第11話 カーちゃん

 日が真南の空に差し掛かるころ、マギカ・パブリックスクールの前期が終わった。明日から初秋までマギカ・パブリックスクールは夏季休暇に入る。


 多くの生徒は領地に帰るけど、僕もクリスティーナもその予定はない。


 真夏の王都は汗が噴き出るような暑さで、一歩一歩ごとに日差しで体力が削られていくのを感じる。


 寮への帰り道、炊煙の白い煙と共にいい匂いが漂ってきた。


 クリスティーナが死んだ魚のような目を輝かせる。どうしようか、なんて聞かない。僕と彼女は匂いのする方へ歩き出す。王都の外壁近く、あまり豊かではない地区の方向へ。


 白い石畳の道をまっすぐ歩き、少し横に反れると王都にいくつかある広場に出た。


 いつもは平民か下級貴族の憩いの場となっている、木々がまばらに生えた下草が踏み固められた土色の広場。


 僕とクリスティーナも何度か訪れたことがある。


 でも今日はそこの一角にいくつかの白い天幕が張られ、炊き出しが行われていた。


 火魔法のチャコールで作られた木炭で熱せられた大釜でスープが焚かれている。その前に立つ濃紺の衣服をまとった十数人の女性たちが、乾いたパンが入った木の器にスープをよそって配っていた。


 頭を下げながら受け取っている列に並んだ人たちは、ほとんどがやせ衰えた子供や、片脚を引きずって歩く身体障碍者、時折奇声を上げる精神障碍者たちだ。


 災害で親を失ったり障碍者となった多くの人は、施しのある都市へ来る。スラムで寝泊まりしながら、炊き出しの食事と日雇いの仕事でその日暮らしをしているそうだ。


 スープとパンを配る人はほとんどが濃紺の修道女服をまとった中年のシスターたちだったが、ごく少数若い子も混じっている。


「どうぞ。押さないでくださいね、まだ沢山ありますから。あ、二度は駄目ですよ? 他の人の分がなくなっちゃいます」


 いつか聞いた声だけど、いつもと違う声。

 春風のように澄んだ声は、大声でないのに他の声の中からはっきりと際立ってよく通る。


 左右に垂らしたらせん状の髪の色は栗色。

 修道女服に包んだ体は、小柄で起伏に乏しい。

 笑顔で一人一人に接しているのは。以前クリスティーナを侮辱した少女、カーラ・カルダーだった。


 濃紺の修道女の服を身にまとい、スープとパンを施す合間を縫って子どもたちと話している。

 裾が汚れるのにも構わずしゃがみこんで。子供たち一人一人と視線を合わせて。


 手首と足首までが隠れる丈の長さの服を着て、汗を滝のように流しているが、嫌そうなそぶり一つ見せない。


「行こうか」


 僕らは教会関係者じゃない。クリスティーナと共にこの場を立ち去ろうとするけど、その前にカーラが僕たちを見つけた。


 僕たちと目が合うや、子供たちに向けていた穏やかな表情が一瞬で消えて、代わりに汚物でも見るような目を向ける。

 

「何の御用ですか? 神の御言葉に背いた妾の子」


 春風が秋霜のように凍てついた声へと変わる。教会の教えでは一夫一妻が原則だ。

 彼女からすれば正式の夫婦以外から生まれたクリスティーナの存在そのものが神に背いた結果だ。


 でも百年前から蒼き山や海の災害が激しくなり、神に祈ってもそれらは止められず犠牲者は増え続けた。それによって教会への人々の畏敬の念は急激に冷めていったという。


 信者の数も随分と減った。僕やクリスティーナはせいぜいクリスマスの時に教会に行くくらいだ。

 神への信仰で最上位魔法に目覚めたという話もあるから、一時期熱心にお祈りしたことはあった。


 でも神様にお祈りしても、最上位魔法が使えるようにはならなかった。

 それでも、葬式や慰霊を行えるのは宗教たる教会しかない。

 それに昔から慈善事業などを手掛けてきており、国を超えて広がるネットワークが今も生きている。


「いい匂いがしたから来た。あなたがいたのは、まったくの偶然」


 クリスティーナは悪びれもせず、淡々と答えた。

 カーラの前の大釜からは、まだ白い煙が立ち昇っている。


「食べ物の匂いに吊られてきたのですか? これだから卑しい妾の子と許嫁は」

「おい、そんな言い方は……」


 僕が言い返そうとするけど、クリスティーナは逆に僕をおしとどめた。

 スープの列に並んだ人たちが、何事かと僕たちの方を見て、小声でささやき合っているのが見える。


「カーちゃん、けんか? けんかは、駄目」


 列から駆け寄ってきた小さな子供の一人が、そう言ってカーラを押し止めた。

 カーラはスープをよそっていた手を止めて、裾を修道女服の裾を押さえながらしゃがみこむ。


「そ、そんなことないですよ」


 声が再び春風の音をはらむ。


「でもカーちゃん、怖い……」

「ごめんなさいね。でも怒ってるわけじゃないから。早く列に戻りなさい」


 さっきとは打って変わった穏やかな様子で、列に戻って行く子供を見送る。しゃがんだまま手を振るカーラは、さっきまでと同一人物にはとても思えなかった。

 悪い子ではない、そう評したアンジェリカの言葉が脳内でリフレインする。


「カーちゃん?」

 

 何気ないクリスティーナの言葉に、栗色の髪の下の顔が熟れた桃のように染まる。

 ああ、カーラだから子供からはカーちゃんか。起伏に乏しい細身の体だけど、大勢の子供に囲まれているのを見るとなんだか子だくさんの母親のように見えてきた。


「わ、忘れなさい!」

「嫌」


 クリスティーナが食べ物のこと以外で笑うのを、久しぶりに見た。

 そのままカーラを見つめると、自分に言い聞かせるかのように軽く頷き、腕まくりするような仕草をする。夏服だからまくる袖はないけど。


「炊き出し、手伝う」

「なぜですか? あなたは教会の関係者でもないのに」

「迷惑をかけたお詫び」


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