第109話 逃避行 8
巡礼の旅馬車が出るのは二日後だった。
それまでは身を隠さなくてはならない。
だが意外な事に、ジャンが自宅の屋根裏に匿ってくれた。
コッソリ通報されるかと身構えていたが、その気配もない。
通報の協力金よりも、ダグラスが渡した金のほうが多かったのだろう。
ダグラスを売り渡して報酬の二重取りをしようとしない程度には、ユベールの存在が効いているのかもしれない。
(まさかこんな形で師匠の言いつけを破る事になるなんて思わなかったな……)
――エルフとは出来得る限り関わるな。
彼らは長く生きている分だけ狡猾であるため、普通の人間では騙されてしまう。
その言いつけは今でも本当の事だと思っている。
カノンがいなければ、ユベールと知り合っていたとしても彼の名前を利用しようとは思わなかっただろう。
カノンと出会ってから――いや、国を出てからずっと数奇な運命に翻弄され続けている。
早く仕事を終わらせて、落ち着いた人生を送りたいところである。
そのため、屋根裏での生活を二日間我慢した。
そして二日後。
店を出る前に、ジャンが食料を渡してきた。
「私は新鮮な食材を使って、素材の味を活かした料理を作るのが得意だが、こういった保存食を作り慣れてはいない。あまり旨くないかもしれんが、試しに持っていってくれ」
「保存食まで用意してくださるなんて……、ありがとうございます!」
「なに、君がお義父さんの知り合いだからやっているだけだ。お義父さんに会ったら、カノン様共々よろしく頼む」
「わかりました」
現金が持つ魔力は、かなり強力だったようだ。
親切すぎるエルフなど見慣れていないため怪しく見えてくる。
だがダグラスは保存食を受け取った。
ここで相手の機嫌を損ねる必要はない。
怪しいものなら食べなければいいだけだ。
ダグラスは笑顔で受け取る。
「これを着るといい」
ジャンは真っ白なフード付きのローブをダグラスに渡す。
巡礼者らしい格好をしろという事だろう。
国境を越えるのに変装は必須である。
ダグラスは服の上からローブを着る。
「では馬車まで案内しよう」
「ここまでしてくださるなんて……。なんとお礼を言えばいいのか」
「なにを言っているんだ。商売人だからといって利をもって利となす者ばかりじゃないぞ。私は義をもって利となすという言葉を心に深く刻み込んでいる。困っている若者を助けるのは年長者として当然じゃないか」
「ジャンさん……。ありがとうございます!」
多額の金銭を受け取った事実がなければ、どれだけ美しい言葉だろうか。
だが彼はエルフである。
言葉通りに受け取る事はできなかった。
(“やっぱり公共の敵は通報しないとね”と裏切ったとしても不思議じゃない。国境を越えるまでは油断できないぞ)
ダグラスは警戒を解かなかった。
いくらユベールの義理の息子とはいえ、ダグラスと深い関係があるわけではない。
そもそもユベール自体、共に一ヶ月ほど一緒に旅をしただけの関係である。
無条件で信じられる相手ではなかった。
(いつでも戦える心構えはしておかないとな)
先導するジャンの背中を見ながら、ダグラスは常に周囲を警戒し続けた。
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「もうすぐゼランです」
(あっさり着いちゃったよ……)
御者の言葉を聞いて、ダグラスは拍子抜けする。
同乗者は三人だったが、彼らは地元の権力者の縁者であったり、神官見習いであったりした。
そのおかげか、ジャンの言う通り乗客の身元確認は行われず、御者が通行に必要な書類を渡して終わりだった。
ダグラスも権力者に仕えていたものの、こうして権威を利用する側に回ってみると便利なものだと実感する。
(ジャンさんを疑うなんて悪い事をしたな……。あの人はちゃんと報酬分の仕事をするタイプの人だった)
ダグラスは彼を疑った事を反省する。
相手がエルフというだけで色眼鏡で見てしまっていたようだ。
――エルフにも契約を遵守する者がいる。
その事を二度と忘れぬよう胸に刻み込む。
