第2話 ハードで優雅なわざわざ店

 いつもと同じ店内が、オーナーがいないというだけで木目の壁はツヤを失い、磨き上げられているはずの鏡は薄い膜を貼られたようにくもって見えた。


 いつも通り振る舞おうとするスタッフの中、麗奈れいなだけは泣き出す寸前で、嗚咽を漏らさないよう両手で口を押さえていた。勤め始めたばかりの麗奈にとって初めて味わう恐怖。


「年に一度だけ…やらないと…っ」


 ユナが麗奈に説明を試みるも、うまく言葉を紡げない。ただの人間である麗奈がここの幽霊達と働く事が出来るのは、ひとえに彼女達の優しさに他ならない。

何より自分がここで働く事を望んだ。ならば共に働く仲間として逃げ出す事は許されないと、ぐっと唇を噛む。

そんな震える麗奈の背中をユナは賢明に擦っていた。




 昨年もその前も、心配するセキに何でもない事のようにオーナーは言った…。


『べつに私でなくても良いんじゃないかしら? でも何故か私がやるの。他の誰かが変わってくれる訳じゃ無いしね。でも私ね、じつはこの日が凄く楽しみ! だって今日の風は私の為に吹いているって思うじゃない! 海が波をおしよせるのも…、満月の月明かりでさえ、私の為だけに照らされているってね!』


 オーナーでなければ、なんて傲慢な女…と感じる言葉。しかし彼女が言えば、すべてがその通りと思えてしまうから不思議だった。


『…あたし達に手伝わせてはくれないの?』


 セキの言葉を分かっていたようにオーナーがニッコリと笑う。


『ふふふ…。私を慕う気持ちがあるから、皆ここにいるんでしょう? 凄く嬉しいの。今年手伝う? 来年? その次は? 私がこの先やる事は何も変わらない。あなた達はどう?』


 揺らぐことのない黒い瞳は、その覚悟があるのかを聞いていた。

季節が巡れば必ず来る彼岸。恐怖をやり過ごしても、又繰り返し、決して終わりは無い。そうしてこの先ずっと…、ここに留まっていられるのか? 

実体を保つだけの意志を持ち続けれるのか?




「あの時オーナーはこう言ったわ」  


 いつもの明るい調子でセキは言う。重たい雰囲気を漂わせていた店内は弾かれるようにセキに注視する。


「「…上に立つ者、いかにハードで優雅なのか、ここで仕事する事で知ったわ。…ここを来店するお客もいる。あなた達がを大切に思うように、私もが好きなのよ!」ってねぇ」

 

 その時、リンと涼やかな音とともに木目の扉が開いた。


「「いらっしゃいませ〜!」」


 いつも通りの明るい声は、自信に満ち溢れ、お客を極上の空間へお迎えするに相応しい顔つきに皆が変わっていた。



 日付が変わる頃、静まり返った路地裏は、満月が、雲がかかるのを許さない、とでも言うかのような明るさを放っていた。


 客が引けた店内からエモトが扉を開け、様子を見に行く。


「お前、何度見に行っているんだ?」


 ゲンスケのからかいに、ふんっとエモトがそっぽを向く。


 二人の心配を、さも分かってますと言うように笑ったセキは艶やかに頷いた。 


「そうね。おそらく今日はもう落ちないと思うわ。でも三分の一ほど残ってる。後は明日と言うか…、今夜かしらね」 


 四季咲き性のレモンは、春の開花数が一番多い。今も残るレモンの果実の間から広がった五枚の白い花びらは、緑の葉と重なり合い鮮やかな三色を奏でて可憐に咲く。


 フローラルに変わった香りが、未だに残る果実こそ不釣り合いなのだと主張する。 

 皆がソレをもぎ取り燃やしてしまいたい衝動なのだが、それをした所で何も変わらないのは経験済み。


「…これぐらいなら、今夜は俺たちも出てみねー。数が多いとオーナーの…、その、なんだ。足手まとい……で、このぐらいなら俺達でもいけんじゃねぇか?」 


 ゲンスケが巻いたバンダナの上から頭を掻きながらしどろもどろに言う。遠慮がちな言い方は、らしくない。しかし、珍しくエモトも賛同した。


「自分もだ。オーナーの手助けをしたい」


「あら、あんた達随分カッコイイ事言うようになったじゃない♡」

 

 サマになったウインクを二人になげたセキはクスクス笑った。


「そういうおまえはどうなんだ?」


「あたしはあんた達が言う前に決めていたわよ。信じた道がオーナーならあたし達の進むべき道はオーナーが進んだ道筋を辿る事ね」


「じゃあ今夜は俺たちの初陣か?」

 

「いいわねぇ。楽しそうだわ。大いに暴れましょう♡」


 後は帰って来たオーナーが、何て言うかだけど…。





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