第94話 マリアンヌとの別れ 1

 まずダグラスは、マリアンヌに話す事にした。


「子供が生まれてくるっていうのに、なんで出かけようとするのよ! この子の事なんてどうでもいいっていうつもり!」


 事情を説明すると、彼女はダグラスの旅立ちに強く反対した。

 しかし、これくらいは予想の範疇である。

 ダグラスは落ち着いて対応する。


「そんな事ないよ。僕も子供が生まれてくるのを見届けたい。だけど……」

「だけど? なによ!」


 ダグラスが言い訳しないよう、マリアンヌは本気で力を籠めた視線を向ける。

 殺意の籠る視線を向けられて、ダグラスは視線を逸らす。

 だが口は閉じなかった。


「まだ父親としての自覚が湧いてこないんだ」


 普通であれば“子供を作るだけ作って、なんて無責任な!”と責められるところだろう。

 しかし、マリアンヌ相手は違う。

 ダグラスは子供を作っていた認識などまったくなかったからだ。


「ずっとマリーが食事するために血を提供しているだけだと思っていたから、子供ができたと言われても実感がないんだよ」

「それは……、まぁ……」


 マリアンヌにも“首筋から血を吸えば子供ができる”という事を内緒にしていた負い目がある。


「じゃあ、子供の事なんてどうでもいいの?」


“それでも父親なんだから自覚を持ってよ!”と思いながらも、マリアンヌは強くは言えなかった。


「だからそうじゃないよ。自覚を持ちたいから、陛下の申し出を受けようと思ったんだ」


 ダグラスの答えを聞いて、マリアンヌは少し落ち着いた。

 彼も前向きに考えている。

 それがわかった事で、ひとまずは納得し、話の続きを待つ。


「カノンさんを見つけてくれば、褒美は望むがままと言われたんだ。だから、マリーとの結婚を認めてもらうつもりだ」


 ダグラスは、フェリベールに言われたように“自分から結婚を望んだ”という形を取った。

 これは言われるがままになったのではなく、そのほうがマリアンヌが受ける印象もいいと思ったからだ。


 その考えは当たっていた。

 マリアンヌは、ずっと不安に思っていた。


 ――ダグラスは嫌々従っているだけなのではないかと。


 道中、マリアンヌはダグラスの事を気にかけていた。

 ダグラスも彼女の事を気にかけてくれているようだったが、それが愛であるかは確信が持てなかった。

 外部の人間の考えがよくわかっていなかったからだ。

 ずっと“友人や仲間の延長線上だったりするのでは?”という考えが拭い切れなかった。

 だから子供をダシにして、ダグラスを繋ぎとめようとしていたのだ。

 しかし、こうしてダグラスのほうから告白してきた事で、彼女の不安は拭いさられるどころか、今度は逆の意味で胸を高鳴らせる。


「僕だって子供の出産に立ち会いたいし、子育ってだってやってみたい。だけど、今のままじゃあダメなんだ。人間の子供の作り方とはまったく違うから、僕が父親になったという実感がない。だから順序よく整理して、まずはマリーとの結婚から始めようと思ったんだ。まずは恋人になり、夫になり、父親となる。そうすれば僕も父親としての自覚が芽生えると思う。これからのためにも、今回は行かせてくれないか?」


