第40話 聖女エリザ

 時はアブソリュートがクリス達と合流した頃まで遡る





 今回の演習にあたり教会は森の中に簡易基地を作成して現在聖女達はその中で計画の進行を見守っていた。



「報告します。レオーネ王女が本部まで撤退したようです」


 聖騎士からの報告を受け、聖女エリザは残念そうに口を開く。


「計画は失敗の様ですね。…シリウス司教?」


 自分より一回り年下の聖女にシリウス司教と呼ばれた男はただひたすらに頭を下げ続けた。


 優しい声音のように聞こえるがどこか圧のようなものを感じて言い淀んでしまうシリウス司教。


「まさかレオーネ王女の側にあれ程の実力者がいたとは思いませんでした」


「確かにそうですね。上位種を1人で全て倒すなんて…あのメイドは一体何者なんですか?」


 聖女はいつもの穏やかな表情のまま上位種の魔物がやられる報告を聞いていた。

 シリウス司教は聖女の言葉に自分が悪いわけではないのに萎縮してしまった。

 聖女エリザ、初めはライナナ国の辺境の街から聖女に据える為に連れてこられただけのどこにでもいる少女だったと記憶している。だが、今はライナナ教会に傾倒しすぎてどこかおかしくなっているように感じる。


 近年ライナナ教会はどこかおかしい。昔は悪に対してもそこまで締め付けは強くなかった。だがネムリア枢機卿が戻ってきてからというもの、今はライナナ教会の判断で裏で粛正するまでになった。この作戦にしても貴族を相手に手を出すなど普通は有り得ない。正直今すぐにでも逃げ出したいのが本音だった。

 

「ミカエル王子からの情報だと恐らくアブソリュート・アークの奴隷兼侍女マリア・ステラだと思われます」


 聖女エリザの護衛であり同じクラスの聖騎士アーニャが補足する。


「ステラって確か代々優秀な騎士を輩出していた家よね?それにマリア・ステラって聞いたことあるわ。確か10才の時には騎士団から勧誘されていた程の逸材…。何でアーク家の奴隷なんかに?」



 本来の計画では主力の上位種の魔物でミスト達を囲むように配置し、逃げ場を封じてから襲う予定だった。だが、2つのアクシデントによりそれは叶わなかった。その一つがマリア・ステラの存在である。ミスト達を襲う為の主力の上位種をミスト達を囲む前に1人でほぼ全て倒してしまったのだ。 

 教会側は大量の上位種の魔物を倒せる人材がアブソリュートを除いてあの中に紛れ込んでいようとは思ってもいなかった。そのアクシデントにより本来予備戦力として温存しておいた魔物計300を急遽投入することになったのだ。


「上位種が全滅したのは仕方ありません。ですがシリウス司教、どうしてもっと彼らの近くに魔物を転移させないのですか?魔物が彼らの元へ行くまでにラグが出来たせいでレオーネ王女を逃してしまいましたよ?」


 聖女エリザは魔物のテイムと転移を担当しているシリウス大司教を笑顔のまま責める。


「それが…彼らの近くでは固有魔法が使えないのです。恐らく何らかのスキルか魔道具の力が働いているのかと…」


「彼らに転移を封じる手段があると考えているのですね?」


「えぇ、転移阻害の魔道具…もしかしたらあの者達の中に所持者がいるかもしれません。恐らく空間の勇者対策としてスイロク王国でも作られたでしょうからレオーネ王女が所持している可能性があります」


「空間の勇者ですか…まさか勇者対策の転移阻害の魔道具が、まだ残っているとは思いませんでした」


 聖女達が予想しなかったアクシデントの2つ目は本来転移させる筈だった場所に転移させることが出来ず、結果距離を空けて転移をする羽目になりミスト達に逃げる時間を与える結果になってしまった事だ。


 勿論それは偶然ではない。アブソリュートは教会が転移に近い手段を使用すると予め分かっていた。なので交渉屋を捕縛する時に使用した『転移阻害の魔道具』を荷物の中に入れる事で転移対策をしたのだ。その結果時間を稼ぐ事に成功しレオーネ王女の避難を許してしまった。

 


