第100話 本来の評価 5

 剣が振り下ろされると、ダグラスは体を捻って躱しながら、ナイフで右手首を切り落とす。


「ぐわっ」


 ――ただの雑用係にしか見えなかったダグラスが反撃してきた。


 予想もしていなかった反撃に、一瞬、時が止まる。

 その隙をダグラスは見逃さなかった。

 逃げ出す時のために地面に両膝を付くのではなく、片膝だけにしていたのだ。

 手首を切り落とした騎士の横を抜けて逃げ出そうとする。 


 だが手首を切り落とされた騎士も、一方的にやられるだけではなかった。

 信仰心と使命感から痛みをこらえ、左手でダグラスの袖を掴む。

 ダグラスは騎士を蹴り飛ばす。

 掴まれていた袖は破れてしまったが、そんな事を気にしている場合ではない。

 すぐに逃げようとする。

 だが騎士の執念が、ダグラスの命運を大きく変えた。


 ダグラスが一瞬の隙をついて逃げ出そうとしたのと同じく、相手もこのわずかな隙を見逃さなかった。

 騎士の壁の外には、兵士や役人らしき者たちが取り巻いていた。

 その中の一人。

 ダグラスが通り抜けようとしていた場所にいた壮年のエルフに行動を取る余裕を作られてしまった。

 エルフが体を回転させると、マントがひるがえる。

 そのマントがダグラスの体にまとわりついた。


 それが剣や槍といったものであれば、ダグラスも腕の一本を犠牲にしてでも通り抜けていただろう。

 投げナイフや弓矢であれば、ナイフで弾き飛ばしていただろう。


 ――だがダグラスの行く手を阻んだのはマントだった。


 とっさにマントを切るものの、それでどうにかなるものではない。

 大きな布の一部を切り裂いたとしても、大きな布のままである。

 そして布は体にまとわりつく。

 マントがダグラスの行動を阻害する。

 それによって生じた隙は大きかった。


 ――他の騎士たちがダグラスに追い付き、彼の背中に剣を突き刺した。


「ひいっ」 


 声を上げたのはダグラスではない。

 マントで妨害したエルフであった。

 剣が自分に向けられたかのように錯覚したため、漏れ出た悲鳴だった。

 彼は乱雑にマントを脱ぎ捨てて、数歩距離を取る。


 刺されたダグラスは悲鳴を上げなかった。

 彼は痛みを感じないからだ。

 しかし、足が動かしにくくなった事は実感していた。


「ユベールの連れめ! ざまぁみやがれ!」


 マントで邪魔をしたエルフが吐き捨てるように言った。

 チラリと彼の顔を確認すると、王宮の入り口でダグラスの対応をした者の一人だった。

 どうやらユベールの事を裏切り者だと思っていて、ダグラスの事をハメようとしたのだろう。


「これで終わりだ!」


 さらにダグラスは背後から袈裟懸けに切りつけられる。

 首元から背中にかけて大きな切り傷を受けた。

 突然起こった惨劇に、遠巻きに見守っていた民衆から悲鳴が上がる。


 これだけ大きな傷を負えば、ダグラスも死を覚悟する。

“痛みが感じない”のと“体が動かせる”というのはイコールではないからだ。

 軽い傷ならば常人とは違って100%の力を発揮できる。


 だが重傷を負った時は真逆である。

 常人であればわかる負傷箇所がわからないというのは大きなデメリットだった。

 自分の体がどこまで動かせるかという判断も難しくなる。

 立ち尽くしているダグラスは、さらに二度、三度と切りつけられた。


 その時、腰に下げていたマリアンヌの指が入った袋が破れ、ポロリと地面に落ちる。

 袋の外に出るとすぐに陽に焼かれ、指が消えてしまいそうになる。

 ダグラスは指を拾おうとしたが、体が言う事を聞かず、崩れ落ちるように地面に倒れ伏した。

 なんとかマリアンヌの指を手の中に握り込む。

 指はダグラスの血を吸って、少し治りかけている。


(こんな時になにをしているんだろうな……)


 指は指だ。

 マリアンヌ自身ではない。

 だが、命ほど大事だとは思わないものでも手放したくないと手を伸ばしてしまう。

 そんな行動を取ってしまう自分が滑稽なものに思えてしまう。

 しかし、こんな自分でも理解できない行動を取る事に不思議だと感じていても不快感はなかった。


 ダグラスも、これまで多くの命を奪ってきた。

 だから、いつかはこんな日がくるだろうとは思っていた。

 だが思い残す事がないわけではない。

 

(マリー、せめてもう一度会いたかった。子供にも……)


 ――もう一度マリアンヌと会いたい。


 周囲では“俺が致命傷を与えた!”“私のおかげで足止めできた”などと手柄を我が物にしようと言い合っており、ダグラスから注意が逸れていた。

 ダグラスは最後の力を振り絞って、レプリカソードに手を伸ばす。

 中に入っていた聖銀を取り出し、そこへマリアンヌの指を入れた。

 こうする事で太陽から守るという目的と、もう一つの目的を実現するためである。


(マリー、出てきてくれ)


 周囲に気づかれぬよう、スイッチを少しだけ動かす。

 すると暗褐色の短い刀身が出てきた。

 まるで血の色のようで、吸血鬼らしい色ではあるものの、ダグラスをガッカリさせる。


(やっぱりダメか……)


 ――体の一部を入れたからといって、本人が姿を現すわけではない。


 期待から大きく外れた結果に、ダグラスは最後の気力を失った。

 体中から力が抜けるのを感じる。

 薄れゆく視界の中で、地面の血が刀身に吸い取られていくのが見えた。


 ――すると、ダグラスの視界が広がった。


 手に力も入る。


(なんだ、どうして? ……マリー、君のおかげか)


 理由はわからない。

 しかし、ダグラスはマリアンヌの指が助けてくれたのだと本能的に察した。

 この剣は血を吸って、持ち主に力を与える。

 おそらく、怪我も治してくれるのかもしれない。

 足が動くか試してみる。


「おい、まだこいつ動いてるぞ!」


 本当に動いたのだろう。

 目ざとく気付いた騎士の一人が周囲に声をかける。

 他の騎士が動くよりも、ダグラスが動くほうが早かった。

 刀身を伸ばし、近くにいた騎士を三人ほどまとめて切る。


 ――すると鎧には一切の傷が付いていないのに、切られた騎士の体がミイラのように干からびた。


 どうやら吸血鬼の体を使った刀身は、物理的なものをすり抜けて命あるものの生命力を奪い取るようだ。

 ダグラスは傷が治るだけではなく、体の奥底から活力が湧いてくるのを感じていた。

 今ならば騎士が相手でも、正面切って戦えるような勇気まで込み上げてくる。


「気をつけろ! それはおそらく聖遺物だ!」


 エルフが叫ぶ。


「先に言え、馬鹿エルフ!」


 一瞬で三人の仲間を失った騎士から、エルフに罵声が浴びせかけられる。

 だがエルフを非難するばかりではない。

 混乱しながらも、素早くダグラスを取り囲んで剣を向ける。

 彼らの戦意は失われていなかった。

 そして、ダグラスの戦意も失われていない。


「さぁ、マリー。初めての共同作業といこうか」


 普通の人間であれば、痛みを感じた時点で動きが鈍る。

 だが痛みを感じないダグラスにとって、痛みは足枷ではない。


 ――傷を治す事ができる剣。


 それはダグラスにとって、最適のパートナーだった。

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