第85話 最悪の印象 2

「よりにもよって、あのような男に引っかかるとは! 初対面の私に向かって『お父さん』と言ってきたのだぞ! 人間かどうか以前の問題だ!」


 マリアンヌの父であるフェリベール・チューダー・シルヴェニアは激怒した。

 これは国王の面子や吸血鬼の誇りが関係しての怒りではない。

 それ以前の問題――父親としての怒りだった。


「そうよ、あの人間は『家族で話そう』と言ったら、自分も来ようとしていたじゃない。あんな厚かましい人間を初めて見たわ」


 マリアンヌの母、ジョゼフィーヌ・チューダー・シルヴェニアは困惑していた。

 この国の人間は基本的に従順な者ばかり。

 吸血鬼に対して、あそこまで厚かましい態度を取る者は初めてである。

 そのせいで今は怒りを通り越して戸惑っている。


「これまでそんな事はしてこなかったから、なにかの間違いだと思う」


 マリアンヌはダグラスを庇おうとする。

 しかし本人も“無理だろうな”とはわかってやっていた。

 先ほどの事は言い訳のしようがない。

 なぜ彼があんな行動に出たのか、彼女にも理解できなかった。


「間違っている? それはお前のほうだろう。ジリアンは包み隠そうとしていたが、どう聞いても奴はオレサマーKではないか! 王族がオレサマーKに関わると国を亡ぼすという言い伝えがある事を忘れたとは言わせんぞ!」

「それは……、覚えています」


 ――オレサマーK。


 その概念は吸血鬼という存在が生まれる以前からあったそうだ。

 オレサマーKという存在は男女関係なく様々な対立を生み、やがていくつかの国を滅ぼしたらしい。

 それがいつからか彼らの間に“オレサマーKは、その存在自体が国を亡ぼすきっかけとなる存在だ”という認識が広まっていった。

 オレサマーKとは、吸血鬼にとっておとぎ話に出てくるお化けのような存在でしかなかった。


 ――それが現れた。


 すでにマリアンヌがダグラスに篭絡されている。

 この状況に彼女の両親は危機感を抱いていた。


「でも彼は言い伝えほど恐ろしい存在じゃないの」

「ほら、もうダメだという事が一目でわかるではないか。お前があのような人間を庇うとは……。以前のマリーはどこに行った……」


 フェリベールが頭を抱え、静かに涙を流す。

 今だけは彼も国王という立場から離れ、一人の親となっていた。


「マリー、子供はおろしなさい」

「そんな!?」


 母の言葉に、マリアンヌは衝撃を受ける。

 だがこの言葉は言わねばならなかった。


「王女の子供でも人間とのハーフなんて、この国ではまともに生きていけないわ。おろしてあげるほうが子供のためになるのよ」

「いやよ! だったら人間の国で育てる! 私だって何カ月もあっちで暮らせていたんだから!」

「今はそう思えるだけよ。少し落ち着けば、人間の国で子供を育てる事など不可能だとわかります。初めての相手の子供だから大事にしたいと思っているのだろうけれど、それは愛ではありません。ただの執着でしかないのよ」


 ジョゼフィーヌは、マリアンヌに現実を教えようとする。

 そうする事で、ダグラスとの関係を切る一歩となってほしかったからだ。


「いや! 私は絶対にこの子を産むからね!」


 マリアンヌも当初は家族と“子供をどうしようか?”と相談するつもりだった。

 しかし、否定すればするほど彼女の心が燃え上がる。

 今ではダグラスとの子を絶対に産もうと決心しているくらいだ。

 これには二人も頭を抱える。


(マリーを護衛してくれた事は感謝するしかないが……。ただでは帰すわけにはいかんな)


 ――平民が王女に手を出した。


 その罪は重い。

 助けてくれた事に感謝はしているものの、それだけだ。

 なぜなら彼らは吸血鬼であり、王族なのだ。

 周囲の人々が助けられるのは当たり前という立場である。

 普通の人と違って、娘を助けられた事に対する感謝の重さも軽いものとなっていた。



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 ダグラスは、ジリアンから王族に関する説明を受けていた。