「クリスティーナさん達の対処をお願いした聖騎士の皆さんもまだ連絡もありませんし今回はここまでですね。シリウス司教は見つかる前に引き上げて下さい。私達は演習に戻ります」


「…承知しました」


「お話し中失礼します。聖女様、私達のグループの方から魔法が打ち上がりました。非常事態かと思われます」


「そうですか、なら早く戻らないといけませんね。シリウス司教また教会で」


 聖女エリザはそう言うと護衛の聖騎士アーニャを連れてグループの元へと戻っていった。


 聖女達が離れるとシリウス司教は周りに誰もいない事を確認してひと息をついた。ストレスから解放され、一気に身体から力が抜けていく。


「はぁ〜疲れた、まじで帰りたい。聖女様は遠回しに責めてくるから心労がヤバいし、魔物を使って間接的に人を殺しさせられてるしやってらんないわ」


 シリウス司教は流されやすい男だ。親の言うままに教会に勤めて、上司に言われたことだけをやり教会内の派閥争いも流れに流されていつの間にか上位の派閥に属してしまい出世して司教にまでなった男だ。

 上層部に言われて仕方なく従っているが本当は悪人であろうが人を殺したくなんかなかった。


「アーク派閥以外の人間も手にかけようとするなんて…どっちが悪か分からないな」


 シリウスは自嘲しながら撤退の準備の為に重い腰を上げようとすると誰も居ないはずの後ろから幼さの残る女性のような声が聞こえた。


「どちらが悪か分からないなら教えてあげるの。貴方が一方的に悪いことをね」


 声はシリウスの耳元から聞こえた。

 気づくとシリウス司教の首に刃物が当てられていた。


(えっ?嘘だろ…。いつの間に俺の背後にいたんだ)


「動かないで。勝手に口を開いたり動いたりしたら殺す。分かったら静かに頷くの」


 言われた通りシリウス司教はゆっくりと頷いた。すると後ろにいる人物は首元に当てていた刃物を振りかぶってシリウス司教の右肩に深く突き刺した。 


「ギィヤアアアアアアアアアアアア!」


 刃物で刺され血が吹き出す。


(なぜだ、言う通りにしたのに…なぜ刺された?)


「動くなと言ったのに動いた罰なの。お前には耳がないの?」


(お前が頷けと言ったんだろうが!クソ、コイツ…ヤバい。理不尽すぎる。早く逃げなければ)


 固有魔法を使い逃げようとするがその為にはコイツの目を掻い潜らないといけなかった。


「お前を観察してて分かったのは転移するには穴を作ってそこを潜らなければならない。だから動けない様に全身を痛めつけてから連れて行くの」


 シリウス司教はこれから自分に起こりうる事を予想し身体を震わせた。肩を刺されたこともあり頭から血の気が引いて息も荒くなる。


「ウルのご主人様に手を出して楽に死ねると思わないことね。ご主人様は優しくて、カッコよくて誰よりも強い。…いつも自分を犠牲にして誰かを守っているの。お前らみたいな小悪党がご主人様に手を出すなんて絶対に許さない。ご主人様の敵は全員皆殺しなの」


(何を言っているんだコイツは…それに手を出したって?コイツ…アーク家の者か。ああ終わった…俺の人生どこで間違えたのかな) 


「ウルの大事な人を傷つけようとした報いなの。安心して殺しはしないわ。ご主人様に怒られるから」


 その後、叫ばれないように初めに喉を潰され全身の骨を折られた。幸運だったのは途中から意識を失ったので痛みを感じる時間が少なかったことだろう。骨の折れる音が基地の中で響き続けた。


「終わったわ…新入り、ウルとコイツを屋敷まで送りなさい」


「あっはい先輩」


 シリウス司教が痛めつけられる所を離れて見ていた交渉屋はウルの命令で2人をアブソリュートの屋敷へ転移させた。


 ウルと主犯を転移させた後誰も居なくなった司教の基地で交渉屋は項垂れた。


「ウル先輩もヤバい人だった…やはりアーク家は危険だ。殺される前に逃げないと。…その前に主犯を捕らえたからアークさんの所へ報告に行かないとな…あぁ仲間の元へ帰りたい」


