第126話 第三の神の領域 5

「親善試合?」

「いえ、神の御前での試合というほうの神前試合です。サンクチュアリ前で開催し、カノン様に結果を見届けていただけないかと」


 突然の申し出にカノンは戸惑う。

 だが頼んできたのは、この国の宰相であるハドソン侯爵だ。

 政治家との人脈を作っておいて損はない。

 しかし、気になるところもあった。


「私は見ているだけでいいのですか?」

「はい、決闘の結果を見届けていただくだけで結構です。精一杯のお礼もさせていただきましょう」

「見ているだけなら……。ですが決闘の理由を聞かせていただけないでしょうか?」


 これが最も気になっていたところだった。

 ハドソン侯爵は顔をしかめる。


「実は昨日、孫が友人たちと食事に出かけた時に、とある婦人を見かけたのです。その婦人は恋人らしき男に乱暴な扱いをされていたので、孫たちは止めに入りました。孫はハドソンの家名を名乗ったというのに、その男は意に介さず、婦人に対して粗雑な扱いを続けたそうです。それを許せなかった孫は婦人の自由を懸けて決闘を申し込んだ次第です」

「ほう、きっかけは人助けですか」

「さようでございます」


(嘘くせー)


 カノンは貴族の事に詳しくないが、名誉を重んじるという事くらいは知っている。

“どうせハドソン侯爵家の名前が通用しなかったから怒ったんだろう”と思っていた。

 侯爵の孫なのだから、貴族のボンボンが腹を立てて喧嘩を売った可能性についても考える。


(知らない奴が面倒ごとに巻き込まれただけなら許容範囲か。でもサンクチュアリの近くで試合をするなら、時間の無駄にはならないしいいか。でもなんだか胸騒ぎがする。嫌な気分だな……)


「どうせサンクチュアリに向かうのでかまいませんが、一方の主張だけを聞いて判断はしたくありません。相手方の意見も聞いておきたいですね」

「……相手は取るに足らない平民ですが?」

「それでもです。もしや事情聴取をされて困る事でも?」

「ございません。ですが誇りもなにもない平民の言う事。平然と嘘を吐いてくるでしょう。カノン様に不快な思いをさせぬか心配しただけございます」

「それは私もよくわかっている事。私が望んだ以上、誰かに責任を押し付けたりはいたしません」

「承知致しました。では呼び寄せておきましょう」


 ハドソン侯爵の反応で、カノンは自分の考えが正しかったと判断した。

 権力者と昵懇になってはおきたいが、それはそれ。

 カノンにとって第一目標は神になる事。

 そしてなによりも神にふさわしい男になる事だった。

 弱者救済を旨とする彼にとって、余裕のある時は弱者の味方をしておきたかった。


(平民が貴族に口答えしたから見せしめにって感じか。こいつを味方にしておいたほうがいいんだろうけど、民衆を権力で弾圧するような奴の味方をするのは神としてふさわしくない。場合によっては喧嘩を売られたほうに力を貸してやるか)


 それが神として正しい行いだと、カノンは思っていた。



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(うわぁ、なにやってんのこいつら……。うわぁ……)


 カノンはドン引きしていた。

 決闘の相手がダグラスだったからだ。

 事情を詳しく聞きたいので、キドリたちだけを残して人払いをする。


「ちょっと待て……」


 カノンは虚空で指を動かす。

 ダグラスにとって懐かしい仕草だった。


「よし、スキルを使って会話を盗聴されないようにしたから、もう大丈夫だ。……なにをやってるんだお前たちは?」


 カノンは呆れていた。

“目立ちたくないから”と別行動をしていた二人が、決闘などという目立つ行為をしていたからである。

 彼の疑問に、アリスが先に答える。


「色気づいた貴族のボンボンが私の美しさにやられてちょっかいを出してきたのです」


 彼女は目から虚空に立体映像を映し出し、その時の状況をカノンに見せる。

 それはどう見てもハドソン侯爵の孫のほうが悪いように思えた。


「なるほど、あちらから絡んできたというわけですか」

「気に入った女の子を見つけたからって、権力をチラつかせて言い寄るなんてサイテーですね」

「キドリさんもそういう経験が……、いえなんでもありません」


 キドリは“自分が女として見られていなかった”というだけで本気で機嫌を損ねていた。

 カノンとしては“女子高生に手を出すのはまずい”と思って、そういう目で見ていなかっただけなのだが。

 あれだけ怒るのだ。

 彼女にとって、モテるかどうかというのは重要な部分なのだろう。

 だからカノンは話を逸らそうとする。


「ダグラスさん、あなたはなぜ決闘を受けたのですか? あんな風に絡んでくる者など適当にあしらって街を離れればよかったものを」


 今、一番気になっている事をダグラスに尋ねる。

 これにはダグラスにも事情があったが、正直に話す事はできなかった。


(ハドソン侯爵家は師匠の仇の一つだと正直に話したら、きっと復讐を邪魔される。それだけは絶対にできない)


