第86話 最悪の印象 3
外が暗くなり始めた頃、ダグラスは食堂に呼び出された。
執事に案内されるが、すれ違う人から注目を浴びている事に気づく。
王宮で働く者だけあって露骨な視線を向けてはこないが、視界の隅にダグラスを捉えるように見ている。
ダグラスは、その視線に気づいていた。
気づいてはいたが、見るなとは言えない。
“王女を妊娠させた人間に興味を持つな”というのは無理だとわかっていたからだ。
ダグラスは気まずい時間を我慢してやり過ごす。
それに使用人たちの視線など気にしてはいられない。
今はマリアンヌの家族と顔を合わせるという問題に直面しているからだ。
第一印象が最悪だったため、どのような言葉を投げかけられるかわからない。
こういう時にどうすればいいかまでは師匠も教えてくれなかった。
不安でたまらなくなる。
「ダグラス様がお見えになりました」
「入れ」
“入れ”という言葉が死刑執行の合図のように、ダグラスには思えた。
だがここで怯えていては、なにも話が進まない。
「失礼致します」
恐れながらも部屋に足を踏み入れた。
そこである事に気づく。
(マリーがいない……)
いたのは彼女の両親と、その側近らしき者たちのみである。
ジリアンは別室で待機しているので、この場にダグラスの味方はいない。
完全に孤立無援の状態だった。
しかし、絶望はしない。
ダグラスも、モラン伯爵を倒してきたのだ。
マリアンヌのためにも、ここで挫けてはいられなかった。
テーブルに近づくと、マリアンヌの父が近づいてくる。
(確かフェリベール陛下だったか。失礼のないようにしないと)
「フェリベール陛下――」
失礼のないよう挨拶をしようとしていたが、フェリベールは違った。
ダグラスの前に立つと、触れそうになるくらい顔を近づけてきた。
とはいえ、キスをしようとしているわけでも、抱擁をしようとしているわけでもない。
殺意の籠った目で、ダグラスを睨みつけていた。
呼吸をしない吸血鬼でなければ、鼻息がかかりそうなくらい近くで。
(まるでチンピラのガンつけみたいだ……。でもそんなものに負けるわけにはいかない!)
吸血鬼の王の殺意はチビりそうになるほどの恐怖を覚えるものだった。
だが目を逸らしはしなかった。
怯えるように視線を逸らしては“情けない奴だ”と思われかねない。
それではマリアンヌにまで迷惑をかけてしまう。
恐怖で身を震わせながらも、視線だけは逸らさなかった。
「陛下、それくらいでよろしいのでは? 王としてあるまじきお姿をされておられますよ」
マリアンヌの母であるジョゼフィーヌが、フェリベールにやめるように言った。
しかし、それはダグラスのためではない。
王の面子や威厳を守るための進言だった。
フェリベールは今にも唾を吐きかけそうな表情をダグラスに見せたあと、元居た席に戻っていった。
そして顎で指図して、ダグラスに挨拶をするよう促す。
どうやら口を聞きたくないほど嫌われてしまっているようだと、ダグラスにもわかった。
「お初にお目にかかります。私はダグラスと申します。偉大なるシルヴェニアの両陛下と面会するという過分な栄誉を与えてくださり感謝しております」
ジリアンの話では、シルヴェニアでも人間の作法が通じるらしい。
だから精いっぱいの気持ちを籠めて対応する。
「どのような話を聞いているかは存じませんが、あまりよろしくない印象を与えてしまっているご様子。釈明の機会をいただけないでしょうか?」
まずは悪感情をどうにかせねばならない。
そのため、ダグラスは釈明の機会を求める。
その行為自体が不快に思われるかもしれないが、これは彼から動かねばならない問題でもある。
だから勇気を出して行動する。
「挨拶も交わす前から、いきなり『お父さん』と言ってくるような者がなにを否定しようというのだ」
フェリベールは明らかに不機嫌だった。
それもそのはず彼は“お父さん”という言葉を、これほどまでに不快に思う日がくるとは思わなかった。
「あれは私の失言でした。ですが、あれは『マリアンヌ殿下のお父さん』という意味であって、それ以上の深い意味などございません」
「では、私が『家族だけで話し合おう』と言った時に付いてこようとしたのは?」
「そちらは記憶にございません」
「そのような言い訳が通じると思っているのですか!」
フェリベールと比べて、比較的冷静だったジョゼフィーヌも怒りを露わにする。
ダグラスが低レベルな言い訳をしたからだ。
しかし、これに関してダグラスは政治家のような言い訳をした正当な理由があった。
「フェリベール陛下の力の籠ったお言葉で、一瞬意識を失ったからです。意識を取り戻した時、馬車から落ちそうだったので地面に降りただけなのです」
「むっ……」
ダグラスの釈明に、フェリベールが反応した。
彼はあの時、ダグラスが気を失って、すぐに意識を取り戻したのを確認している。
“ただのゴミではない”という感想を持っていた。
それは否定できない事実である。
この時フェリベールは、ダグラスの言葉を“そんな覚えはない”と否定する選択と“そうだったな”と認める選択があった。
「確かに私の怒号でふらついてはいたな」
――悩んだ末、彼が選んだのは認めるという選択肢であった。
これはダグラスを婿として認めたわけではない。
たかが人間如きに嘘をつくのは、吸血鬼の王としてのプライドが許さなかっただけだ。
それでも素直に認めるのは嫌だったのか、露骨なまでにしかめっ面をしている。
「そうでしたか。わざとではないという事ですね」
ジョゼフィーヌは、フェリベールが認めた事で少しだけ態度を軟化させる。
だが相手は国を亡ぼす“オレサマーK”と目される人間である。
まだ油断はできない。
「まぁいい、座れ」
「失礼致します」
フェリベールに着席を促された事で、ダグラスは一歩前進した事を実感する。
しかし、彼も油断はしない。
今はまだ誤解の一つを解いただけだ。
それも比較的小さなものを一つだけである。
最も大きいものをどうにかせねばならない。
――マリアンヌに強引に迫って妊娠させたという誤解を。
この時ばかりは“口先の達者なカノンに居てほしかった”と、ダグラスは思わざるを得なかった。
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