 交渉屋は夜空を見上げながら力無く呟いた。






 

 シリウス司教と別れ聖女達は自分達のグループに合流するためキャンプ地へと向かった。


 キャンプ地へ到着すると何やら血の香りが漂っていた。 


 異変を察知した聖女達の視界に映ったのは信じられない光景だった。


 聖女達のキャンプ場は血の海と化していた。


 血の海となったキャンプ場に散乱するのは長い間聖女達と時間を共にした聖騎士達の死体…そしてその中で聖騎士達の死体を食らっている血や肉に塗れた数体の魔物の姿。目を見開くアーニャと静かにその光景を冷めた目で見つめる聖女エリザ。


「そんな…皆…何やってるんだお前!」


 アーニャの怒鳴った声で肉を食べていた魔物達は聖女達に気付いてしまった。魔物達は聖女らの方を向く。それは黒い肌をしたオーガだった。


「あれは"強化種"のオーガ?この森には教会が放ったもの以外はいないはず…もしかして…裏切ったの?ネムリア枢機卿」


 仲間の死に動じず冷静に現状を分析する聖女。

 するとこの最悪な状況において聖女はある可能性に辿り着いた。仲間からの裏切りの可能性に。

(計画は失敗したわ…もしかして口封じの為に私達を始末しようとしているのかしら?)

 聖女は自分の考えを否定するように横に首を振った。


「あり得ないわ、そんな事。アーニャ構えなさい!〈パワー上昇〉〈スピード上昇〉〈リジェネヒーリング〉〈ダメージプロテクト〉〈ラッキークリティカル〉〈ソード・オブ・スラッシュ〉そしてスキル"扇動"。

 アーニャ、私の剣となり魔物を駆逐しなさい!」


 聖女は連続して魔法とスキルを発動させ聖騎士アーニャを強化した。

 強化されたアーニャと強化種のオーガの激しい戦闘が繰り広げられた。だが、アーニャには聖女エリザがついていた。どんなに傷ついても聖女が癒し力を与える。腕や足がちぎれても、どんなに血を流してもアーニャは戦い続けた。


 そして激しい戦闘の末にアーニャが強化種に勝利を収める形になった。


「…あり得ないわ。本当にネムリア枢機卿は私を殺そうとしたの?それならもっと魔物を集めてきそうなものだけれど…」


 聖女を殺すにしては少々殺意が足りないような気がして頭を悩ませる。

 少し考え込んだ後、聖女は犠牲になった聖騎士達の名前と人数を把握する為に遺体元へ向かった。犠牲になったのは8名。聖女のグループの総数は10名。聖女と聖騎士アーニャ以外の全員が犠牲になったことを意味していた。

 中にはクリスティーナの始末を命じたエヴァン達も含まれていた。


(何故クリスティーナさん達の始末をお願いしたエヴァン達まで?もしかしたらシリウス司教の単独の可能性もあるわね)


 アーク家が黒幕の可能性があるがアブソリュートは仲間を救う為に東奔西走していると聞いている。アーク家には魔物を自分達に仕向けるなど不可能だと考えた。


 今回亡くなった8名は幼い頃から聖女を公私共に支えてきてくれた聖騎士達だった。聖女は悲しげな顔を作り亡くなった仲間達の魂に救いがあるように祈りを捧げた。


(いつからかしら…身内の死を悲しめなくなったのは。あれだけの時間を共にした仲間が死んだというのに、何も感じない。こんな薄情な私が聖女なんて笑えないわ。

今はただ理想の聖女を演じているだけのアクターでしかない。でもそれで構わない…私はただアーク家に復讐が出来ればそれだけで良いのだから)



 聖女の心中を知らず仲間達の為に祈りを捧げる聖女の姿を見て聖騎士アーニャは声を上げて涙した。



 その後救援に来た教員達の手によって聖女達は保護されていった。教員達は皆悲しげな表情を浮かべて祈りを捧げる聖女に同情し誰もが彼女が被害者であることを疑わなかった。


 だがそれも聖女による演出である。仲間の死に対して悲しげな顔を作り可哀想な女を演じたのである。


 被害者と加害者を両方を演じながらも周囲の同情を買うのが上手い。それが聖女エリザという女である。


(とりあえず誰が黒幕か確かめなくては…ネムリア枢機卿が敵だとしたら厄介ね)


