第87話 最悪の印象 4

 ダグラスは言われるがままに着席する。

 大きなテーブルなのでフェリベールたちとの距離はあるが、それでも強い圧迫を感じていた。

 あくまでも“冷静に話し合おう”というだけで好意的ではない。

 それは使用人たちも同様で、ダグラスに水も出そうとしなかった。


(こういう時こそ水がほしいのに……)


 どんな話を切り出そうかと考えるだけで喉が渇く。

 この場から逃げ出したくなったが、それでは話がなにも進まない。

 勇気を出して話を切り出すしかなかった。


「ジリアン様からどのような話を聞いておられるのかわかりませんので、私からも説明をさせていただけないでしょうか?」


 ダグラスには国王夫妻がどのような人物かよくわからない。

 ジリアンから“誠実に話せば悪いようにはならない”と言われているが、やはり不安だった。

 彼はカノンとは違うのだ。

 自信を持って話す事などできない。

 ただ、一つ自信を持って話せる事がある。


 ――最初から下心を持ってマリアンヌと接していたわけではないという事だ!


「……いいだろう。話してみろ」


 フェリベールも国王としての矜持があるのだろう。

 今度は落ち着いて話を聞こうという態度を見せる。

 彼の態度に、ダグラスは助かった思いだった。


「最初に会った時は、カノンという人物の道案内をしていました。そのカノンという人物が――」


 まずはマリアンヌとの出会いについて話す。

 こういう時は身代わりを差し出すのが一番だ。

“自分ではなく、カノンがマリアンヌを性的な目で見ていた”と説明する。

 その考えは成功だったようだ。

 ジョゼフィーヌがテーブルに拳を叩きつけて、テーブルを真っ二つに割った。


(どうせここにはいないんだ。嘘はついていないし、被害を受けないんだから大丈夫だろう)


 ダグラスは矛先を逸らす事に成功したと考える。


 ――だが、その考えは間違っていた。


「マリーが、それほど魅力のない娘だと言うつもりですか。あなたは!」


 なぜか怒りの矛先がダグラスに戻ってきた。


(なんでそうなる!?)


“マリアンヌをいやらしい目で見ていない”というのは、親にとって悪くない答えのはず。

 なのに、なぜか怒りを向けられている。

 彼女の反応は、家族を、そして子供を持たないダグラスには理解できないものだった。 


「そこは“とても魅力的で目を奪われました”と言うところでしょうが!」


 ジョゼフィーヌの怒りは止まらない。

 彼女の逆鱗に触れた理由がわからないダグラスは、身を縮こまらせる。


「ご、誤解をさせてしまいました事をお詫び申し上げます。もちろん姫殿下に注目――」

「やはり色目を使っていたのではないか!」


(こんなのどうしろっていうんだ……)


 今度はフェリベールが怒りだした。


 ――色目を使っていないと言えば怒鳴られ、色目を使っていたと答えれば殺意を向けられる。


 まさに八方塞がりといった状況だった。

 ダグラスも兵士に囲まれる経験はあったが、仲の良い女の子の両親に凄まれる経験などない。

 このような状況を、どう切り抜ければいいのか?

 さすがにこんな事は師匠も教えてくれなかった。

 ダグラスは、どうすればいいのか悩む。


(でもまったく光明が見えないというわけでもないか)


 ダグラスも、かつては貴族に仕えていた。

 その時にも理不尽な要求や叱責を受けた経験がある。

 マリアンヌの両親も彼らと同じだ。

 吸血鬼の王だからと特別視していたが、根っこは似ている。

 ただ人間の上位種であると思っているので、人間相手により理不尽な言いがかりをつけてくるのだろう。

“そのあたりを考慮すれば、どうにかなるかもしれない”とダグラスは少しだけ希望を持った。


「もちろん魅力的だと思いますが、そういう意味で注目していたのではございません。あの時は容姿に見惚れる余裕などありませんでした。なにしろ、ヴァンパイアと遭遇するのは初めてでしたので。ヴァンパイアの強大な存在感を前にして、美女かどうかなど気にする事などできませんでした。カノンさんが異常だったのです」

「まぁそうだろうな」


 フェリベールは吸血鬼を見慣れていない人間の反応を思い出し、ダグラスの意見も一理あると理解した。

 マリアンヌも王女だけあって実力はある。

 普通の人間ならば、彼女を前にすれば顔が恐怖に歪むだろう。

 色目を使う余裕などないはずだ。


「しかしそうなると、そのカノンという男は命の危険がある状況で発情できる本物の異常性癖者だという事になるな」

「はい、彼は異常です」


 フェリベールが理解を示してくれたのを、ダグラスは見逃さなかった。

 彼の意見にすぐさま同調する。


「でも、あなたがマリーに首筋から血を吸うように要求した事には変わらないのでしょう?」


 しかし、ジョゼフィーヌが間髪を入れずに厳しい指摘をしてくる。

 ダグラスは一瞬言葉に詰まったが、これはまだ想定された質問だったので落ち着いて答える。


「それは私たちの国と、シルヴェニアの常識が変わっていた事が原因です。私たちは“ヴァンパイアの血の吸い方は首筋から”というのが共通の認識でした。だから首筋から血を吸ってもらっていたのです」


 これは事実である。

 もし知っていれば、マリアンヌに首筋を晒したりはしなかった。

 ジリアンの助言通り、ダグラスは事実をしっかりと語る。


「わかったあとも血を吸わせていたのよね?」


 だがジョゼフィーヌの追及は止まらなかった。

 鋭利な刃物の如く、ダグラスの反論を切り裂く。

 これにはダグラスも口ごもった。


(二度目以降は、マリーから求めてきたって言うわけにはいかないよな……)


 最初は飢えていて仕方なくといった様子だったが、次から彼女が求めてきていた。

 二人の様子を見る限り“ふしだらな娘だ!”と怒りかねない。

 そうなるとマリアンヌの身に危険が及ぶかもしれない。


 ――そして彼女だけではなく、その身に宿す子供にも。


 だからダグラスは下手な返答をできなかった。

 その口ごもった態度を、ジョゼフィーヌは観察していた。


「答えなさい」

「姫殿下のようなお方に身を委ねる歓喜に抗えませんでした。ですが子供ができるなどという事は存じませんでした。その事は信じていただきたいのです」


 マリアンヌがどうなるかわからないため、ダグラスは自分の責任だと認めた。

 彼女には家族がいる。

 だが、ダグラスにはいない。

 しかも彼女は子供を身籠っているのだ。

 ならば、どちらが犠牲になるべきかは明白である。

 

(これでいいんだ。マリーには、こんなに心配してくれる家族がいるんだから。できれば子供は助けてもらえると嬉しいな)


 二人の様子を見る限り“性行為に近いとわかっていながら血を吸わせていました”と答えれば殺されるだろう。

 マリアンヌならば殺されたりはしないだろうが、ダグラスは責任を彼女に押しつけたくはなかった。


(師匠。家庭は作れませんでしたが、子供は作れました。顔を見る事はできませんでしたが、これでも十分やったほうですよね)


 ダグラスは覚悟を決める。

 これまで死は恐ろしくなかった。

 だが“子供ができた”と聞くと、子供の姿も見ずに死ぬのが恐ろしくなり、恐怖のあまりに足が震える。

 それでも彼は“マリアンヌが求めてきた”という言葉を発する事はなく、黙って二人の反応が返ってくるのを待っていた。

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