第102話 逃避行 1
荷物を回収したダグラスは、当初逃げた方角の反対へ逃げる。
だが人気のないところにではなく、露店が並ぶ通りに入り込んだ。
幸いな事に、この国では負傷者も多い。
マントを目深に被っていても“怪我している顔を見せたくないんだな”と思われるだけだ。
こういう時は“前線で体を張ってきた者の心を傷つけてはならない”という暗黙の了解が助かる。
ダグラスは、しばらくの間はここにいる事になるだろう。
衛兵は事件現場周辺の聞き込みを行い、そこから捜索範囲を広げていく。
これまでの経験から“人混みを堂々と歩き、捜索範囲が広がるのを待つのが安全だ”とダグラスは考えていた。
事件現場付近は衛兵が密集している。
だが捜索範囲が広がれば広がるほど、当然衛兵の密度は下がる。
捜索の輪が広がりきったところで、ダグラスは外に逃げ出すつもりだった。
(このあとどうしようか。いっその事、王宮に――いや、ダメだろうな。街中で騎士が襲ってきたんだ。一部の暴走ってわけじゃないだろう。国王が関わっているかまではわからないが、政府高官は関わっているだろう。国王に報告がいくまでに握りつぶされるかもしれない。このまま逃げたほうがいいだろう)
この国の王宮は地下にある。
侵入方法が限定されているので、こっそり忍び込む事も難しい。
国王と会って助けを求めるなどという事はできないだろう。
(そもそも、俺の言う事を信じてもらえるかどうか……)
――ダグラスは、カノンのおまけでしかない。
従者だなんだと丁寧な対応をしてくれたのも、カノンに同行していたからだ。
彼一人ではなんの価値もない。
本来の評価を嫌というほど思い知らされて、ダグラスはうなだれる。
だが、すぐに顔を上げた。
(元々、暗殺者なんてそんなものだ。散々利用しているくせに、汚らわしいものを見るような目をしてくる貴族と同じだ。でも今は帰りを待ってくれている人がいるんだ。マリーさえいてくれればそれでいい)
ダグラスは“世間の評価を気にする必要などない。肝心なのは大切な人からの評価だけだ”と気持ちを切り替えた。
そして前向きに、この国から逃走する方法を考え始める。
(食べ物は惜しいけど、馬車や大きな荷物は諦めるしかない。ホテルにはもう戻れないからな。ここで買い物していくか)
神の飲食物に後ろ髪を引かれる思いはある。
あるが命には代えられない。
ダグラスは腰に下げたレプリカソードにそっと手を添える。
これまでは飲食物しか刺激を得られなかったが、今はマリアンヌがそばにいる。
彼女がいてくれると思えば、味覚の事などどうでもよくなっていた。
これも指を渡してくれたマリアンヌのおかげである。
(かならずカノンさんを連れて帰るからね)
日持ちする食料品を買い求めながら、ダグラスは無事に帰還する事を決意する。
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ダグラスが街の脱出に動き出すまでに一週間待つ事になった。
それまでは街の出入りに関するチェックが厳しかったからだ。
すでにダグラスが外部に出たと思い、ようやく警戒が緩んだ。
これも大人しくしていたおかげである。
そのダグラスはというと――
「あら、ありがとう」
――女装していた。
店からウィッグを盗み、鼻や頬に詰め物をする事で顔の輪郭を変え、メイクによって印象を変えた。
これも師匠から学んだ事である。
変装するとはいっても、人目を引くような美女ではない。
どこにでもいそうな肉体派女冒険者風への変装である。
これならば体格がしっかりとしていても不審がられない。
女としての振る舞いはマリアンヌを参考にしていた。
乗合馬車を使い、まずは東へ向かう。
国境付近の警戒は厳しいだろうが、そこまでは行けるはずだ。
それに馬車の中は揺れるので話しかけてくる者もいない。
自分の事を話す機会は少なければ少ないほどいい。
身バレする機会も減るからだ。
先ほどの言葉も、馬車に乗る際に手を差し伸べてくれたから礼を言っただけ。
それ以外は不必要な発言は控えている。
街を出る際に軽く顔の確認をされたが、厳しいチェックはされず素通りだった。
警戒が緩むまで様子を見ていた甲斐があったようだ。
――これで一息つける。
ダグラスは、そう思っていた。
夕方になる前に馬車が街で止まった。
その街で一泊しなければならない。
近くでホテルの場所を聞き、そこへ向かう。
金を大事にしなければならないので安宿ではあるが、屋根のあるところで寝れるだけマシだ。
チェックインし、部屋に移動すると荷物を置いてベッドに横たわる。
(これをあと一ヶ月か……。国境までは行けるだろうけど、そこから先が難しいな。ゼランの街ならなんとかなるかもしれないけど……。どこかで働かないと金が足りなくなりそうだ)
これからの事を考えると気が重くなる。
しかもこれは逃避行だ。
表立って動けないため、まともな仕事にはありつけないだろう。
そうなると金持ちの家に忍び込んで盗みを働くしかない。
だがそれはそれでリスクが増える。
(こんな事なら調子に乗って古代遺跡の発掘に協力しなければ……、それはそれで追い出されるか。利用価値ないもんな。カノンさんを連れてくれば結婚を認めると言ってくれたのも、古代遺跡に興味を持ってくれたからだし)
ダグラスはレプリカソードを手に取り、眼前へ持ってくる。
そしてスイッチを動かして刀身を出す。
今回は小刀程度の長さだった。
それを首筋に当てる。
これが日課となっていた。
(あぁ、マリー。今の姿を見て、使命を果たすために頑張っていると思ってくれるだろうか? それとも女装して逃げ回らず、堂々と戦えと言うだろうか? でも俺は君みたいに強くないんだ。だからせめて笑わないでほしいな)
――正面切って戦うのは、暗殺者よりも騎士や冒険者のほうが上。
それはダグラスもよくわかっている。
だがマリアンヌは理解していないだろう。
――彼女に格好いい姿を見せたい。
そんな思いを胸に秘めながら、ダグラスは眠りについた。
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