第95話 マリアンヌとの別れ 2 +四章の人物紹介

 旅立ちの準備は、極めてスムーズに進んだ。

 それだけ早くカノンを探しに行ってほしいのだろうが、ダグラスは厄介払いでもされているような錯覚を覚えた。

 今でこそ好意的な態度を見せてくれるようになったものの、最初の悪印象を拭いされたという確信を持てていなかったからである。

 だから“さっさと追い出そうとしているのでは?”と考えてしまった。


 フェリベールが眷属候補の人間を従者に付けようとしてくれたが、それは断った。

 シルヴェニアで育った人間では、外の世界に適応できないだろう。

 それではトラブルの元となる。

 厄介事に巻き込まれず、素早く移動するには足手纏いでしかなかった。

“早く見つけて連れ帰りたい”というのは吸血鬼のみならず、ダグラスの望みでもある。

 周囲と摩擦を起こさず、素早い行動を取れる状態にしておきたかった。


 だからずっと走り続けられるアンデッドの馬も断ったし、シルヴェニア産のビキニパンツも断った。

 しかしこの時、断ったせいで少しだけ摩擦が起きる。


「そういえば確認していなかったが、お前はどのようなパンツを履いているのだ?」


 ――フェリベールたちに下着を確認されそうになる。


 これは性的な要求ではない。


 ――ビキニパンツ派かブリーフ派か。


 今、この国で最も重要な意思確認のためである。

 これは重要な事だと、ダグラスもわかっている。

 わかってはいたが、マリアンヌの前で脱いでもいないのに、先に彼女の家族の前で脱ぐのには抵抗があった。


「なにを隠している? さては貴様、ブリーフ派の手先に成り下がったか!」

「違います! 人前で下着を見せるという習慣がなかったので、少し緊張しているだけです」

「それがどうした。私たちを見れば、恥ずかしがる必要などないとわかるだろう」


 フェリベールが、やれやれと首を振る。

 だがダグラスにとっては、生まれ育った環境が違うのでためらいがあった。

 そしてもう一つ、ためらう理由があった。

 しかし彼を前にして、いつまでも渋っているわけにもいかない。

 ダグラスは勇気を出してズボンを下げる。


「なん、だと……」


 ダグラスの下着を見て、フェリベールは言葉を詰まらせる。


 ――ダグラスがトランクスを履いていたからだ!


 そう、彼はビキニパンツでも、ブリーフでもない。

 よりにもよって、トランクスを履いていた。

 これはダグラスがビキニパンツ派とブリーフ派の事を甘く考えており、入国以来下着を買いに行く暇がなかったせいでトランクスのままだった。


(新しいパンツを買っておけばよかった……)


 そう思っても、もう遅い。

 フェリベールに“ビキニパンツ派ではない”と知られてしまった。

 それがどういう事を意味するのかはわかっている。


 ――嫌われてしまう可能性が高い。


 さすがに下着までは確認しないだろうと油断していた。

 ダグラスは爪の甘さを後悔する。


 ――しかし本当に後悔するのは、これからだった。


「ジョゼフィーヌ! これはどういう事だ!?」

「知りません! 身に覚えなどありません!」


 なぜかフェリベールは、ジョゼフィーヌを厳しい口調で責め立てる。

 それをジョゼフィーヌは否定する。


「ねぇ」


 予想していなかった流れに、ダグラスは動揺していた。

 そんな彼にマリアンヌが声をかける。

 なぜか彼女も厳しい表情をしていた。


「私はあなたの事を信じているけれど……。濃緑のトランクスが意味するものを知っているの?」

「えっ……。これは下着姿で逃げないといけないときに、草の中で目立たない色にしただけなんだけど……」

「やっぱり」


 マリアンヌの表情が和らいだ。

 そして今度は呆れた表情を見せる。


「パンツの種類と色がなにを意味するのかわからないなら、先に私に聞いておきなさいよ」

「でも師匠から女性の前でむやみに脱いではいけないと教わったから……」

「それは……」


 マリアンヌは人間の繁殖方法を思い出し、すぐにダグラスから顔をそむける。


「濃緑のトランクスは『お前の妻を奪い取った』という意味があるのよ。だからお父様が勘違いしたのよ。ねぇ、ちょっと待って」


 トランクスの意味を説明すると、マリアンヌは両親の間に割って入る。


(パンツの種類なんて少ないのに、なんでそんな意味が含まれているんだよ!)


