第77話 ピキニパンツ派 VS ブリーフ派 5

「まずはここから外に出そう」


 ダグラスは、マリアンヌに耳打ちする。

 浴室は血塗れだ。

 聖水が洗い流されたのも、浴槽の血だまりのせいである。

 この場はマリアンヌにも有利であるが、二人で戦うならば場所を変えたほうがいいだろう。


「わかったわ。そうしましょう」


 マリアンヌも、その考えに賛同した。

 実力面ではモラン伯爵のほうが上である。

 傷をつけても、すぐに治されてはジリ貧になる。

 運よく致命傷を与えられた時に、それでは困る。

 チャンスを無駄にしないためにも、どこかに移動したほうがよかった。


「えっ」


 マリアンヌが突然ダグラスを抱き寄せた。

 そして、そのまま割れた窓から外に飛び出す。


「あなたたちの考えはよくわかったわ。この事は報告しておくわね」


 彼女は、モラン伯爵に向かって言い放つ。

 言われたモラン伯爵は、当然黙って見過ごすわけにはいかない。

 マリアンヌを追って、外へ飛び出してくる。


「行かせはせん!」

「そう、なら止めてみなさい」


 マリアンヌが走り出す。

 ダグラスはマリアンヌにお姫様だっこをされているので、振り落とされないように彼女の首に手を回していた。

 モラン伯爵が鬼の形相で追いかけてくる。


 ダグラスを抱いているマリアンヌの足では、いずれ追いつかれる。

 庭園の片隅でダグラスを降ろし、モラン伯爵を迎撃する準備をする。


「くるわよ!」


 当然、モラン伯爵は足を止めたりはしない。

 追いかけてきた勢いのまま、マリアンヌに殴りかかる。

 ダグラスは袖に隠していた針をモラン伯爵の顔に向けて飛ばす。

 先ほどの聖水の事もあるので、彼は本能的に目を閉じて顔を背ける。

 その一瞬の隙を見逃さず、マリアンヌは攻撃を受け流して、モラン伯爵の腹に一撃を加える。

 マリアンヌに殴られ、モラン伯爵は地面を転がる。


「くっ……、やってくれる! だがな、私とて一人ではないのだ! 」


 モラン伯爵の言葉は嘘ではなかった。

 屋敷のほうから二人、こちらへ走ってきている。

 速度から考えれば、おそらく吸血鬼か半吸血鬼だろう。

 浴室での戦闘音を聞いて、モラン伯爵の様子を見にきたようだ。


「ダグラス!」

「あぁ、わかってる!」


 ここは役割分担するしかない。

 マリアンヌがモラン伯爵を押さえている間、ダグラスが援軍を倒す。

 二対三の状況よりも、一対一と一対二の状況を作る事を選んだ。

 モラン伯爵は強い。

 だがマリアンヌも、時間を稼ぐだけなら自信はある。

 彼女はデミ・ヴァンパイアを倒したというダグラスの腕を信じる事にした。


 ダグラスは援軍のほうへ走る。

 彼らに近づいたところで、声をかけた。


「大変です! 姫殿下と伯爵閣下が喧嘩を始めました! 仲裁を手伝ってください!」


 その言葉を聞いて、援軍の二人は内心ニヤついた。

 マリアンヌの付き人は、まだ状況を理解していない。

 それならば、簡単に処理できる。

 横を走り抜けざまに、首を刎ね飛ばしてやろうと考えた。


 二人のうち、前を走る男の半吸血鬼がダグラスの命を狙う。

 だが、上手くはいかなかった。


 ――彼らの行動は、ダグラスによって誘導されたものだったからだ。


 半吸血鬼がダグラスの首を狙って腕を振る。

 しかし、そこにダグラスの首はなかった。

 ダグラスは腰を落とし、レプリカソードで心臓の高さに合わせて剣を振る。


「ぎゃあああぁぁぁ……」


 上下に真っ二つにされた半吸血鬼の体は、心臓が破壊されたため霧となって消えていく。

 彼の後方を走っていた女の半吸血鬼は、ダグラスの前で歩みを止める。


「貴様!」

「命のやり取りの最中だ。卑怯とは言うまいね?」


 言い終わる前に、ダグラスは切りかかる。

 彼が持つ剣が半吸血鬼の命を刈り取るに足る威力を持っている事がわかっているので、女の半吸血鬼は警戒する。


(これでもう打つ手はなしか。俺にやれるか?)


