第103話 逃避行 2
道中で軍による検問があったが、それは難なく通り抜けられた。
人相書きが出回っているものの、ダグラスは髪を染めたり、顔の輪郭を変えたりしている。
指紋鑑定やDNA鑑定などがない世界では、目視による確認が主である。
そのためダグラスも欺きやすかった。
暗殺者として育てられた経験が生きる場面だった。
ダグラスは順調に旅を続ける。
しかし、ソレーヌという街で大きな失敗をしてしまう。
「……あっ」
――街中でユベールの元同僚であるエルフ、レジスと出会ってしまった。
元異端審問官だけあってか、彼らはダグラスに気づいたらしい。
(魔法が使えないというのに、なんて直感の鋭い奴だ)
ダグラスは異端審問官の実力を甘く見てしまっていたようだ。
しかし、この街は東部への中継地点である。
いつかは通らねばならない場所だった。
それに馬車に乗るには街中に入らねばならない。
だが徒歩での旅になるとしても、街の外で野宿するべきだったかもしれない。
旅を急ぐあまり、危険を冒してしまった。
しかし、帝国に追われている今となっては、移動速度と安全性は両立しない。
移動速度を優先したため、今回の事態は甘んじて受け入れるしかなかった。
「なにか?」
それでも勘違いだったと思ってくれるかもしれないので、いきなり認めたりはせずにとぼけて見せる。
「あ、いや。ユベールの知り合い……、だよな?」
「ユベールさん? という方は存じあげませんので、人違いではありませんか?」
「あの時、馬車の中に感じた魔力の残滓のようなものをまとってるからわかる。私の目は誤魔化せんぞ」
以前この街に来た時には、棺桶の中で眠っていたマリアンヌの魔力に気づかれていた。
今回は彼女の指に残った魔力に気づいたのだろう
あの時は賄賂を渡す事で、馬車の中の確認を見逃してもらった。
――だが今回は、鍛え抜かれたエルフの目を眩ませるだけの賄賂を渡すほどの手持ちがない。
貴重な品といえばレプリカソードくらいだが、この剣はマリアンヌと繋がる本当に貴重な品である。
誰にも渡すつもりはない。
そうなるとダグラスが取れる手段は限られてくる。
「……誤解のないように話をしたいので、人気のないところに行きませんか?」
「そうだな。じゃあ俺の家に来い。荷物も置きたいしな」
彼はカゴを手に提げていた。
中にパンや果物が入っているのが見える。
「わかりました、そうしましょう」
ダグラスとしても、街中で殺すような真似は避けたいので彼の話に乗った。
(買い物の量からして、夕食と明日の朝食の分といったところか。ならば都合がいい)
一人分の食料しか持っていない。
それは来客の予定がないという事である。
明日の朝までは死体が見つかる事はないだろう。
出勤してこないのを怪しんだ者が発見するまでにも時間がかかる。
その頃には、ダグラスは街の外にいる。
逃走するのに支障はないだろう。
そう考えて大人しく付いていく事にした。
「ならこっちだ」
レジスが歩き始める。
ダグラスは彼に付いていった。
当然、周囲の警戒は怠らない。
幸いな事に、尾行してくる者の気配は感じなかった。
(相手はエルフだ。いきなり裏切ってくるから信用ならないぞ)
エルフはユベールのような者ばかりだ。
“匿うフリをして通報する”くらいの事は息を吐く程度の軽さでやってくるだろう。
けして油断してはいけない相手だという事を忘れてはいけない。
ダグラスは自分にそう言い聞かせる。
レジスの家は小奇麗なアパートだった。
しかし、家族向けの大きな部屋ではなく、一人暮らし向けのアパートだった。
部屋に入ると、家族の荷物らしきものもない。
(これなら都合がいい。家族にまで手を出さずに済む)
ダグラスも暗殺者だったとはいえ、快楽殺人者ではない。
無用の殺生をせずに済んだ事に胸を撫でおろす。
だが同時に“若い娘がいればマリーも喜んだかも?”という考えがよぎる。
「そっちにも言いたい事があるだろうが、まずはこれを見てもらおうか」
レジスから話を切り出された。
彼は棚から二枚の紙を取り出し、それをテーブルの上に並べる。
ダグラスに読めという事だろう。
(なになに……。なるほど、クローラ帝国も一枚岩ではないという事か)
――二枚には相反する命令が書かれていた。
一枚は“街中で突然騎士を切り殺したダグラスを現場の判断で処刑せよ”というもの。
もう一枚は“事情を確認するため、神の従者であるダグラスをけして殺すな。ドリンまで連行せよ”というものである。
前者は軍部の命令書で、後者は政府発行の命令書だった。
どうやらダグラスの処刑は、一部の狂信者が暴走しただけのようだ。
王宮に保護を求めればどうにかなっていたのかもしれない。
ダグラスは問答無用で命を狙われているわけではないとわかってホッとする。
命令書を読んでいる間に、レジスが水を注いだコップを持ってくる。
彼に感謝述べると、ダグラスは一口だけ
こうして教えてくれたという事は、命を狙ってはいないのかもしれない。
だがそれでもまだ彼がどちら側かわからない以上、警戒はしておいたほうがいいからだ。
「いったいなにがあったんだ?」
「実は――」
まずは馬車の中には吸血鬼のマリアンヌがいた事、彼女をシルヴェニアまで連れていった事を話す。
そして、それが原因で裏切り者だと思われたと説明する。
話を聞いていたレジスは“そうか”などと相槌を打ちながら聞いていた。
聞き終わると、彼は深く息を吐いた。
「どうやら厄介事に巻き込まれたようだな。私はお前の味方だから安心しろ」
「僕の味方……ですか」
「そうだ。カノン様から君が来たら手助けするように金を渡されているからな。もっとも、こんな形で手助けをする事になるとは思ってもみなかったがな」
レジスは“まるで恩義に報いる律義者”のような目をしながら笑みを浮かべる。
(それはお金の味方だというだけでは?)
ダグラスは身も蓋もない事を考えてしまう。
(カノンさんは俺が追いかけていくのを予想していたのかな? でも正直なところ、この状況は助かる)
これはダグラスにとって良い流れだった。
色々と教えてくれたレジスに感謝する。
「ホテルなんかに泊まって他の奴らに見つかっても厄介だろう? 今晩は泊まっていけ」
「いいんですか?」
「あぁ、かまわん。他の奴らに知られて騒動が起きても面倒だからな。……ところで携帯食料とかは持っているのか?」
「さっき買うつもりでした」
「そうか、ならこのパンとかを食べて待っていろ。必要そうなものを朝飯と一緒に買ってきてやる」
「では、お金を」
「それくらい、いらないさ」
「ありがとうございます」
レジスはエルフとは思えないほど、とても親切な男だった。
ダグラスは感謝しながら、彼が出ていくのを待つ。
(さて、どう動く?)
まずは道に面した窓に近づき、気づかれぬように動きを見張る。
レジスは市場のある方向へ歩いていくようだ。
(すぐに戻ってくる事はなさそうだな)
ダグラスは窓から離れる。
そして“エルフが食事代を請求しない”という異常な行動について、理由を考え始めた。
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