第19話 入国
道を行くたびに、蒼き山が大きくなっていく。出発したときは地平線にちょこんと突き出た三角にすぎなかったが、月や太陽が丸ごと隠れるほどになり、やがて天を突き刺す壁のように間近に、巨大に見える頃。
アンジェリカやアルバートの苗字の元にもなっているアールディス州に入った。
アールディス州は蒼き山以外にも青々とした山に囲まれた、盆地だ。そのため夏は王都より暑く冬は王都より寒い。
小麦の匂いをはらんだ香ばしくも涼しい風が、今は蒸し暑いだけの熱風になっている。
箱、或いは屋形と呼ばれる、人が座る一室に備えられている窓をすべて開けると眼下には穀倉地帯が一望できた。
同時に街道沿いにある宿が、目に見えて増えてくる。王都やこれまでに見てきた町より宿の数が多く、道行く人々の服装も様々で旅人が多いことがわかる。
しかし王都と違って石造りの家は数が少なく、見事な木目の目立つ木造の家が多い。それらの家々からはヒノキの香りや、庭に植えられたクチナシの甘い匂いが漂っていた。
この地には蒼き山以外に、鬱蒼とした森の低山がこの地を取り囲む。そのために豊富な山林を活かした木造建築が発達したらしい。
度重なる噴火により山頂付近には草木一本も生えず、夏でも雪が絶えない神秘的な外見。
蒼き山は王国のどの地域からも見えることから、災害と共に神の住む山と称えられ古くから巡礼に来る人たちが後を絶たなかった。
しかし信仰を集める蒼き山の近くとはいえ、噴火が活発になってきた頃は大勢の民衆が避難し、一時期は人口が激減した。
だが四十年前にアンジェリカの叔母である最上位魔法の使い手が噴火を鎮め、それ以降の小噴火も食い止めてきた。
今ではもし噴火があれば最上位魔法を一目見られるチャンスだと、蒼き山は通年大勢の観光客で賑わう。
と、ここに来るまでにアンジェリカが教えてくれた。
馬車が大きく揺れ、馬車の箱が前方に傾斜する。中にしつらえられた机に置かれた私物が、滑りそうになるのを慌てて支えた。
蒼き山のふもとには穀倉地帯を潤す澄んだ河が流れ込む、巨大な湖が五湖存在する。
そのうちの一つ、ローモンド湖に向かって馬車は緩やかな下り坂を走っていく。
もう蒼き山と、ローランド湖は目の前だ。
湖に突き出た桟橋では観光客らしき人が手漕ぎの舟に乗る姿や、波打ち際で長い竿を使って釣りをする人の姿があった。
日が西の空に傾き始め、凪になったのか風が止んでくる。
王都の南に位置する蒼き山は風が穏やかになると、ローランド湖に鏡のようにその姿を映していた。上下さかさまの蒼き山が湖の中にもう一つ存在しているような、幻惑的な光景に思わず見とれる。
「風がない日にのみ見ることができる、特別な光景ですわ」
カーラは蒼き山に対して鎮魂の意を捧げるかのように手を組んで瞑目し、表情を露わにすることが少ないクリスティーナも目を見開いていた。
「そろそろ、着きますわよ」
みんながせわしなく準備を始めるのを見ながら、僕は胸が打ち震えるのを抑えきれなかった。
ローモンド湖の湖畔にアールディス州の領主の館がある。
そして領主の館には。アンジェリカ達の叔母、最上位魔法の使い手、アデラ・アールディス様が住んでいるのだ。
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