第22話 なぜ忘れていたんだろう

「す、すみません…… 一人で長々と」

 いたたまれなくなって、僕は後ろ倒しになった椅子を元通りにし、座りなおして頭を下げる。一度視線を下げると、再び上げるのが怖かった。

 でもずっと頭を下げているわけにはいかない。恐る恐る、視線を上げてみんなの顔を見る。

 アンジェリカは呆然とした感じ。

 カーラはなぜか、指を組んで手を合わせていた。

 クリスティーナは、一点を見つめて残念そうな顔をしていた。卓上を見るとあれだけあった焼き菓子の皿がすでに空になっている。

 アルバートは、押し黙った感じで僕を見ていた。視線に圧を感じて、思わず身がすくむ。

 自分より背が高くて運動神経がよくて、おまけにイケメンである相手は怖い。


「ヴォルト君。君の思いはわかるが、少し無礼が過ぎないか?」


 アルバートの声音に、僕の胸に冷たいものが走った。

 赤髪のイケメンは姿勢を正して、僕を見据える。

「まず初対面の相手、しかも公爵家と縁続きの方に対しての態度ではないよ。まずそれが一つ。それに」

 彼は腕を組みなおし、一度ため息をついた。それから呆れたような目で僕を見据える。

「君の意欲は買うが、少し最上位魔法にこだわりすぎではないか?」

 淡々とした口調とさっきと違って諭すような顔で、幾分穏やかな感じだったけどそれが逆に辛かった。

「魔法を習うものなら、誰しも憧れるものだ。君の気持ちはわかる。だが貴族として、やらねばならないがある」

「まず領地の経営。勉学に励むこと。そしてインフラの整備に必要な、上位魔法の習得だね。君はクリスティーナさんと違い、まだ習得できていないだろう?」

 クリスティーナの視線が怖くなった。

「まあ高等部二回生では僕たちを除いて、ほとんどの生徒が習得できていないけれど。それを放棄してまで、習得しようとするものなのかい?」

 僕は爪が皮膚に食い込み、痛みを感じるほどに拳を握りしめる。

 故郷を思い出す。やせた土地。冷害で五年に一度は不作になる、めぐまれない気候。その土地を治める貴族や、その土地で働く平民の疲弊した表情。

 それと対照的な、ここに来るまでに見た豊かな実り。

蒼き山の火山灰に長年晒されたこの土地は、かつては痩せた土地で。蒼き山の噴火が活発になり巡礼の旅人が途絶えたことで領地の経営が危ぶまれたこともあったという。

それが、土属性上位魔法、「アース・ファートル」を繰り返しかけ続けたことで肥沃な土地に生まれ変わった。

「最上位魔法を使うのも尊いが、上位魔法で土地を豊かにすることも大切だろう?」

僕の家の領地も。僕が土属性の上位魔法を使えれば、もっと豊かにできるんだろうか。他の貴族が介入するのを、僕の親は良しとしないし。

確かにそうだ。僕がアース・ファートルを使いこなせれば、領地の経営も少しは楽になるのだろう。上位魔法の習得のために血眼になるのが、正しい貴族の子弟の姿なのだろう。

でも。そうやって諦めるのは、自分の人生を否定されて、負けたような気分になる。

諦めたくない。たとえどんな目に遭ったとしても。

 そういう感情が目に現れたのか、アルバートは眉をひそめて毒を吐いた。

「剣や最上位魔法の習得に熱を上げるのも良いが…… 身の程を知り給え」

 僕は何も言い返せず、拳を握りしめる。

 わかってる。

 本当は、最上位魔法を習得するよりも上位魔法を習得したほうがいいってことくらい。

 でも。

 僕は自分に負けたくない。

 今までの努力をなかったことになんてできない。

 そんな僕を見て、アルバートは深々とため息をつく。

「自分の夢を他人より優先させるか…… 子供だね、君は」

「……そんな言い方はないでしょう」

 茶髪を頭の両側でらせん状に垂らしたカーラが反論する。肩が小刻みに震えていた。

「必死に努力することは美徳です。神様が創られた世で努力することは、神様の栄光のために働くことでもある、と聖書にも書かれています」

 でも年下の少女から反論されたのが気に入らなかったのか、怒りも露わにアルバートはカーラを睨みつける。

「事実だろう?」

 カーラはその一言で俯いてしまった。髪と同じ栗色の瞳が恐怖に泳いでいる。

 座っていてもカーラの目線は、アルバートより頭一つ分は低い。

膝に置かれた手は、スカートに大きくしわが寄るほどに握りしめられていた。

 その様子を見て、僕は初めてアルバートに怒りを抱いた。だがアルバートは僕の心情など斟酌することはなく。

それからクリスティーナの方を見て、気遣うように切れ長の瞳を細めた。ツーブロックの赤髪が、窓から入り込む湖の湿気をはらんだ風に、かすかに揺れる。

「君も、こんな人が許嫁だと苦労するだろう?」

 カーラに対するものとはまるで違う、別人が発したかのように穏やかな口調と目。

 赤髪の下の目線は、地からその顔をのぞかせた紅の朝日より細く、優し気な光を称えていた。同性である僕が見とれるほどに。

 その言葉を聞いて、その表情を見て。僕は、怒りより不安が先に来た。

 僕が許嫁だと苦労する。

 その言葉が、胸の奥を抉る。

 クリスティーナは、僕と一緒に遊んで。最上位魔法の練習に付き合って。色々としてくれている。

 僕は彼女に、何ができているのか。

クリスティーナの視線が不安になる。近頃は忘れていたけれど、僕たちの関係は親が勝手に決めた婚約者、というだけのものだ。

いい雰囲気になることはあるけど、それだけだ。

好きと言われたことも、キス一つさえしたことがない。

こんな風に空気を読まない行動をして、発言をして、場の雰囲気を悪くしてしまった。

僕を嫌いになったんじゃないか。

そんな妄想が、心を塗り潰そうとする。

 でもクリスティーナは、水色の髪の下の目を細めて、無機質な声で淡々と言った。

「苦労? そんなことは、思ったことがない」

 学内カーストも、家柄も、成績も格上の相手に対し、断言する。

 アンジェリカもアデラも、カーラも呆気にとられるのがわかった。

 空気が変わるのを、肌で感じた。

「最上位魔法を会得するために努力している彼は格好いい。お世話するのは楽しい」

「目立たないだけで、やるべきことはきちんとやっている。領地経営に必要な勉強も。座学だけでなく。ここに来るまでにその土地の人々の暮らしぶりをつぶさに観察して、勉強していた」

「不器用で口下手だから、成績には表れ辛いけど。彼はきっと、いい領主になる」

「……最上位魔法を使えるようになってもならなくても、そんなことは彼の価値に関係ない。私は妻として、ただ彼について行く」

 目頭が熱くなり、鼻の奥がツンとする。

 彼女はいつもこうだから。クリスティーナは、僕の婚約者は必ず、こうしてくれるから。

 なぜ忘れていたんだろう。王都を出発する馬車に乗り込む際もそうだった。



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