第93話 好転する印象 6

 しばらくは、吸血鬼たちが率先して古代遺跡の清掃作業を行っていた。

 清掃作業というのはホコリを掃除するだけではなく、アンデッド化した古代人の死体を処理するという意味も含まれている。

 モラン伯爵の行動により、ブーメランパンツ派とブリーフ派の関係が悪化していたが、今回ばかりは手を組み合っていた。

 なにしろ吸血鬼のルーツがわかるかもしれない場所だ。

 知る事が怖い者もいたものの、積極的に協力する者のほうが多かった。


 ダグラスは清掃作業が終わったところに派遣され、扉を開く役割を与えられていた。

 吸血鬼たちは“ダグラスは神の従者だから扉を開く事ができる”と思っていたが、実際は他の人間にも操作はできる。

 だがダグラスは、その可能性に触れなかった。

“扉を開く事ができる唯一の人間”と思われていたほうが都合が良かったからだ。

 彼自身、ズルイ考えだとはわかっていたが、今後の事を考えれば特別な存在でいるメリットは計り知れない。

 黙っているのが最善だと考えたため、余計な事は言わなかった。


 ダグラスが唯一無二の立場を確立したため、マリアンヌも安心していた。

 しかし、王女が人間の子を孕んだという事もあり、ブリーフ派からブーメランパンツ派への攻撃材料にもなっている。

 彼女は彼女で予期せぬ妊娠からの出産に加え、政情に不安を覚えていたので、万全の状態というわけではなかった。


 ――ダグラスの立場は安定しそうではあるが、マリアンヌの立場は不安定になった。


 危ういバランスの中、日々が過ぎていった。

 そしてある日の事。

 ダグラスの立場も危うくなる事件が起きた。


「……あれ? どうやって開けるんだろう?」


 ――パスワードが必要な扉のところに辿り着いてしまった。


 これまでのように触れるだけでは開く事ができない。

 まったく未知の扉だった。


「合言葉がを入れてください、か」


 ダグラスに同行している学者が表示されている文字を読む。

 彼はダグラスを見る。


「僕を見られても困ります。なにも知らないんですから」

「まぁそうだろうな。しかし困ったな。ここから先が重要な場所のようなのに調べられないとは」


 これまで調べたところは、まだ入り口といった様子だった。

 城で例えるなら、門と門番の詰所、あとは馬車の停車場といったところだろう。

 清掃作業をしていたとはいえ、二週間ほどかけて調べられたのがそれだけである。

 古代遺跡は地下都市だと言われるだけあって広い。

 まだ“遺跡内部に入った”と感じている者はいなかった。


 だが、それだけでもわかる事があった。

 機装鎧などがあった駐車場付近の死体だけはアンデッド化していなかった。

 銃を口に咥えていたものがあったため、自殺したのだろう。

 戦闘の形跡は内部から駐車場へと続いており、まるで都市内部でアンデッドが大量発生したため逃走し、生きるのを諦めて自殺したかのようだった。


 吸血鬼たちにとっては“なぜ逃げる必要があるのか?”としか思えなかったが、ダグラスは違う。

 古代文明の強力な武器を持った人々が逃げる事しかできなかったのだ。

 開かない扉は、いわば封印である。

 ここが吸血鬼の国とはいえ、アンデッドの集団を解き放ちたくなどない。

 ダグラスは“扉が開かなくてよかった”と思ってさえいた。


「この扉を開くのはカノンさんでなければ無理かもしれません。僕は彼の真似をしているに過ぎませんから」


 だからカノンの名前を出す。

 ここにはいない者の名前を出す事で、一時的に諦めてもらうつもりだった。


「そうか……。ここまできてそれは残念だ……」


 学者が肩を落とす。

 古代遺跡の壁は、どこも頑丈である。

 魔法が使えた時でさえ、扉に傷一つつける事ができなかった。

 力尽くで道を切り開く事ができないので、八方塞がりとなってしまった事に落胆を隠せなかった。


(申し訳ないけど、開けないのは本当だ。嘘をついたわけじゃないし、気にしなくていいよな)


 そう考えながら、ダグラスは人間と吸血鬼の生態の違いを考え始める。


 ――生者と死者。


 たったそれだけの違い。

 しかしながら、この違いは極めて大きな違いだった。


 ――今は感情のままに動いているが、冷静になってからもマリアンヌとは今の関係でいられるのか?