 仲間の為に祈りながら別の事を考える聖女だった。



 そんな聖女の様子を魔物を放った張本人である交渉屋は離れた場所から観察していた。主人に結果を報告する為に。

 


 


♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢


 


「という感じで聖女達は生き延びました。アークさんが殺した4名の遺体は魔物にやられた形で処理しまし、それに加えて強化種の魔物に殺された4名、ウル先輩が捕らえた捕虜1名が成果になります」


 演習が終わりアーク家の屋敷の防音室で交渉屋から聖女達の様子を聞いていた。

 アブソリュートは交渉屋の手腕を試す為に聖女の取り巻きである聖騎士の処理を任せた。結果、交渉屋は教会と同じように魔物を使って聖騎士達を襲わせたのである。


(下準備で魔物を何体か捕まえるように頼まれたがこういうことだったのか。流石は交渉屋だ…転移だけじゃなくこういった仕事を任せられる人材は貴重だ。捕まえて正解だったな)


「聖女は本当に殺さなくてもよかったんですか?」

 

「ああ。今回の計画は聖女1人で立てたものではないだろう。敵の規模を見る為に聖女を泳がしておいたが、やはり教会全体が絡んでいるのは間違いあるまい。今回奴等を逃がさない為に証拠を集めたのだ」


「アークさんがまた裏で殺せばそれで終わりませんか?」


「聖騎士のような下っ端ならそれで終わった話だが、聖女や枢機卿のような立場がある者の処理は慎重に行わなければならない。それにこういう奴等を相手するには色々とやる事があるのだ。全く宗教というものは面倒だ」


 主にやることと言えば証拠集めと外堀を埋めることだ。

 聖女が主犯の司教と共にいる所を映像の魔道具で記録している。あとは枢機卿の証拠があれば言うことはないがこれだけでも正当に聖女を排除することができる。

 どうするか悩んでいると交渉屋が声をかける。


「アークさん取引をしませんか?」


「ほう…言ってみろ」


「現状まだ枢機卿を仕留められる証拠はありませんよね?なら僕がライナナ教会の枢機卿が逃げられないような証拠を持ってきます。その代わり見返りとして僕を奴隷から解放してくれませんか?」


 アブソリュートは少し考え込む素振りを見せる。

(交渉屋はできない交渉はしない。ということは証拠についてある程度目処がついているのだろう)


「"交渉屋命令する"証拠の心当たりについて全て話せ」


 現在奴隷である交渉屋は主人であるアブソリュートの命令に逆らうことができない。


「スイロク王国の闇組織ブラックフェアリーのアジトに裏帳簿という物がありまして、僕を通じて帝国と人身売買を何度かしていました。その中にネムリア枢機卿のサインがあるんですよ。それが証拠になるかと思いまして…」


 交渉屋は悔しそうに心当たりについて吐き尽くした。奴隷の身分では主人に対して対等な交渉等できないのだ。


(スイロク王国か…勇者が闇組織から国を救う次のイベントの場所だったな。原作と違いレオーネ王女と縁のない勇者はイベントに関われないだろう。だからこのイベントは正直どうでもいい。だが証拠があるなら長期休暇の時に行くのはありだな)


「話は分かった。もしそれが本当に持ってこれるならお前を解放してもいい」


「本当ですか⁈」


「ただし、解放は10年後だ」

 

 アブソリュートは今後国との戦いが起きる事を前提で行動している。その上で見出した数字が10年だった。

 交渉屋は10年という長い月日に絶望する


「そんな…もう少しなんとかなりませんか?」 


「これは譲れないな。もしくは別のものでも構わないぞ?さて、話は終わりだ。私は学園に事情聴取で呼ばれているからマリア達に遅くなると伝えておけ」


 交渉屋はアブソリュートにとって有効な駒だ。故に最大限に譲歩したつもりではある。


 話は終わりアブソリュートは部屋から出ていった。その背中を交渉屋はずっと見つめていた。

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