 残されたダグラスは、この国でビキニパンツ派とブリーフ派の二つしか派閥がなかった理由に気づく事ができた。

 もしマリアンヌがいなければ“このパンツのなにが悪いのですか?”と尋ねて“無神経な奴だ”とフェリベールに殺されていたかもしれない。

 たかがパンツと思っていたが、下着姿で生きる吸血鬼にとって、言葉にせずとも意思表示に使える貴重な要素なのだろう。

 政治的な主義主張以外にも意味があったと知り、ダグラスは改めて文化の違いを思い知らされた。


「おい、本当にジョゼフィーヌには手を出していないんだろうな?」


 マリアンヌから事情を聞いたフェリベールが、ダグラスに詰め寄る。


「まさか、とんでもない! たまたまこのトランクスを履いていただけです!」


 さすがに“マリアンヌの母親にまで手を出した”などと思われたくないため、必死に否定する。


「なにっ! ジョゼフィーヌに魅力がないとでも言うつもりか!」


 その態度がフェリベールの神経を逆撫でする。

 彼はダグラスの胸倉を掴んだ。


(本当、この人は面倒臭い……)


 ダグラスがそう思ったのは、マリアンヌの時にも似たようなやり取りをしていたからだ。


 ――手出しをされるのは嫌だが、必死に否定されると不満に思う。


 家族を大切に思うのは良い事だが、彼に絡まれるほうはたまったものではない。


「魅力的だとは思いますが、姫殿下の母親にまで手出しは致しません」

「嘘をつけ! 人間など美しい者なら誰にでも発情する淫獣ではないか!」

「それは――」


 ――“違います”と言おうとしたダグラスの脳裏に、カノンの姿が浮かびあがった。


(否定し辛い……)


 彼は恐怖の対象でしかなかった初対面のマリアンヌにまで発情していた。

 街中ですれ違う女性もチラチラと横眼で見ていた。

 そういう目で見なかったのはキドリくらいだろう。

 インキュバスと変わらないと言われても否定しにくい。

 だがダグラスは、ここでジョゼフィーヌに色目を使ったと思われたくはなかった。


「そういう人もいます。ですが私は姫殿下一筋です。その気持ちは例え陛下であろうとも否定されたくはありません」


 こんな事を言ってしまえば、フェリベールの怒りを買うかもしれない。

 だがダグラスも、マリアンヌを妻にしようと決意したのだ。

 その気持ちだけは、相手が王であろうとも捻じ曲げる事は認められない。

 この場にマリアンヌがいるという事もあり、自分の気持ちを伝えるためにダグラスは強気に出た。


「私を前にして、そのような事を言えるとはな」


 フェリベールが手を放す。


「本当に愛しているというのなら、言葉ではなく行動で示せ。命に賭けてもカノンという男を連れてこい。そうすれば少しは認めてやる」


 こうは言っているものの、彼はダグラスの事を“普通の人間ではない”と一定の評価をしていた。

 外部の人間だからというわけではない。

 ブリーフ派の吸血鬼ですら、フェリベールの前では本心を隠して大人しくしている。

 なのにダグラスは“マリアンヌ一筋だ”と、フェリベールを前にしても屈しなかった。

 それだけマリアンヌの事を想っているのだろう。

 根性だけは一人前だと認めざるを得なかった。


「もちろん、連れ帰ってきます」

「じゃあ、その前に」


 返事をするダグラスの前に、マリアンヌが歩み寄ってきた。

 ダグラスは噂に聞く“いってきますのキス”というものを期待する。


 ――だが違った。


 いきなりマリアンヌが自分の左手の薬指を嚙み千切った。

 ダグラスは驚きのあまり、身動きが取れなかった。


(薬は部屋に置いたままだ!)


