第130話 第三の神の領域 9
「……見ているだけではなにも進みません。行ってみましょうか。タイラさんもこの道を進んでいたのでしょうから」
「でも他に階段とかあるかも?」
怖じ気づいたキドリが、階段のある場所を探そうと提案する。
だが遅かった。
すでにカノンが一歩目を踏み出していたからだ。
「あっ!」
藻で足が滑り、カノンは近くにいたキドリの腕を掴む。
「えええっ!?」
キドリは助けを求めて虚空に手を伸ばす。
その手をフリーデグントが素早く掴んだ。
しかし力自慢のドワーフとはいえ、体重差は如何ともし難い。
二人の重さに引きずられていく。
そこで彼女はユベールを掴んだ。
「うわぁぁぁ!」
だが彼は役に立たなかった。
いきなり掴まれた事に驚いて態勢を崩し、フリーデグントに覆い被さるように倒れ込む。
むしろユベールは邪魔になるだけだった。
フリーデグントも突然三人分の重みを抱え込む事になってしまい、耐えきれなくなって倒れ込む。
ダグラス以外の四人は、湖岸から滑り落ちていった。
「いやぁぁぁ! これドッキリで見た事あるぅぅぅ!」
キドリがなにかを叫んでいる。
どこか余裕がありそうだ。
不気味なほどに凹凸のない綺麗な湖底なのが功を奏したかもしれない。
藻でぬめっているおかげで湖底を滑っても痛みはないのだろう。
彼女はスカートを抑える事だけに集中していた。
やがて四人の姿は神の領域の中へと消えていった。
負の連鎖を目の当たりにして呆けていたダグラスは、彼らの姿が見えなくなった事で正気に戻った。
そして一人取り残されてしまった事に気づく。
(ここに残るのはまずい! もし俺の事を知っている奴が現れたら神の盾が使えなくなってしまう!)
しかし、そのまま滑り落ちるのには抵抗があった。
周囲を見回し、使えそうなものがないか探す。
「あの、もう観覧席の壁は必要ないですよね?」
「ん? いや、どうだろう」
「使わせていただきます」
ダグラスに声をかけられた兵士は困っていたが、許可の返答を得ずともダグラスは動いた。
今ならばまだ神の盾が使える。
カノンの権威を盾に好き放題できるのだ。
この状況を利用するため、まずダグラスはヒートソードを拾った。
そして観覧席の台座部分を切り取り、身の丈サイズの大きな板を用意した。
ダグラスは板を担いで、湖岸へと運ぶ。
「私もよろしくお願いします」
彼は板に開けた穴に紐を通していると、アリスが声をかけてきた。
「あぁ、そのための板だよ」
準備が整うと、ダグラスは板に寝ころぶ。
アリスは彼の背後から抱き着く形で板に乗った。
「じゃあ、行くぞ」
ダグラスは地面を蹴って、板を斜面へと滑り込ませた。
「うぉぉぉ! これはきつい!」
――まるで崖を滑り落ちるかのような恐怖感。
バランスを取らねば、ひっくり返ってしまいそうになる。
ダグラスは必死に態勢を崩さぬよう、体全体に力を籠めた。
「あのように落ちるのは怖いかもしれんが……。少し楽しそうだな」
「雪山ではソリを使って子供が遊ぶと聞いた事があります」
「では今年の冬は山へバカンスにでも行くか」
ダグラスが板に乗って滑り落ちるのを見ながら、国王たちは気楽そうにそんな事を話していた。
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「うわっ、なんだこれは!?」
神の領域に入ったダグラスが見たのは、果てしなく広がる砂浜と海だった。
(わざわざ湖の中にこんなものを作らなくても……)
そう思わなくもないが、彼には神の考える事などわからない。
水中に浜辺の世界を作るのも、なにか理由があるのだろう。
ダグラスは先にきたカノンたちを探す。
「おーい、こっちだ。こっち」
カノンの呼ぶ声が聞こえた。
そちらを見ると、あばら家のような作りの家に四人が集まっていた。
そこでなにかをしているようだ。
ダグラスとアリスは走って彼らのもとへ向かう。
「自作のサーフボードで遅れて登場とはいいご身分だねぇ」
「カノンさんがいきなり足を滑らせるから、みんな巻き込まれたんでしょう。ダグラスさんにそんな嫌みを言わなくてもいいじゃないですか。私たちだって落ち着いて考えれば似たような方法で来れましたよ」
カノンの嫌みが籠った言葉へ、ダグラスの代わりにキドリがチクリと言い返す。
「さすがにそのまま滑り落ちるのは危険だと思ったので。よくご無事でしたね」
ダグラスは貴族に嫌みを言われ慣れているので、カノンの言葉を気にせず聞き流した。
「こっちも死ぬかと思いましたよ。ですが藻のおかげで岩盤に削られずに済みました。これが岩山の上からの落下だったら死んでいたでしょう。あのように滑り落ちるのが正規の入り方なら、タイラさんの常識を疑ってしまいますよ」
(あんたも同類だと思うけどな)
「もしかしたら階段のある場所があったりしたのかもしれませんね」
思った事をおくびにも出さず、ダグラスは無難な事を答えた。
話をしている彼らにユベールが近づく。
「兄さん、決闘でお疲れでしょう! 飲み物をご用意しましょうか?」
奇妙なほどにダグラスに対して低姿勢である。
彼の媚びる姿は珍しくないが、ダグラスに対してここまで露骨に媚びるのは珍しい。
その姿に不気味なものを感じる。
「どうしたんですか、ユベールさん?」
「あれほど強そうな剣闘士三人を一瞬で倒す手腕。カノン様のご威光を利用したとはいえ、侯爵を殺す流れを作り出す方法。お見事でした! ついでにクローラ帝国に戻った時、二、三人追加でやってくださいませんか?」
「それはさすがにお断りします」
「ダメかー! いえ、ですが兄さんの腕前の素晴らしさは変わりません! 今後ともよろしくお願い致します!」
「……こちらこそ」
ユベールはエルフだ。
だから信用ならない。
下手に出たからといって完全に心を許すわけにはいかない。
どこかで彼に利用されるかもしれないと気をつけておかねばならないだろう。
ハドソン侯爵家に復讐できたとはいえ、彼に“利用価値がある”と目をつけられたのは厄介だった。
「ところで世界を元に戻すというのはできたんですか?」
「いや、まだですよ。我々だけが先に来たので、ダグラスさんを待とうという事になったのです」
「そうでしたか」
ダグラスは周囲を見回す。
浜辺の他は、あばら家が五軒あるだけ。
そのどれかに神になるための施設があるのだろう。
今いる場所には水道やテーブル、座る場所があるだけのようにしか見えなかった。
「アリス、ここのコントロールルームはどこにあるかわかるか?」
カノンがアリスに尋ねる。
彼女は神に仕えるアンドロイドだ。
当然知っている。
「ここから東北東に三十メートル、地下へ五十メートルの場所あります」
アリスの返答に、カノンは顔を大きく歪めて困った表情を浮かべた。
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