第78話 ピキニパンツ派 VS ブリーフ派 6

 ダグラスは司祭たちが話していたような天国や地獄は確認できなかった。

 ただ真っ暗で、なに一つ音が聞こえないだけである。

 その暗闇に体が溶け込んでいくような感覚を覚える。


(師匠とは地獄で会えると思っていたけど、これじゃあ会えそうにないな)


 ダグラスはその事を寂しく思うが“地獄の責め苦を経験せずに済んだ事に安心するべきだろう”と思うと、少し気が楽になった。

 それにマリアンヌに血を吸われ、快感を味わいながら死を迎えるのだ。

 悔いは残るが、ただ野垂れ死ぬよりも、ずっと幸せだ。


 ダグラスの顔から生気が失われると、マリアンヌは彼から離れた。

 そして、モラン伯爵に睨みつける。


「よくもダグラスを!」

「よくも、とはこちらのセリフですよ。たかが人間に眷属を三人も殺されたのですから」


 吸血鬼にとって、半吸血鬼にするのは特別な人間のみである。

 半分だけとはいえ、同じ吸血鬼にするのだ。

 必要な存在だと認めた相手でなければ、半吸血鬼になどしない。

 ダグラスに殺された者たちも、モラン伯爵にとって重要であったり、大きな功績を残したりした者たちばかりだった。


「そのたかが人間・・・・・に殺されるほうが悪いのよ。人選が悪かったんじゃない?」

「戦いに秀でた者は前線に送っているのでね。それに強い者だけ眷属にするというわけでもないのですよ。まぁ、政治に関わった事のないお子様にはわからないでしょうがね」

「ブリーフ一枚のために同族を手にかけるなんてわかりたくないわね」

「わかりたくないのではなく、わからないのでしょう? 女だから・・・・


 女の吸血鬼は、ブリーフを履かない。

 過去にはブリーフと同じく綿を素材に使っていた時もあったようだが、今はシルクや革が一般的である。

“女はブリーフの履き心地がわからない”というのは、女性吸血鬼に対するマウント取りに使われる言葉だった。


「あら、吸水性のいいブリーフなんて履いているから、血を吸って走りづらそうじゃない。……あっ」


 だが、マリアンヌはそのような挑発には乗らない。

 ダグラスの体を地面に横たえると、彼女は屋敷に走り出した。


「なんだ……。あっ!?」


 モラン伯爵は思い出した。


 ――ブリーフが血塗れになる原因がなんだったのかを。


 マリアンヌが聖水の存在を思い出し、それを取りにいったのだと彼は判断する。

 そうはさせるかと彼女を追いかけた。


 しかし、それは違った。

 彼女は聖水が残っているかどうかなど知らない。

 ただダグラスのいる場所から少しでも引き離したかっただけだった。



 ----------



 苦しいほどに激しい喉の渇きをダグラスは覚えた。

 そのせいで薄れゆく意識が覚醒された。

 ダグラスは苦しみのあまり喉をかきむしる。

 その時、自分がまだ生きている事に気づいた。


(手が動く?)


 いくらダグラスが痛みを感じないとはいえ、失血による失神などはどうしようもない。

 なのに致命傷を負い、失血死寸前だったにもかかわらず、意識がはっきりとしている。

 それに体が重いどころか、むしろ軽い気がするくらいだ。

 自分の状況を、すぐには飲み込めなかった。


(それよりも喉が渇いた)


 ダグラスは無意識に腰へ手を伸ばす。

 いつも水筒を腰に下げていたからだ。

 だが腰に水筒はなかった。

 あるのは血の感触だけである。


 ――しかし血だとわかっていたのに、手を口へ運んでしまったのだ。


 これまでカノンからもらった食べ物とは比べものにならぬほど甘美な味わい。

 今までにも血が口に入る事はあったが、このような経験は初めてである。

 もう一度腰に手をあて、指をしゃぶる。


(死ぬ間際になってこんな経験をするとは。でもやめられない)


 どうせ血は大量に流れているのである。

 喉の渇きを癒すために傷口の辺りに手を当てる。

 ここでダグラスは異変に気づく。


 ――傷口が塞がっていくのを感じたからだ。


(俺の体になにが起きているんだ……)


 もしかしたら、マリアンヌが薬を振りまいてくれたのかもしれない。

 そう思いながら、彼は手を口に運んだ。

 しかし、今度は旨みを感じなかった。

 普通とは違うものの、血という範疇を越えない味だった。

 治りかけている腹周辺の血が悪いのだと思い、ダグラスは服に染みついた血をすする。

 こちらは最初の味だった。


(なんでだ? なぜ傷口と味が違うんだ?)


 そもそもなぜ血を味わうようになったのかという疑問もあるのだが、ダグラスの頭の中は“血がほしい”という思いで一杯だった。


 ――その時、直感的に強い気持ちが込み上げてくる。


(マリーが危ない!?)


 反射的に体を起こす。

 脇腹に開いていた穴を確認すると、内側から盛り上がって塞がり始めていた。

 よろけながら立ち上がると、屋敷のほうでマリアンヌとモラン伯爵が戦っていた。

 時折、屋敷の壁が崩れて、悲鳴が聞こえる。

 使用人たちの声だろう。


(行かないと)


 ――マリアンヌを助けなければならない。


 それはこれまで彼女に感じていたものとは違い、まるでそれが自分の使命であるかのように、絶対的なものとして考える前に体を動かす。

 ダグラスは武器を手に取り、音のするほうへ駆けだす。

“腹の傷から内臓がこぼれ落ちるかもしれない”という不安はなかった。

 それよりも、この場でジッとしているほうが不安だった。


 大怪我を負ったにもかかわらず、かつてないほど体が軽い。

 まるで怪我などしていなかったかのように走れる。

 しかも走るのも速くなっているようだった。


(マリー、マリー、マリー、マリー!)


 三十秒ほど走ればたどり着けるような距離でも、遥か地平線の彼方に感じられた。

 逸る気持ちを抑えきれず、折れてもかまわないという勢いで足を動かす。

 マリアンヌの姿を視界に捉えた。

 血を補給したからか、浴室の時とは違ってモラン伯爵に押し込まれてはいない。

 だが不利な状況である事は変わらなかった。

 この状況を変えるため、ダグラスはモラン伯爵に飛びかかる。


「貴様はっ!?」


 モラン伯爵は、ダグラスの飛び蹴りを腕でガードする。

 ダグラスの蹴りは、そのガードを弾き飛ばした。


「なんだと!?」


 その驚きはモラン伯爵だけではなく、マリアンヌも同感だった。

 ダグラスは身体能力だけならば純血の吸血鬼に匹敵する力を持っているようだ。

 元となる人間が、相応の力を持っていたという事だろう。


「デミ・ヴァンパイアになったとはいえありえん! 混ざり者ごときが!」


 モラン伯爵に言われて、今の自分の状態を知った。

 窓ガラスをチラリと見る。

 すると自分の目がある場所が赤く輝いているのがわかった。


「デミ・ヴァンパイアに……」


 生きとし生ける者にとって、吸血鬼のようなアンデッドは忌むべき存在である。

 だが、ダグラスは笑みを浮かべた。


「マリアンヌ様を助けられる力を得たって事か」


 その笑みはモラン伯爵に向けられていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る