第3話 余裕を演じきれ!

 唯一見えていた一等星が空に溶けるように明るみ始めた頃、オーナーが帰って来た。

 壁が透けたのか、オーナー自身が透けたのかはっきりしないが、しっかりとした足取りには夜通ししてきた事など微塵も感じない。しかし髪は濡れそぼり、真っ白だったブラウスは赤茶色にどす黒く汚れていた。しかしそんな姿でも、りんとした彼女の美しさが変わる事はない。

その姿にセキをはじめ皆はホッと息をつく。


「「おかえり!」」


 みんなの顔を見たオーナーも嬉しそうに頷いた。

そうして自ら汚れた服をその場で脱ぎ捨てていく。色白の美しい裸体。背中を向けているのはオーナーの恥じらいで無く、男性陣への配慮だろう。セキがその肩にバスローブをかければ瑞々みずみずしい弾力がセキの手に跳ね返る。


 以前オーナーが客の前で着物を脱ごうとした事があった。その時つい声を荒げてしまったセキだったが、今日は誰もオーナーを咎める者はいない。こうして実態を保ち続ける強い意志こそが、オーナーがこの場で働く事の意味であり、皆の願いでもある。

 セキはオーナーをシャンプー台に導いた。ユナが甲斐甲斐しく蒸しタオルでオーナーの手足を拭いていく。

セキは丁寧に泡立てたシャンプーで髪を梳きながら洗っていく。

 

「…消耗した?」


「そう見える?」


 質問をのんびりと質問で答えられたセキは、正直に言う。


「見えないわ」 


「じゃあそうなんでしょう」


 むしろ可笑おかしそうに形の良い眉を上げるオーナー。


「でも疲れたでしょう?」


「そう見える?」


「見えないわ」


「じゃあそうなんでしょ!」 


「……粗方終わった?」  


「そうね。後のヤマは明後日のお中日かしら」


「その事なんだけど…、今夜から、あたし達も出ようと思うの」


 気持ち良さそうに、閉じていたオーナーの目がパッチリと開かれる。澄んだ黒い瞳が下からまっすぐセキの真意を推し量る。


『出来ない言い訳を考えるな…』


 オーナーが、以前言った言葉だ。だからセキから行くと言えば反対はしない。

……しないとは思っていても、セキや側にいるゲンスケやエモトにも多少の緊張が走る。


 オーナーは、少しだけ意地悪く睨んだが、再び深い瞳をまぶたで隠した。隠された瞳の奥はたぶん照れが含んでいたと思う。


「お中日…」


「え?」

 

「お中日よ。その日は、あちらの世界とこちらが一直線になる日よ。おそらく根元からも、大量に這い出て来るわ。…私はあなた達の後ろに立つ事は無いわよ!」


 子供みたいなオーナーの言い分に、セキは力を抜いて柔らかく微笑んだ。


「そうでしょうね〜」


「私が前に立てば、あなた達のする事なんか何もないわよ!」


「そうでしょうねぇ~♡」


「それでも行くの?」


「ダメなの?」


 セキの勝ちだ。

キレイにトリートメントされたオーナーは起き上がると、ふてくされたような幼顔。そんな顔でも、まったく困った事に幽霊一の美人顔だ。

ニヤニヤしたエモトとゲンスケにドライヤーを当てられる。黒く艶のある髪は風をはらむとゆるく舞い上がり甘い香りを漂わせた。


「おっ! 新商品のピーチの匂い!」


 ゲンスケは嬉しそうに鼻をフンフンさせる。オーナーは、諦めたように肩にかかった髪を指先ですいた。大きく息を吐く。


「いい? ぜったい自分でになら無い事! 周りが見えなくなるし、次の戦略を生み出すチャンスも失うわ。それと、どんな小さな変化も見落とさない! それを必ず記憶するの! アレは一体一体に意志がある。同じ土俵に立つなら常に余裕を演じきる事を忘れないで…」


 まー、仕事ここでも言うことは同じだけどね! と、鏡越しに睨むオーナーに、ゲンスケとエモトが神妙に頷く。セキもオーナーと目を合わせて目尻を下げて頷いた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る