第129話 第三の神の領域 8
レナードは、ハドソン侯爵のもとへ向かう。
そこで膝立ちとなり、両手を広げて彼に救いを求める。
「お爺様、もう決着はついています! これ以上は無意味ではありませんか? 決闘の終わりを宣言してください!」
ハドソン侯爵も、これが普通の決闘であれば助けていただろう。
しかし、これは神前試合だ。
ハドソン侯爵個人の判断で勝手に判断を下すわけにはいかない。
彼はカノンのほうを振り返る。
カノンから“勝負はもうついた”と中止を宣言してもらいたいところだった。
だが、カノンは中止を宣言したりはしない。
ダグラスが復讐に乗り気だと知っていたからだ。
ハドソン侯爵がレナードに視線を戻すと――ダグラスがレナードの背後から襟を左手で掴み、右手のナイフを喉元に突きつけているところだった。
「待て、待ってくれ」
レナードの事を諦めていたハドソン侯爵も、その光景を目の当たりにして、つい制止してしまった。
ダグラスは彼に向かって、ほがらかな笑みを見せる。
「お前は今まで助けを求めた者の声に耳を傾けた事があるのか?」
ダグラスは兜と鎧を避けるように、アゴの下からナイフを突き刺した。
レナードの体が一瞬ビクンと震えたが、神経を切断された事ですぐにグッタリと力が抜ける。
「残念だったな」
今度は煽るような笑みをダグラスは見せた。
孫を殺されただけではない。
平民に馬鹿にされたと感じたハドソン侯爵は激昂する。
「こやつを殺せ!」
彼は命令を下す。
しかし、彼らはすぐに動かなかった。
彼らが国王の安全が最優先の近衛兵という事もあったが、これが神前試合だというのが大きかった。
神の前で神聖な決闘を行ったのだ。
その結果に文句をつけるのは神に唾する行為である。
ハドソン侯爵の命令に従って神の怒りを買うのを恐れて動かなかった。
――そして、ダグラスは今の反応を期待していた。
わざわざハドソン侯爵の目の前でレナードを殺したのも、そのためだ。
興奮した彼から失言を引き出すのが目的だったのだ。
周囲の兵士たちの反応を見れたのも大きな収穫だった。
「皆さん、聞きましたか!? ハドソン侯爵は神前試合の結果を個人の感情で覆そうとしています! そもそもが神の所有物を我が物にせんとした行為が事の発端というのにです!」
ダグラスは、カノンを利用して大義名分を得ようとしていた。
レナードをハドソン侯爵のもとへ向かわせたのは、彼の死を見せつけるためだけではなかった。
ハドソン侯爵に近づくために彼をすぐ殺さなかったのだ。
急遽作られた観覧席故に、司会役のハドソン侯爵が立っているのも地面から二メートルほどの高さの場所。
剣闘場などと違って、急造の欠点があった。
そこにダグラスは目をつけていた。
彼には二メートルの高さなど問題ではない。
飛び上がって台の淵に手をかけると、そのまま台の上にあがる。
「貴様、なにを――」
登ってきた理由を聞き出そうとしたハドソン侯爵の腹にナイフが刺さった。
ダグラスはナイフをねじると、ハドソン侯爵が苦悶の表情を浮かべる。
そしてナイフの先に内蔵を引っかけるように意識して、大きく横に薙ぎ払った。
こうする事で内臓に致命傷を与えられるし、生き残っても魔法やポーションを使わないと傷口が腐ってやがて死ぬ。
師匠に教わった通りの刺し方だった。
「うぐぅ」
ハドソン侯爵は言葉が出せず、ただ呻き声が漏れるだけだった。
彼は一縷の望みを託して、すがるようにダグラスの服を掴んだ。
そんな彼に、ダグラスは小さな声で耳打ちする。
「僕はマッキンリー侯爵家に雇われていたカトラスの弟子のダガーだ。そしてお前の腹を掻っ捌いたのは、師匠がくれたダガーナイフだ。お前の孫の愚かさのおかげで、ようやくお前にナイフが届いたよ」
「き……、さ……」
「地獄で過去の所業を悔いるんだな。さようなら」
今度は首を切る。
動脈から血が噴き出し、ダグラスを赤く染める。
思わぬ形ではあったが、師匠の仇を取る事ができた。
――それも師匠の形見であるダガーを使って。
その達成感がダグラスの気を緩ませた。
「宰相閣下を手にかけるなんて!」
周囲の近衛兵がダグラスに槍を向ける。
ダグラスを殺すのに躊躇していたが、それは決闘の結果を覆そうとしていたからだ。
今回は違う。
決闘に参加していないハドソン侯爵を殺したのだ。
これは見逃せる事ではない。
すぐに反応できなかったのを誤魔化すためにも、本気でダグラスを討ち取ろうとしていた。
本来ならダグラスも、ここでハドソン侯爵の非を並べ、自分の行為の正当性を訴えるつもりだった。
しかし、達成感により動きが止まってしまった。
「そこまで!」
これはとても危険な隙であったが、彼を救う者がいた。
