2.自覚

「カレシと別れた」

 隣を歩いている優子さんが言った。弟を殴り倒してから1ヶ月が経っており、街路樹から蝉の鳴き声が沢山聞こえる。俺は、

「浮気したヤツ?」

 彼女は笑って、

「そう。なかなか別れようとせんかったけどな。部屋から出ようとせえへんし、追い出してもアパートとか駅の近くを彷徨うろついてるんよ。同じ教師とは思えんわ」

「そいつ、殺してやろうか?」

 思わず出た言葉だった。後悔していると、

「ありがとう」

 意外な言葉が返ってきた。教師という立場を重んじている筈なのに。

「蒸し暑いわ。雲っとるもんなあ。雨ぐらい降ったら多少は涼しくなるし、蝉の鳴き声も止むのに」

 俺が言うと優子さんが笑った。

「そうやなあ。天気予報が正しかったら、そろそろ降るんとちゃう? 案外、あたしらの持ってる傘は使うかもしれへんで」

「じゃあ、俺は雨が降らへんほうに賭けるわ」

「何やそれ」

 二人で笑っていると鼻の一点に冷たさを感じた。次第に冷たい砂粒をまぶされたような感覚が頭や素肌を襲ってくる。俺達は片手に持った傘を開いた。

「賭け、ハズレ~。罰金として一万円払って」

「金額が生々しいわ。何に使うんよ?」

「百円ショップでクラスの皆に使い捨てカイロを買うねん。試験の時期はずっと寒いからなあ」

「真面目か」

 そうやって笑いながら歩道を歩いて行くと、彼女が突然、傘を開閉させて雨水を飛ばしてきた。

「ちょ─何するんよ?」

「懐かしいやろ? 小学生の頃、よくやってん」

「ええから止めろや」

 何度言っても優子さんは水を飛ばしてくる。俺も負けじと彼女に向けて傘を開閉させる。

 きゃっ。

 優子さんが小さな悲鳴を上げる。面白くなった俺は構わずにどんどん水を掛けていく。

 彼女も笑いながら水を掛け続けた。

 道端で何分ぐらいそうしていたのかは分からないけれど、先に冷静になったのは優子さんだった。

 彼女は何も言わずに傘を開いて上に向ける。そんな彼女の様子を見て俺も傘を開いて上に向けた。優子さんの顔は林檎のように紅潮している。子供のような言動を恥じているのかと思ったが違った。互いのシャツが透けているからだ。彼女の胸を見て気付いた。水に濡れてへばり付いた布は肌や下着の色をあらわにしている。彼女は肌色のブラジャーをしていた。俺のワイシャツも黒のアンダーが透けていて、乳首の形が浮き出ている。

「翔矢君ってたくましい身体しとんなあ。惚れてまいそうやわあ」

「先生もブラ透けるでえ。エロいなあ」

 互いに冗談ぽく言ってみるが、気まずい沈黙が長引いただけだった。

 こんな時に弟の発言を思い出してしまう。

 美人でも先生は先生だ。

 俺は自分の下腹部の様子を気遣いながら彼女と再び歩き出す。

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