 今のダグラスにとって、一番大事なものはマリアンヌである。

 だが師匠の事も忘れる事はできなかった。

 このチャンスを逃す事などできない。

 だからカノンには、それっぽい言い訳をする。


「カノンさんから預かったアリスさんを守るためです。それに僕が仕えていたマッキンリー侯爵家の方々は、権力をあんな使い方をしませんでした。権力を乱用する今の王国貴族に代償を支払わせたい。そう思ったんです。サンクチュアリの近くで戦えば、いざという時に逃げ込めるでしょう? その時はカノンさんに助けてもらわないといけませんけども」

「偉い!」


 いきなり大声を出されたので、カノンたちは体をビクンと震わせる。

 ダグラスの言葉に反応したのはカノンではなく、フリーデグントだった。


「この国の貴族はたるんでいます! 彼らを引き締めるには衝撃を与える一撃が必要です! 思いっきりおやりなさい!」


 彼女はボールドウィン王国に不満を持っている。

 ダグラスが決闘で貴族を痛い目に遭わす事で、目を覚ますきっかけになるかもしれないと期待していた。

 意外な人物の後押しに、ダグラスのほうが戸惑う。


「ま、まぁそういう意見もあるでしょうが……。私が聞きたいのは私怨が混ざってないかという事です。ハドソン侯爵家が、マッキンリー侯爵家を権力の座から追い落としたのでしょう? マッキンリー侯爵家が悪い事をしていたという話も聞きましたし、逆恨みをしていないかというところが気になるのですが?」

「それはありません! 僕や師匠が使われていたのは王国の治安を守るためです。奴らは自分を正当化するためにマッキンリー侯爵家に罪をなすりつけているだけです!」


 ダグラスは自信を持って答えた。

 しかし、その気持ちはカノンには伝わらなかった。


(相手が悪いとレッテルを貼るのはよくある事だけど、ダグラスはただの駒だからなぁ……。どこまで信じていいものか)


 言ってみれば、ダグラスは侯爵家に手駒として使われていた彼の師匠の、さらなる手駒でしかない。

 どこまで真実を知っているのか疑わしいところだった。

 だが、ハドソン侯爵も本当の事を言っているかどうかわからない。

 なにしろ相手は貴族で宰相という政治家なのだ。

 本当の事を正直に話していると思うほうがおかしいだろう。

 こればかりは現段階でどちらが正義かを断定するのは難しかった。


「どちらが正義かを語るのは平行線になるので、この話はここまでにしましょう。でもよろしいのですか? ここでダグラスさんの身になにかがあれば、マリアンヌさんが悲しみますよ」

「恩人の仇を取るチャンスを前にして、なにもせず逃げ帰るような真似をすればマリーにも子供にも合わせる顔がありません。ハドソン侯爵家にせめて一太刀浴びせたいです」


 ダグラスの答えにカノンは衝撃を受けていた。

 暗殺者といえば、金で人を殺すような人間だ。

 自分のような姑息な人間ばかりだと思っていたからだ。

 それがここまでの忠誠心を見せている事には驚きしかない。

 そんなダグラスの意思に、カノンは感銘を受けた。


「わかりました。この国の決闘に関して詳しくありませんが、ハドソン侯爵の孫が代理人を立てて、本人は安全な場所で見物しているという事のないようにしてあげましょう。ですがそれだけです。止めはしませんが、ダグラスさんに積極的に肩入れもしません。私たちは赤の他人で、決闘の結果には干渉しない。それでよろしいですか?」

「ありがとうございます! アリスさんの事だけはカノンさんにお任せするしかないのですが、そちらもお願いします」

「それは私がどうにかするわ。権力で女を自由にできると思う男なんて最低だもの」

「ありがとうございます。助かります」


 アリスに関しては、キドリが保護をすると申し出てくれた。

 これでダグラスに後顧の憂いはない。

 きっと一族に危害を加えられれば、周囲にいる兵士たちはダグラスに襲いかかってくるだろう。

 ハドソン侯爵家に一撃を加えたあと、神の領域に逃げ込めばどうにかなる。

 彼らは神の領域の中にまで入ってこられないのだから。

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