「これは私が勝負の行方を見届ける正当な決闘だったはずです。それを先に破ったのはハドソン侯爵です。彼は私の前で約束を破る者を罰した。それだけでしょう」
――それはカノンだった。
彼はダグラスの動きが止まり、近衛兵に囲まれたのを見て助け舟を出した。
やはりよく知らぬ者よりも、より知っている者のほうに肩入れしたくなるのが人情というもの。
そこに“初めてのパーティメンバーだから”という思い入れも加わっているため、ダグラスを助けようと動く。
「ですが大きな問題もある。それは私が本物の神かどうかというものです。私は怪我人を治療できますが、それで絶対に神だという証明になるわけではありません。ですからサンクチュアリに入る事で、私が神だという事を証明しましょう。そうすれば彼は神の従者。ハドソン侯爵は神前試合を汚した罪人であり、処罰されるのも致し方ない事だったと理解していただけるでしょう。では行きましょうか」
観覧席の最上段にいたカノンは階段を降りていく。
キドリやユベール、フリーデグント、アリスも彼の後ろをついていった。
目的地は観覧席の正面にある湖だった。
ダグラスも台から決闘場に向かって飛び降りる。
近衛兵たちはダグラスを追って台の下を眺めるものの、追いかけはしなかった。
キドリやフリーデグント、アリスは台の上から軽々と飛び降りていく。
ユベールは台からぶら下がり、地面との距離を短くしてから降りた。
だがカノンはキドリたちの真似をして台から下へ飛び降りた。
「ぐあああぁぁぁ」
――だが足首を挫いてしまった!
二メートルもの高さから飛び降りたのだ。
カノンはキドリたちとは違って身体能力が高くないため、普通に飛び降りただけでは怪我をする。
彼は泣きそうになりながら、すぐさま自分の足を治療した。
「年を取ると足腰からくるそうですよ」
「私はまだ二十四です。勇者のステータスと一緒にしないでください」
「神様なのに……」
キドリの心配そうな視線に、憮然とした表情でカノンは返す。
「いいから行きましょう。ダグラスさんも」
「はい。……フォロー助かりました。ありがとうございます」
「いいのですよ」
カノンは親切心で行動する時もあるのをダグラスは知っている。
しかし、基本的には利己的な人間と変わらない事も知っている。
そのため“まだ利用価値がありそうだ”と思われていれば助けてくれると思っていた。
だから彼を利用し、神前試合という場所で報復行動に出たのだった。
そんなダグラスの考えを知ってか知らずか、カノンは気にするそぶりを見せなかった。
湖に向かいながら、カノンは衝撃の発言をする。
「ところで……、ここのサンクチュアリには泳いでいくんですかね?」
――彼は神の領域への入り方を知らなかった!
この状況でそんな事を言い出されては誰もが困る。
キドリは機装鎧を呼び出し、フリーデグントを連れて逃げ出そうかと考え出す。
「確かハーゲンのサンクチュアリは、湖が割れて姿を現すという昔話が残っていたはずです」
そんなカノンに、ユベールが昔話を教える。
カノンはパチンと指を鳴らした。
「なるほど! ならばスキルに――」
カノンは虚空で指を動かし始める。
しばらくして、一点をジッと見つめる。
「奇跡系のスキルはポイント高いんですね……。道中で信者を集めていなかったら危なかった」
「そんな怖い事言わないでくださいよ」
スキルやポイントという言葉に反応できたのはキドリだけだった。
彼女が“怖い事”だと反応すると、ようやくダグラスたちもきわどいところだったと実感する。
「まぁ大丈夫ですよ」
湖の淵につくと、カノンが右手を高らかに掲げ、素早く振り下ろす。
「水割り!」
彼の言葉と同時に湖が左右に割れて一本の道ができた。
道の先には白いドーム状のものが見える。
この奇跡が起きた事で、観客たちからはどよめきが起こった。
「では行きましょう……か?」
観客と違って、ダグラスたちは心では動揺していたが、頭の中は極めて冷静だった。
そうならざるを得ない状況だったからだ。
「あ、これダムの見学で似たような光景を見た事がある」
キドリの言葉が状況をよく表していた。
底のほうは緩やかな斜面だったが、湖の淵付近は四十五度以上はある急斜面であり、上から見るとなかなか恐ろしい。
しかも神の領域まで何百メートルも距離があり、湖底は藻で緑一色になっていた。
ここから神の領域まで進むのは難しそうである。
だが“やっぱり行けません”では済みそうにない状況でもある。
前にも行けず、後ろに下がる事もできない。
ダグラスのみならず、カノンまでもが困難な状況に陥ってしまっていた。
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