ダグラスは窓の外を見ながら“ここまで来られたのはジャンさんのおかげだ”と深く感謝する。
国境からゼランまでの道は、すでに騒動から落ち着いていた。
周辺で起きた死者の復活もすべて片付けられており、以前と同じ状況にまで回復していた。
「あなたはゼランでの予定は決まっているのですか?」
神官見習いの男がダグラスに話しかけてくる。
クローラ帝国を離れ、ゼランにまで着いたのだから必要以上に警戒する必要はない。
それに、この街にはダグラスの事を知っている者がいる。
人を疑い過ぎた反動もあり、相手を信用してダグラスは少しだけ正直に話そうとする。
「この街の司祭様に会って、ある人の行き先を尋ねようかと思います。この街に立ち寄っているはずなので」
リデルの街でもカノン一行の話は聞く事ができた。
なにしろ機装鎧を扱える勇者を連れているのだ。
彼らの存在は嫌でも目立つ。
カノンたちがゼランを目指しているというのはわかった。
神の領域で物資を補充し、東へ向かうはずだからだ。
なぜ彼らが神の領域に立ち寄ると思ったかというと、筒に巻かれた白い紙を彼らが必要としていたからだ。
ドリンにある神の領域では、キドリが“これぞ正に神!”と喜ぶほどトイレ関係の物資を喜んでいた。
その傾向はカノンにもあった。
彼も野外での排泄に強い抵抗を持っていた。
その理由が“お尻を綺麗にしたい”という、くだらないものだったのをダグラスは覚えている。
――尻を柔らかい紙で拭く。
王族もやっていないような贅沢な行為を、彼らは当たり前のように行っていた。
ならば、その当たり前を続けるために補充するはず。
そしてゼランからどのようなルートを使って東へ向かったのかがわかれば、彼らを最短ルートで追いかける事もできるだろう。
そのため、会う可能性が高い司祭に会って、話を聞くつもりだった。
「この街の司祭様に会う、ですか。難しいと思いますよ。なにしろカノン様の降臨が最初に確認された街ですからね。奇跡の確認者である司祭様との面会は限られた者にしかできないとか。司祭様に会えるとすれば、よほどのツテがある方でないと無理でしょう。有力貴族であるか、カノン様の……。まさか!」
神官見習いは、大きく見開いた目でダグラスを見る。
他の二人も興味を持ったのか、二人の話に耳を傾ける。
「僕はカノン様の従者のダグラスです。クローラ帝国内部で“ジョージ・タイラー様とカノン・スズキ様をどちらと神と崇めるか”という闘争が教会勢力内部であり、その影響で冤罪を着せられてここまで逃げてきました。その事をカノン様に知らせねばなりません。だからこの街の司祭も会ってくれると思います」
「おぉ、君があの手配されていた者だったとは」
シルヴェニアに行くには、クローラ帝国を通らねばならない。
カノンを連れていたとしても、手配されたままだとダグラスは通れないかもしれない。
だから、このご時世に巡礼できるほどの力を持つ彼らに“自分は冤罪で手配されている”と言っておきたかった。
彼らの口から“ダグラスは冤罪だった”という噂が少しでも広まってほしかったからだ。
「カノン様を背負ってゴーゴンの丘を登った聖人と同じ馬車に乗り合わせていたとは!」
「そういう事ならもっと早く教えてほしかったぞ! 色々と話を聞けたのに!」
他の二人もダグラスに食いついてきた。
この反応を見る限り、ダグラスの事を無条件で犯罪者だと思ってはいないようだ。
「すみませんでした。クローラ帝国の方に打ち明けるには、安全な場所に到着してからと考えていましたので」
「まだ少し時間はある。カノン様の話を聞かせてくれないか」
「いいですよ」
(本当にジャンさんには感謝しないといけないな)
彼が“巡礼の旅馬車に乗れ”と言ってくれなければ、クローラ帝国の人間に対して弁解のチャンスなど訪れなかっただろう。
ダグラスの聖人ランキングに、カノンの上にジャンの名前が刻み込まれる事となった。
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