 ――生まれてくる子は生者か、死者か?


 考えれば考えるほど不安も増していく。

 だが現状を受け入れ、未来へ向かって建設的な考えをしていくしかなかった。



 ----------



「ダグラス、お前はカノンという男を連れてこい」


 ダグラスの何気ない発言。

 その影響が出たのは、翌日の事だった。

 フェリベールが“カノンを連れてこい”と言い出した。


「なぜでしょうか?」

「扉を開くのは、その者でなければ無理なのだろう? ならばその男を連れてくるしかなかろう」


 カノンの顔を知っているのはダグラスとマリアンヌのみ。

 当然、妊娠中のマリアンヌは外に出す事ができない。

 ダグラスが捜索を任されるのは必然だった。


「あ、あの……。子供が生まれてからでは……」


 ダグラスは自分の失敗を悟りながらも、子供の出産に立ち会いたいという望みを述べる。


「子供が生まれるまで半年はあるだろう。それまでに見つけてくればいいだけだ」


 だがフェリベールは、あっさりと却下する。

 彼にはダグラスの都合など考慮する価値などない。

 自分の都合を押し付けようとしていた。

 それでもダグラスは諦めなかった。


「急ぎたいという気持ちは理解できますが――」

「結婚を認めてやる」

「――ヴァンパイアの寿命なら……。今なんと?」

「カノンという男を連れてくれば、結婚を認めてやると言ったのだ」


 ――フェリベールから結婚を認めると言い出してきた。


 これは大きな譲歩である。

 ダグラスの意思にも迷いが生じ始める。


「私はヴァンパイアのルーツにそこまでの価値があるとは思わないわ。でも、今のところ見つかった遺物だけでもかなりのもの。褒美……というには過大過ぎるものの、遺跡の中になにがあるかは気になるところ。場合によっては私も認めてもいいわ」


 ジョゼフィーヌも“マリアンヌほどの価値はない”と言うものの、興味はあるようだった。

 マリアンヌの両親の支持があれば、他の吸血鬼たちも認めざるを得ないだろう。

 ダグラスも、この提案に飛びつきたい。

 しかし、簡単に飛びつけない理由があった。


(わかりやすいエサを見せて、使い捨てるつもりかもしれない)


 カノンがいれば、ダグラスは不要となる。

 代わりの駒が見つかったから使い捨てるというやり方は、貴族たちがやってきたのをこれまでに見てきた。

 この二人も同じように、ダグラスが張り切るエサを見せびらかしているだけかもしれないのだ。

 考えもなしに飛びつくわけにはいかなかった。


「なんだ、この褒美が不満なのか?」


 ダグラスがどうしようか迷っていると、フェリベールが答えを急かしてくる。


「いえ、とてもありがたい事ですが……。姫殿下は同意されておられるのでしょうか?」

「していない。マリアンヌも子供が生まれてからでもいいのではないかと言い出したのでな。だから貴様のほうから言い出したという形にしたいのだ」


(マリアンヌも乗り気ではないか)


 彼女に“そばにいてほしい”と思われているのは嬉しい事だ。

 それだけに、その気持ちを手放したくないという考えも浮かぶ。


(ここで“約束を守る保証はあるのか?”と聞いて機嫌を損ねるのはまずいな)


「……かしこまりました。カノン捜索の任、お任せください」

「聞きわけがよくて助かるな。この手で“孫が生まれた時に父親がこの世にいない”などという事態にするつもりはないと約束しよう。無事にカノンを連れて帰ってこい」


 フェリベールも腐っても王である。

 ダグラスの不安を感じ取り“用済みになったからといって殺しはしない”と伝える。

 彼にとって大事なのはマリアンヌとその子供のみ。

 だがダグラスも“カノンを連れて帰ってくるのなら、わざわざ殺すまでもない”と思ってくれるようになっていた。

 当初の“娘に手を出した不届き者”から印象が変化していた。

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