「――軽く説明したけれど疑問点はある?」

「そうですね……。ではなぜ一人しかいない王女を旅に出したのでしょうか?」


 マリアンヌは一人娘である。

 ダグラスの感覚でいえば、一人しかいない王女をわずかな護衛で旅に出させないはずだ。

 それがどうしても不思議だった。

 その質問に、ジリアンは溜息をつく。


「王族という事を差し引いても、マリーは人並み外れた魔力を持っていたのよ。従者などいなくても、一人旅でも十分だったくらいにね。……まさか突然魔法が使えなくなるなんて思わなかったわ」

「あぁ、あの日がなければというわけですか」


 その時、ダグラスはふともう一つの疑問が浮かんだ。


「ヴァンパイアはコウモリに変化する事ができるという話を聞いた事があるのですが……。今は使えないのですか?」

「そりゃあ……」


 ジリアンは、ハッとした表情を見せる。


「試した事がなかったわ。きっと他の人もそう。だって魔法がダメになったのなら、変化とかもダメになると思うじゃない? 命を懸けてまで変化できるかなんて冒険する人はいなかったはずよ。ブリーフ派の誰かに試させるのもいいかもしれないわね」


 彼女はダグラスの質問で、重要な事に気づいた。

 コウモリに変化しても異変が起きないのなら移動が楽になる。

 人間社会を学びにいった者たちとの接触もできるかもしれないのだ。

“どうせダメだ”という思考から抜け出せなかった。

 これは魔法を使えない時代で、大きな一歩となりそうな予感がしていた。


「この話を手土産にすれば、陛下の機嫌も少しは良くなるかもしれないわ」

「そうでしょうか?」

「そう――とは言い切れないわね。初の顔合わせから最悪だったものの。どうしてお父さんだなんて言ったの?」


 ジリアンは責めるような目でダグラスを見ていた。

 あれがなければ、もう少しマシな印象を持ってもらえていたはずだ。

 ダグラスの軽率さに呆れる。


「あれは……、王女殿下が妊娠していると聞いて驚いていたせいです。王女殿下のお父様・・・・・・・・という意味で話しかけようとしてしまいました。もちろん、普段であればちゃんと陛下・・とお呼びしていました」

「吸血鬼と人間の子供という驚きもあっただろうけれど、それ以前に自分の子供っていうのは驚いたでしょうね。……マリーもどうするか迷っていたから伝えそびれたのよ、きっと。今頃、陛下たちと言い合ってそうね」


 そしてジリアンは、マリアンヌの迂闊さにも呆れていた。

 同じ人間から血を吸い続けるのはかまわない。

 だが首筋から血を吸うのは致命的なミスだった。

 王女たる者にあるまじき行為である。

“どうせ、異常な状況下で非日常的な行為を楽しむ火遊びをしたのだろう”と思っていた。


「……そういえば、なんであなたはデミ・ヴァンパイアになっていないの? 子供ができる程度の回数は血を吸われているはずなのに?」


 マリアンヌの事を考えた時、ふと疑問に思った事を尋ねる。


「それはこの薬のおかげです。カノン・スズキという男からもらいました」

「あぁ、新世界の神になるとかいうおかしな男ね」


 ダグラスが懐から取り出した缶の中身を、ジリアンが確認する。

 白い軟膏があり、そこからはただの塗り薬からは感じられるはずのないものを感じられた。


「うさんくさい男だけど、実力は本物なのかもね。薬からは神力が感じられるわ。眷属化しないような魔法が籠められているのかもしれないわね。少なくとも、この薬ならば効果はあると思う」

「ええ、実際にこの状態ですし」

「……この薬の製法はわかる?」

「僕にはわかりません。手渡されたものなので」

「それは残念ね」


 そう答えながらも、ジリアンは残念そうにはしていなかった。

 彼女は“この薬を上手く使えば避妊具のようなものとして使えるかもしれない”と思っていたからだ。

 だが一時の快楽を得るために、薬を使ってまで首筋から吸血するのは褒められた行為ではない。

 しかし、他の使い道自体はいくらでもありそうだった。


「あなたと話していると気づかされる事が多いわね。腰を据えて話し合えば、きっと陛下たちもあなたに興味を持ってくれるんじゃないかしら」

「そうだといいのですが……」

「初印象が悪いからね。そこは努力でなんとかしなさい。マリーのためにも」

「はい」


 二人の話し合いは穏やかに進んでいた。

 ダグラスは“マリーの家族との話も、これくらい流れで進んでくれればいいのに”と願わずにはいられなかった。

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