 今のでダグラスは、二人の半吸血鬼を倒した。

 だが両方とも不意打ちによるものだ。

 正面切っての戦いではないので不安がある。


(でも曲がりなりにも二人を倒せたんだ。魔法を使ってこない以上、デミ・ヴァンパイア相手なら戦える。マリーが時間を稼いでくれている間に片づけるしかない)


 しかし、挫けはしなかった。

 どこまでやれるかはわからないが、なにもせずに諦めるのは嫌だったからだ。

 二度、三度と切りかかる。

 レプリカソードのスイッチの強弱を使い、切りかかる時は刀身を長く、距離を取った時は短くする。

 そうする事で、剣の間合いを見切られにくくしていた。

 普通の剣ではできない戦い方である。


 女の半吸血鬼も戦い辛そうにしていた。

 だが、ただの人間相手に怯えているわけにはいかない。

 地面を蹴り、砂を舞い上がらせる。

 ダグラスは横に躱しながら、砂粒が入らぬように目を閉じてしまった。

 その隙を逃さず、吸血鬼が距離と詰めてくる。


 ダグラスは剣を振るう。

 半吸血鬼が剣を腕で止めようとしたので、刀身を縮める事により腕を空振りさせ、胸を突いた。

 半吸血鬼は苦悶の表情を見せる。

 しかし、すぐに笑みを浮かべた。


「モラン伯爵のために!」


 半吸血鬼は霧になりつつある体でダグラスを掴み、ぶつぶつと呪文を呟く。

 ボンという音と共に半吸血鬼の体は爆発四散した。

 彼女は自爆魔法を使ったわけではない。

 魔法の暴発を利用し、せめてダグラスを道連れにしようとして魔法を使ったのだ。

 その目論見は成功する。


「ぐあっ」


 ダグラスは痛みを感じない。

 それでも自分の体が危険だという事に本当的に気づいた。

 視界が半分になっている。

 右目が潰されたという事だろう。

 左の脇腹や、剣を持っていた右手も失われている。

 ダグラスの意思とは裏腹に、立っている事もできなくなった。

 地面に倒れ伏す。


「ダグラス!?」


 モラン伯爵と戦っていたマリアンヌの悲痛な叫びが聞こえる。

 彼女はモラン伯爵を蹴り飛ばして距離を取り、ダグラスのもとへ駆け寄った。


「マリー……」

「ダグラス、しっかりして!」

「血を……、飲んで……」


(血を飲んで頑張ってくれ)


 ダグラスは自分の意識が薄れていくのを感じていた。

 失血による意識の喪失、それに伴う死を覚悟する。

 しかし、ただ死ぬのではない。

 自分の血を飲み、マリアンヌがモラン伯爵と戦うか、逃げるかするための力をつけてほしいかった。


(師匠。普通の暮らしはできませんでしたが、他の誰かのために死ぬ事はできそうです)


 ――目立たぬ普通の暮らしをしろ。

 ――家族を作れ。

 ――誰かを殺すのではなく、誰かのために死ねる人生を送れ。


 師匠が残した言葉の一つだけしか達成できなかった。

 しかし、カノンやマリアンヌと出会ってからは、普通ではなくとも新鮮な経験をできた。

 その事に満足し、ダグラスは死を受け入れる。

 彼にとって死とは身近なものだ。

 恐れるものではない。

 恐れるものがあるとすれば、このあとの状況を確認できない事だろうか。


「ダグラス、あなた……」


 マリアンヌは悩んだ。

 しかし、ダグラスの決意を無駄にするわけにはいかない。

 彼女はダグラスの首筋に噛みついた。


「なんとハレンチな……。それが今の王族の本性か」


 追いついたモラン伯爵が、ダグラスの首筋に噛みつくマリアンヌの姿を見て愕然としていた。

 首筋からの吸血行為は愛の行為である。

 このような状況で行うものではなかったからだ。


(マリー……、君だけは生きて……)


 元々失血死寸前だったダグラスの意識が薄れていく。

 死が近づいてくるのを、静かに待っていた。

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