第10話  結婚観の変化

窓から室内に差し込む日差しが茜色よりも暗くなり、金の鎖につながれたランプに灯がともされた。

「近年は婚約が遅くなる傾向ですから、今日は色々な話を聞けて参考になりましたわ」

「こっちこそ、美味しい食事を有難う」

 クリスティーナがラシャ織の布が敷かれた背もたれに体を預け、満足そうにつぶやく。

 アンジェリカは天井に向かって手をかざし、憂うように呟いた。

「婚約……」

 雪よりも白い肌と、炎のような赤髪のコントラストが美しい。

「この体に流れる貴族の血。血が純粋であるほどに優秀な魔法使いが生まれるとされていますわ。優秀な魔法使いを残すため、ふさわしい家に嫁ぎ、子を成す。それが貴族の女の務め」

 かつては貴族同士が子を成して、魔法使いの血を残していくために許嫁という制度はごく当たり前のものだった。

 しかし百年ほど前から蒼き山、蒼き海の災厄が活発になり、命を落とす魔法使いが急増していく。

 祈っても救われない人間の続出は教会の権威の失墜と共に男女のありようも変えた。

 許嫁が結婚前に他界する中で、幼い頃に相手を決める許嫁という制度も自然と廃れていった。

 最上位魔法の使い手の出現で命を落とす魔法使いは激減したけれど、一旦廃れた制度は戻らなかった。

「私はもともと、婚約なんてする身分じゃなかった。本来、マギカ・パブリックスクールに入れるような身分でもない」

「本当は一生、平民の母様の家にいて、父様の家から毎月送られてくる養育費と母様の稼ぎで細々と暮らしていくはずだった」

「でもクウオーク家には優秀な魔法の使い手が生まれず、でも私に魔法の才能があることがわかって、入学させられて。でも平民の母を持つ私では、貴族への嫁入りなど難しくて」

「ヴォルトの所が、いいと言ってくれたから、父上も気が変わらないうちに、と早めに決めた」

 クリスティーナに、そんな顔をさせてしまうことが悲しい。

 僕の家は名家とはお世辞にも言えない。王都から外れた痩せた土地を細々と耕して暮らす、田舎貴族だ。

 石ころだらけの荒れた土地も多く、そこは荒地でもよく育つとされる豆や芋ですら育たない。

 土属性の上位魔法が使えれば、豊かにできるのに。

 クリスティーナの家は王都で王族に仕えるそこそこの家柄だ。妾腹の子とはいえ、中央の貴族とつながりを持てるなら持っておきたかったのだろう。

「そんな顔しないで。以前も聞かれたけど、ヴォルトと許嫁になったのは、嫌じゃない」

 クリスティーナが腰のベルトに差したミズナラの杖を見ながら、ぽつりと漏らす。

「でも血で魔法の才能が決まるなら、どんなに楽だったか。平民として過ごしていたころの友達は羨ましがるけど、平民の中にいるほうが気楽」

「まあ、血で才が決まる、という説に一理はありますけれど」

 アンジェリカが空になったカップを持ち上げながら呟く。

 平民は魔法を使うことができない。両親ともに平民ならばまず可能性はない。親のどちらかが貴族ならば使えることはあるが、確率は格段に落ちる。

 祖父母のうちひとりだけが貴族ならば使える確率はほとんどない。

 片親が平民でも魔法の才に溢れた、クリスティーナのような例は非常に稀だ。

「魔法と家柄…… 貴族は常に、この二つにしばられ続ける定めですわね。最上位魔法が使えたなら、多少の自由も効くのでしょうけど」

 燃え盛る炎のように赤い髪の毛を撫でながら、自嘲するように呟く。

「皆様ご存じの通り、わたくしの叔母は火属性の最上位魔法の使い手ですわ。下級貴族ながら公爵家に嫁入りできましたし。しかも叔父様に惚れて。成り立つはずのない恋が、最上位魔法で可能になりましたわ」

「そういうの、憧れる?」

「多少は。でも最上位魔法を使うのは、平民が公爵になるよりも難しいとさえ言われますし」

「わたくしもアルバートも、幼いころは叔母様を見習って一生懸命練習しましたわ。来る日も、来る日も。でも最上位魔法の手がかりすらつかめませんでした」

 アンジェリカがカップをソーサーの上に置くとき、珍しく大きな音を立てた。バツの悪そうな顔をする。

「アルバートが諦めたのは、わたくしよりだいぶ後でしたけど。最上位魔法への憧れが強かった分、絶望も大きかったのでしょうね。それで少々、ひねくれてしまいました」

 確かに、中等部まではアルバートも熱心に最上位魔法の訓練をしていた。

 でもアルバートがひねくれている? とてもそうは思えなかったが、姉弟でしかわからないものもあるのだろうか。

 隣に座るクリスティーナは関心のない様子で、最上段の皿に乗せられたケーキに手を伸ばしていた。

 僕は窓の外から見える、雪混じりの山をぼんやりと眺める。

 王国は小さな大陸とも言える三つの島から成り立つが、王都がある中央の島の南、半島との境目にそびえるのが「蒼き山」だ。

 特殊な岩石のために遠くからは蒼く見える、王国に二つとない山。

 王国一番の標高を誇る高山であり、真夏でも常に山頂には雪を戴く。

 また王国のほとんどの場所からその姿を崇めることができ、古来より恐怖と同時に信仰を集めてきた。

 一般の山と違い複数の山が連なっているのではなく、平地から三角形が突き出るようにたった一つの山がそびえ立つ珍しい山容。

 その形は山河の多い王国でも唯一無二の形であり、多くの絵画に描かれてきた。

 この国で最も美しく、最も多くの命を奪ってきた山でもある。

 

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