美容室は死者の番人は致しません【参】

高峠美那

第1話 レモンの下には何がある?

 セキはいつもの着流し和服にタスキをかけ店の前へ出た。古民家風の可愛らしい美容室の横にはレモンの木が西日を浴びて影をおとしている。


「今年は、随分残っちゃったわ」


 男性でありながら板についた女性言葉。セキは誰に言う訳でもない独り言を声に出してため息をつく。桜の下には死体が埋まっている。誰かがそんな事を言っていた。桜の花びらが色づくのは死体から養分をすっているからなのだと。


「…桜とはかぎらないんだけどねぇ」


 黄色いひし形のレモンは重さを枝に主張するかのようにその実を風で揺らした。風に冬の冷たさは無い。今日が春の彼岸入りでなければ、夜桜見学と洒落て楽しい時間を過ごすのも良かったのかもと思う。しかし、今日は春の彼岸入り。セキは何度目かのため息をつくと木目の扉を押して店内に戻った。



Hair dressingヘアドレッシグ Lifeライフ


 ここは、美人オーナーが営む美容室。彼女達は幽霊でありながら人間相手に営業している変わり者。お代に娯楽の提供を頂くのは正当な代価だが、不思議と馴染み客も多かったりする。



「らしくねぇな」


 セキが店に入るとゲンスケが丸メガネの奥の瞳をからかうように細めて声をかけた。だが、そう言うゲンスケとて唇の隅を吊り上げた笑い方に緊張を感じる。

互いに言い合う仲のエモトは長いピアスを静かに揺らし、黙ってオーナーを見下ろしていた。

 オーナーは鏡の前の椅子にゆったりと座りユナに髪を結ってもらっている。緩く結い上げられたうなじから流れた一房の髪はシンプルな白いブラウスを色気を漂わせるものにしていた。


「…何か、羽織らなくて良い?」


 あまりにいつもどうりの格好のオーナーにセキが問えば、これが私の戦闘服よと、ニッコリと言い切る。

 オーナーが何でもない事のように立ち上がった瞬間、店の壁がすーと溶け外の風が柑橘系の香りを運び、レモンの木を正面に見据えていた。辺りはすっかり暗闇に包まれている。ひし形のレモンのシルエットはそれぞれ発光していて、淡くたわわの実りは蛍であればと場違いな事を願ってしまったのはセキだけではなかったようだ。ゲンスケもエモトも互いの目線を絡ませ苦悩するように眉を下げる。

自身達は幽霊であり命がけ、という事態には無縁のはずだ。それでも、実体を保てなくなる消失は必ずいつか来る。


「始まったわ…」


 前だけを見据えていたオーナーの言葉におびえは一切感じられない。

 風に揺れたのかと、レモンが枝からボトリと落ちた。続けてボトリ…ボトリと地面に落ちる。土に触れると同時にレモンとしての黄色い色は茶色く濁った色に変わり、大きく膨らみを持ったかと思うと生まれたての赤ん坊のようなくしゃくしゃな顔が浮かび上がった。それがまた一つ、また一つと増えていく。 異常に頭だけ大きなくしゃくしゃな顔の赤子のような姿のそれは、あきらかに意志を持ち歩みは遅いもののまっすぐオーナー目指し進んだ。


「自らの犠牲と引き換えにしか、すべが無い…なんていうセリフは…言わないでよ?」


 セキの心配気な声はオーナーをこちらに振り向かせるだけの効果はあったようだ。普段であれば『そーんなやわいセリフ、私が言うと思うの?!』 と、一喝されていたと思う。しかしこの時のオーナーは美しく咲き誇った笑顔で、唇だけ動かし言葉を噤む。それは、大丈夫でも、心配しないででも、逃げろでも無い。


 …ま・か・せ・て


 正確にその言葉を受け止めれば自分達のすべき事はただ一つだった。


「…近くで桜のライトアップがあるみたい。オーナーの好きなお酒を持ってお花見に行きましょ…っ」


 セキは敢えて明るく言ったつもりなのだが、増えていく赤子のくしゃくしゃの顔の濁った塊がオーナーの足をよじ登るように擦りついてきた。一体が這い上がると次から次へと這い上がろうとオーナーを覆う。暫く面倒くさそうに払っていたオーナーも数を増やしていくそれにブラウスの袖口を取られ真っ白だったブラウスが赤子が吐き出した汚物の泥を浴び茶色いシミを作った。

 たまらず、ゲンスケがオーナーを呼ぶ。しかしかけた言葉は…。


「酒とつまみ何にする?」


 こんな状況にもニッコリと笑ったオーナーは、今度はしっかりと声に言葉を載せた。


「大吟醸ゆりとしめ鯖ね!」


 そうして、店内の壁は湯気が立つようにユラリとせり上がり、明かりを灯した無機質な電気がセキ達を何事も無かったように優しく照らした。

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