第101話 本来の評価 6
怪我が治ったダグラスは――逃げ出した。
「逃がすなっ! 追いかけろっ!」
ダグラスは倒れた騎士たちがいたところから包囲の輪を抜ける。
反撃に備えて身構えていた騎士たちは最初の一歩が遅れてしまった。
慌ててダグラスを追いかける。
距離を置いて集まっていた野次馬たちが、潮を引くように道を開けた。
だがどうしても逃げ遅れてしまう者もいる。
そういった者は邪魔になる。
しかし、ダグラスの邪魔にはならなかった。
彼は立ち尽くしている男の肩に左手を添えて飛び上がり、前方転回をして野次馬の壁を飛び越える。
「邪魔だ、どけ!」
ダグラスを追いかけている騎士は人混みをかきわけて進むしかなかった。
だが先頭を走っていた者が野次馬の壁を抜けたと思った時、暗褐色の刃に貫かれる。
瞬時に生気を奪われた死体が、後続の身動きを制限する。
そこにもう一撃加えられる。
「慌てるな! 落ち着いて取り囲め!」
彼らのボスらしき者が指示を出すが、ダグラスも悠長に取り囲まれるのを待ったりはしない。
足止めをしたところで颯爽と逃げる。
「待ちやがれ!」
待てと言われても待つ気など毛頭ない。
そのまま走り続ける。
そして、二ブロックほど進んだところで、路地に入り込んだ。
「狭いところに入れば、あの武器でやられるぞ。路地を囲んで逃がすな! 回り込め! 日頃の訓練の成果を見せてみろ!」
騎士たちにまたしても指示が飛ぶ。
戦場で命令が通るよう大きな声だった。
それは当然、ダグラスの耳にも入る。
(頃合いだな)
追っ手との距離が離れたため、ダグラスは路地を曲がって視線を切る。
そしてナイフと窓枠、レンガのわずかな出っ張りを使い、素早く屋根へ上った。
彼は屋根の上を移動する。
もちろん、気配で勘付かれないように細心の注意を払う。
正面切って騎士と戦う事は苦手だが、こういう隠密行動は彼が得意とするところである。
覗き込んでしまえば屋根の上にいる事を気づかれる。
そのため音だけで騎士の居場所を把握する。
路地に騎士の靴音が響き渡る。
どうやら包囲が縮まっているようだ。
「あいつはどこへ行った!?」
「こっちには来ませんでした」
「逃げ足の速い奴め。もう五人もやられてるんだ。騎士殺しとして他の部隊にも声をかけてこい」
「はっ!」
(お前たちが先に手を出してきたくせに!)
ただの風来坊と、正騎士とでは言葉の重みが違う。
憤懣やるかたないが、世間はダグラスではなく、あちらを信用するだろう。
ダグラスはお尋ね者になる事が確定してしまった。
だがダグラスは感情を殺し、息をひそめる。
相手にエルフがいたからだ。
激しい呼吸音で屋根の上にいると気づかれては困る。
騎士たちが慌てて走りさっていく。
路地に気配を感じなくなったところで、ダグラスは屋根を伝って事件が起きた場所に戻ろうとする。
そこには荷物がある。
飲み物などはどうでもいいが、せめて路銀くらいは確保しておきたかった。
それに騎士の捜索は街の外側へ広がっていくはず。
先ほど騒動のあった場所は盲点となり、かえって安全なはずである。
ダグラスは干してあったマントを拝借し、顔を隠し人混みに紛れて接近する。
荷物は騎士の死体のそばにあった。
見張りは二人いるだけである。
どうやら運搬用の馬車待ちらしい。
ここで近づいてもいいが、安全の確保が重要である。
そこで一人の身なりの薄汚れた青年に目をつけた。
ダグラスは彼の背後に近づき、一人言を呟く。
「さっきのは神の従者だった奴か。そうなるとあの荷物の中には人生を変えるほどの金目の物が入ってるんだろうなぁ……。はぁ、俺に度胸があればなぁ……」
そう言い残して距離を取る。
服装からして裕福とは言えない。
むしろ貧民と断言してもいいだろう。
そんな彼が“人生を変えるほどの物”を前に黙って見ていられるだろうか?
ダグラスは離れて様子を見る。
ダメだったり、時間がかかったりするようなら荷物を諦めるまでだ。
青年は当たりをキョロキョロと見回す。
遠目に馬車が見えてきて、騎士たちの視線もそちらに逸れた。
その瞬間、青年はバッグを掴んで走り出す。
騎士たちが振り返ると、すでに青年は人混みに紛れたあとだった。
「ちっ、コソドロが! 覚えてやがれ!」
仲間の死体が荒らされていなかったので、騎士は追いかけなかった。
仲間の死を前にして、ダグラスの荷物などどうでもよくなっていたからだ。
これから街中で“盗人を見つけた時は厳しく対応しよう”と胸に刻むだけで、足は動かなかった。
(やった、やった!)
一方、バッグを盗んだ青年の心は弾んでいた。
騎士が追いかけてこない幸運を神に感謝しながら、人目のない路地へと駆け込む。
そこで息を整え、バッグの中を確認しようとする。
「ありがとう」
その言葉を最後に、彼の意識は途絶えてしまう。
彼の体は干からびて、うなだれるように地面に崩れ落ちた。
“人生が一変する荷物”というのに噓偽りはない。
この荷物に手を伸ばさなければ、彼の人生には様々な可能性があっただろう。
しかし、手を出してしまったせいで、彼の人生はここで終わってしまった。
(これで荷物は俺じゃなく、近くにいたこいつが盗んだと思ってくれるだろう。……あれ?)
バッグに手を伸ばそうとしていたダグラスは、レプリカソードから出ている刀身が揺らいでいるように見えた。
「……あぁ、ごめんよ。マリー」
ダグラスは自分の手首をナイフで切り、血を刀身に垂らす。
すると、暗褐色の刀身が喜んでいるように見えた。
しばらく刀身を見つめたあと、ダグラスは自分の首筋に刀身を当てる。
「んっ……」
マリアンヌの吸血とは比べものにならないほど激しく生気を吸われる。
だがそれだけではなく、同時に自分の体が生気に満ちていく。
それはモラン伯爵と戦った時、吸血鬼化するほどマリアンヌに血を吸われ、吸い返した時をダグラスに思い出させた。
「僕は一人になったと思っていたけど……。マリー、君はずっとそばで見守っていてくれたんだね」
いつまでもこうしていたかったが、今は
名残惜しみながらも、ダグラスは剣を首筋から話した。
「不味いものを食べさせちゃってごめんね。これからは君が喜んでくれるような食事を用意するから許してよ」
刀身がかすかに揺れる。
ダグラスの目には、その揺れにマリアンヌの笑っている姿が重なって見えていた。
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