第21話 青二才
僕、クリスティーナ、アンジェリカ、アルバート、カーラ。
一度各人の部屋に案内され、正装に着替えた後で全員が扉の前に立っていた。
黒と灰色を基調とした燕尾服に身を包んだ、初老の執事が僕らを見て穏やかに微笑む。髭の下の口元が、軽く緩んだ。
人を安心させる笑顔だと、純粋にそう思った。
「そうかしこまらなくとも大丈夫です。ご主人様は鷹揚かつ優しい方ですから」
そう言われてリラックスできるわけがない。
今の今まで想像と絵の中でしか見たことがなかった最上位魔法の使い手に、やっと対面できるのだ。
緊張と、期待と、不安が入り混じって自分で自分がわからなくなる。
手や足をせわしなく動かすことを、止められない。止めたら自分がどうにかなってしまいそうだ。
「ヴォルト君…… 少しは落ち着き給え。べつに取って食われるわけではあるまいし」
見かねたのか、アルバートが軽く肩を叩いて励ましてくる。
やがて、執事の手によって扉が開けられた。ヴァイオリンの低音のような音を立て、ゆっくりと室内と外の空間がつなげられていく。
アルバートを先頭にして、僕たちは室内に足を踏み入れた。
柔らかい絨毯の感触が靴越しに足の裏をくすぐり、古びた木の香りが嗅覚を刺激する。
最上位魔法の教科書に載っている肖像画よりも、少し老けた女性が窓際の椅子に腰かけていた。
アンジェリカやアルバートと同じ赤髪だが、やや茜に近いくすんだ色。夕焼けの中に降る霰のように、白いものが混じっていた。
年のころは五十かそこらだろうか、紺色を基調とした薄手の服を身にまとい、腰にアンジェリカやアルバートと同じヒノキの杖を腰に差している。
だがその杖には、最上位魔法の使い手のみに許される金の彫り物が施されていた。
それを見て、全身を稲妻が通り抜ける。
胸を震えるような感動が満たしていく。
幼いころ暗い部屋で杖を握って、初めて魔法を使った時と似ていた。
自分が新たな世界に足を踏み入れる、そのことへの期待。躍り上がらんばかりの感情。
気が付くと僕以外の全員が深く頭を下げて最敬礼していることに気が付き、慌ててそれに倣った。
「アデラ叔母様、ご無沙汰しておりました」
代表してアルバートが第一声を述べ、初対面である僕らのことを簡単に紹介する。
アデラ様は軽く会釈して挨拶した後、紺色の服の裾をひるがえして立ち上がった。
「アルにアンジェ。ひさしぶりねえ」
彼女は甥と姪に歩み寄って、一人ずつハグしていく。
薄くしわのある額の下の瞳を細めるその表情は、ごく普通の中年の女性、と言う感じがして。
僕はやっと、肩から力を抜けた。
「たまには私から会いに行けたらいいんだけどねえ。 最上位魔法の使い手は、蒼き山、蒼き海の近くから勝手に離れることは許されないし」
「こうして年に一度、会えるだけでも幸せですわ」
「そうだよ、叔母様」
「それで叔母様、こちらの方々が……」
アンジェリカに促され、初対面である僕やクリスティーナが軽く自己紹介をした。それから腰を落ち着けて、夕食まで談話の時間となる。
執事さんは積もる話もございましょう、と席を外した。
アデラ様の応接室は扉を開けた正面に書類や羽ペン、インク壺などが置かれた執務用の机があり、背後に天井から床までの巨大なガラス戸があってローモンド湖越しに蒼き山が見渡せた。
文様の描かれた壁には額縁の絵が飾られており、調度品や革表紙の本が詰められた、赤味がかった木製の棚がある。
七人が席を囲んでも狭いと感じないほどのテーブル、卓上に用意されたお茶と焼き菓子をつまみながらの取り留めもない会話。
カーラは相槌をうったり適当に答えたりして、距離感を上手に測りながらうまく会話に入っている。
クリスティーナは余り興味がないのか、相変わらず死んだ魚のような目をしている。けれどアデラ様がそれを不快に感じている様子はない。
でも僕の頭はずっと、一つのことしか考えていなかった。会話も上の空で聞いていた。
本来なら、こんなところで聞く話ではないのかもしれない。到着して間もない、これから晩餐も控えている、落ち着いて話をするにはあまり向いていない。
でも、止められない。
「大丈夫ですの? お菓子にもお茶にも、口をつけていませんけど……」
アンジェリカの声に、場の注意が僕に向いた。色の違った十の瞳が、僕を捉える。
今だ。
残照を受けて西側だけを赤く染め上げた蒼き山を窓越しに見ながら、僕は腹を決めた。
「あ、あのっ!」
僕は思わず勢い良く立ち上がる。その反動で足に獅子の装飾が施された椅子が後ろ倒しになった。絨毯の敷かれた部屋だから音はほとんどしないけれど、みんなが仰天したのが上気した頭の隅でうっすらと感じられた。
この屋敷は南側がローランド湖に面している。特にこの部屋は天井から床まで届く巨大なガラス戸になっており、山々の緑と街道に囲まれた水面が一望できた。
ガラス戸の木枠は細かな彫刻が施され、茜色に染められた湖が額縁にはめられた絵画のようだ。
突然立ち上がった僕に、周囲が驚いたような、咎めるような視線を向ける。
年長者であり、一番落ち着いた雰囲気のアデラ様でさえ目を丸くしていた。クリスティーナだけはまったく表情を変えていない。一緒に過ごした時間が長いし、僕が何をするのかわかっているのだろう。
一人だけ手を伸ばし、新しい焼き菓子を無表情でかじる。
ありがとう。僕は心の中でお礼を言って、息を吸い込んだ。
「突然申し訳ありません、ですが最上位魔法の使い手、アデラ・アールディス様にぜひとも伺いたいことがありまして……」
それから僕は最上位魔法について、ありったけの思いをぶつけていった。
最上位魔法をどうやって使えるようになったのか、使った時の感触は、使うためにどんな訓練をしたのか。
人それぞれだから質問したって意味はないかもしれない。でも、使い手当人の言葉には本には書けない、何かヒントが隠れているかもしれない。
今までどんな可能性にもすがって努力してきた。それでも手がかりすら見つからなかった最上位魔法の行使。
不安と期待に胸の奥を支配されながら、僕は必死にほとばしる思いを言葉にしていく。
みんなは始め、驚きながらも僕の方を見て耳を傾けていたけれど。
やがて場の空気が白けた感じになっていく。話早く終われよ、ウザい、そんな雰囲気が肌にまとわりつき、喉に絡まる。
だんだんと言葉から始めの勢いがなくなっていく。
クリスティーナはまったく表情を変えずに、焼き菓子を食べる手だけを止めていた。
アデラ様はずっと耳を傾けていた。鮮やかな紅でなく夜に近い茜色の髪の毛の下の目は、ずっと僕のことを見て。でもそれがプレッシャーでなく。
嫌な顔一つせず、口を挟むこともなく。
初対面の、僕みたいな青二才の勝手な一人語りを聞いてくれていた。
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