ!」

「うん、ありがとう!」


 不謹慎だろう台詞を残し、シャロはさっさとカモミールを連れて走っていく。嫌そうな顔のサルビアも一緒に。


 となれば僕も、いち早くゴーレム達と走り出すしかない。

 不思議と気分は高揚している。

 これではシャロに何も言い返せないか。

 僕の口元にも笑みが浮かんだ。自嘲か、それ以外か。なんにせよ、気分は悪くない。





 道から外れ、森の中を駆ける。最短距離で追われる人間の下へ。

 いつの間にかカモミールはシャロを追い越して、後ろから方向の指示を受けていた。

 邪魔するものはいない。道を塞ぐ木や藪があっても、先頭のカモミールは軽やかにかわしていく。追いついていく僕達は苦労するので、ファズに強引に道を作ってもらって進む。

 そうして遂に悲鳴が届いたか、カモミールの耳がピクピクと動いた。更なる早足。僕達と距離が空く。後ろ姿からも焦燥が窺える。

 彼女は立ち止まらず、姿が見えると自分から大声で呼びかけた。


「ねえ、大丈夫!?」


 その後に、急に止まった。驚き、絶句した気配。

 そして遅れて並び、僕も怯える男の姿を捉えられた。

 カモミールの動揺した理由を察する。


「はっ、はあっ……? 誰……あ、オイッ! 助けろ! 助けてくれ!」


 奥から走ってくる男は恐慌状態で、血に濡れていた。顔は恐怖に引きつり強張っている。若くそこそこ鍛えている体も、生傷と血糊で痛々しい。

 そんな彼が、僕達の目もはばからずに、ぐちゃぐちゃの様相で訴える。


「もうっ、俺以外全員死んだんだ!」


 全滅。

 魔界への流刑は、最も重い刑罰である。故にこれは、悲劇でもない現実の結末だ。当然の結果だった。

 だとしても、本人には受け入れ難い悪夢。

 涙と鼻水にまみれた、すっかり怯えきった顔で必死に叫ぶ。


「死にたくない! 消えたくない! 助けてくれ!」

「分かってる! わたし達で助けるよ!」

「当たり前だ! 俺たちは悪くない! ちゃんと金を納めてた! なのにそれがちょっと遅くなったぐらいで、こんな末路、冗談じゃない!」

「…………え?」


 カモミールが止まる。動きではなく、世界が停止したように、ピタリと。

 理屈では訳が分からなくとも、感性で悪意を忌避しているのか。

 僕は無論、男の来歴を把握した。説明も可能だ。それでもどう対応すべきかは、即断出来ない。確かにシャロの言う通りの人物で、カモミールには関わらせたくないという気持ちもあるのだから。


 ──だが、今は、そんな事に迷っている場合ではなかった。


「俺は生きるんだ!」


 男は悪行を、他者の犠牲を選択した。

 未だ困惑したままのカモミールの肩を掴み、そして後ろに投げ飛ばしたのだ。硬直していては抵抗も出来ずに身代わりとなってしまう。呆然と尻餅をついた。


 瞬間に怒りが沸き立つ。冷静ではいられなくなる。魔術師失格と言われても仕方ないような衝動が胸の内を暴れる。


 だが、それだけの怒りすら打ち消す程の、悪寒。

 背筋に寒気が走った。本能が警告を鳴らしている。

 危険は目前にまで、投げ出されたカモミールのすぐ前にまで迫っていた。

 低い唸り声。木が倒れる鈍い音。そして背後を見た男の震えた悲鳴が木霊する。


「うわあああ!!」


 木を薙ぎ倒して現れたのは、獣。

 熊よりも大型で、膨れあがった筋肉の、赤茶色の山猫のような姿。口元から赤い何か──獲物の血肉を垂らしている、人食いの獣だった。

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