 最初に頭に浮かんだのは、カノンから貰った薬の場所だった。

 しかし、すぐにその必要はないと理解する。

 彼女の指からは血が流れていなかったからだ。


 そう彼女は吸血鬼。

 人間とは違って、出血を恐れる必要はなかったからだ。

 心配ないとわかると今度は“なぜ指を噛み切ったのか?”という疑問が浮かぶ。

 彼女はどこからともなく紐のついた小さな袋を取り出し、その中に指を入れるとダグラスの首にかけた。


「私の事を忘れないようにね」

「忘れるはずないよ。……ところで指は大丈夫なの?」


 マリアンヌは左手を顔のところにまで上げると、傷口をダグラスに見せた。

 すでに傷が塞がっており、徐々に肉が盛り上がってきている。

 吸血鬼の再生能力は、人間とは比べものにならないほど凄いようだ。


「怪我の心配はないようだね」


(違う心配はあるけど……)


 マリアンヌの行動を、フェリベールとジョゼフィーヌが驚愕に満ちた表情で見ていた。

 おそらく、この指を相手に贈るという行為にも意味があるのだろう。


「あの、この指の意味って――」


 意味を尋ねようとしたダグラスの口を、マリアンヌが人差し指で触れ、それ以上喋らせなかった。


「帰ってきたら教えてあげる」

「……わかったよ」


 そうは言うものの、ダグラスは周囲の反応と“左手の薬指”という点から大体の見当は付けていた。


(婚約の証とか、そういう感じなんだろうな。指輪も左手の薬指にはめるらしいから……)


 こういう時、ダグラスは自分がなにも持っていない事を身に染みて思い知らされる。

 さすがに自分の指を渡すわけにはいかない。

 それでカノンを連れてくるのに支障をきたしたら本末転倒だ。


「カノンさんを連れて戻ってくる。その時、気に入ってもらえるようなお土産を持ってくるよ。必ず」

「ええ、楽しみにしているわ。でも無事に帰ってきてくれるのが一番なんだからね」


 ――自分の指を相手に御守りとして渡す。


 それに匹敵するお土産というものが、ダグラスにはさっぱりわからなかった。

 だが言ってしまった以上は仕方ない。

 カノンを探す他に、彼女へのプレゼントまで探さなくてはならなくなってしまった。




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 フェリベール・チューダー・シルヴェニア。


 マリアンヌの父であり、吸血鬼たちの王。

 普段は国王としてふさわしい威厳を持つが、家族が関係する問題にはポンコツ化する。

 モラン伯爵を倒したダグラスの事を評価しているものの、マリアンヌの婿として迎える事には受け入れ難く思っている。

 人間相手でも約束は守ろうとする公正なところがある。




 ジョゼフィーヌ・チューダー・シルヴェニア。


 マリアンヌの母。

 当初は隙をみてダグラスを亡き者にしようと考えていた。

 しかし、マリアンヌの感情、ダグラスの過去などに同情し、実行を諦めた。

 情に脆いところがある。

 



 ジリアン・マグレディ。


 マリアンヌの友人。

 友人の許されない恋を応援している。

 しかし無条件の友情によるものだけはなく、興味本位で手伝いたいと思ういたずら好きなところもある。




 セシル・モラン伯爵。


 前線を任されているだけあり、吸血鬼の中でも実力者だった。

 ブリーフ派の中でも中心的存在であり、彼の死はブリーフ派の団結力を弱める事となった。

 人間を家畜として見ていて特別優しいというわけではないが、開拓などを率先して請け負っていたため領民に好かれていた。




 ピエール。


 シルヴェニア国境にある砦の守護者。

 モラン伯爵の眷属であり、最前線の砦を任される実力を持っていた。

 モラン伯爵の死と共に、彼も死を迎えた。




 マーゴ・コスター子爵。


 ビキニパンツ派の吸血鬼。

 モラン伯爵亡きあとの国境地帯の防衛に駆けつける。


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これにて四章は終了です。

次回からはダグラスの旅立ちになります。

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