 ダグラスも“マリアンヌと一緒にいたい”という気持ちがあったが、それ以上のものか自分でもはっきりとしなかった。

 こうして言葉にした事で、彼も自分の中にあった感情がどういったものかを認識する。

 彼は顔が紅潮するのがわかった。

 だが不快ではないため、そのままの自分を受け入れる。


「ダグラス」

「その僕の名前なんだけど、本当の名前は違うんだ……」

「えっ、そうなの?」


 これまで秘密にしていたが、ダグラスはマリアンヌにだけは話そうとした。

 結婚する相手にならいいだろうと思い、ついに彼女に打ち明ける。


「マリーにだけ教えるけど、僕の本当の名前はダガーだ。生みの親がどう付けたかはわからないけど、師匠はそう名付けてくれた」

「そうだったの……」

「今まで隠していてごめん。変わった名前と思ったよね? でもこういう名前のほうがいいって名付けたそうなんだ」


 ――ダガー・・・と名付けたから、国を出てからの偽名にはダグラス・・・・という、少しは元の名前の面影がある名前を使っていた。


 これはまったく馴染みのない偽名だと、呼ばれた時に咄嗟の反応が遅れてしまうかもしれないからだ。

 そのわずかな反応の遅れが疑念を生み、出自を怪しまれる可能性を生む。

 そんなもっともらしい理由で“ダグラス”と名乗り始めたと本人は思っていたが、本当は師匠の事を忘れ切れていなかったからだ。

 師匠との繋がりを忘れられず、名前に面影を残してしまった。

 逃走中の元暗殺者としては脇が甘い行動である。


「ううん、いい名前だと思うわ。色々と事情があって黙っていたんでしょう? 私にだけ話してくれたっていうので許してあげる」

「マリー、ありがとう……」

「でも、ちょっとだけ罰を与えるわ。生まれてくる子供の名前は私に付けさせてよね」

「えっ、一緒に子供の名前を考えたかったんだけど……」

「だーめっ」

「もう、仕方ないな。一人目は譲るよ」


 マリアンヌが可愛らしい仕草で否定すると、ダグラスは折れた。

 彼が折れた事に、マリアンヌは安堵する。


(子供にダガーなんて名付ける人に育てられたのだもの。子供の名前にアックスだとか、ソードだとか付けたいとか言い出されたら断るのも苦労しそうよね)


 彼女の心配は当たっていた。

 ダグラスの師匠の名はカトラス。

 彼は師匠を偲び、子供にはそういう系統の名前を付けたいと思っていたからだ。

 マリアンヌが心配したおかげで、子供は個性的な名前を付けられずに済んだ。


「……一人目?」


 マリアンヌは聞き捨てならない言葉について聞き返す。


「そう一人目。問題がないのなら二人目、三人目も欲しい。君との子供なら何人でも欲しいんだ」


 ダグラスは顔を赤らめながら彼女に二人目以降を要求した。

 ここまで直球で要求されると、マリアンヌも恥ずかしくなってしまう。

 だが彼女もカノンにいやらしい目で見られた時とは違い、嫌な気分にはならなかった。

 むしろ嬉しいくらいだった。


 ――僕の子供を産んでほしい。


 たったそれだけの一言が、彼女の心を激しくかき乱す。

 以前であれば“たかが人間風情が”と一蹴していただろう。

 この数カ月の間に、これまで持っていた常識・・という概念を大きく崩されてしまったようだ。


「だったら早く帰ってきなさい!」

「あぁ、そうする。必ずカノンさんを連れてくるから!」

「……あの人はいらないけれど。お父様が必要だというのなら仕方ないわね。私もあの奥がどうなっているのか気になるし」


 マリアンヌは、カノンの印象は初対面のままだった。

“特別な存在だ”という事と“だから許す”は両立しない。

 生理的に無理なものは無理なのだ。

 だからカノンを連れてくる事に、無条件で賛成はできない。

 彼の事を口に出した事で、ダグラスはある事を思い出した。


「あっ、そういえば陛下にマリーと出会った時の事を話したけど……」

「……役目が終わったら大変な事になりそうね」


 もしかしたら、フェリベールたちがカノンに会いたいのは、古代遺跡の扉を開くためだけではないのかもしれない。

 だが、二人はカノンの事を気にしない事をした。

 彼ならば窮地に陥っても、自力で切り抜けられそうだったからだ。

 今回のダグラスのように、価値を示している間に印象を好転させる事ができるかもしれない。

 二人の間で、彼を呼ばないという選択肢はなくなっており、彼を呼ぶのは既定路線になっていた。

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