第76話 ピキニパンツ派 VS ブリーフ派 4

「これは血の風呂ブラッドバスというよりも、大惨事ブラッドバスっていう感じだな」


 メイドたちの血で汚れた浴室を確認しながら、ダグラスはモラン伯爵に話しかける。


「人間ごときがぁ! この私に傷をぉ!」


 モラン伯爵は怒り心頭だった。

 ダグラスの言葉を無視して、ナイフを引き抜き、握り潰した。


「こいよ。それとも人間が怖いか?」


 ダグラスは挑発する。

 当然、モラン伯爵は怖い。

 だが、彼の冷静さを失わせるために必要な行為だった。


「人間など恐れるかぁ!」


 モラン伯爵は挑発に乗ってくれた。

 やはり人間に舐められるのは許せないようだ。

 これはダグラスにとって好都合である。

 浴室内は血で濡れていて滑りそうだった。

 そこで戦うのは、ダグラスにとって不利。

 廊下側におびき寄せる必要があった。


 そしてもう一つ狙いがあった。

 モラン伯爵は激昂しながらも、その根底には常識がある。

 壁や天井を壊して接近してくるわけではない。

 真っ直ぐにこちらへ向かってくる。


 浴室の扉は大きいとはいえ、その範囲は限定される。

 その限定された範囲・・・・・・・というのが今は重要だった。

 吸血鬼も人間と変わらぬ二本足で走る以上、四足歩行する獣のように急激な方向転換は難しい。

 モラン伯爵が近づいてくる。

 そこでダグラスは、小瓶に入った液体を彼に向かってかけた。


「ぎぃえええあぁぁぁ!」


 モラン伯爵は激痛のあまり、足を滑らせて地面に倒れ込む。

 ダグラスは足元に転がってきた彼の体を飛んでかわす。


「なんだ、なんだこれは!? 体が腐る!!」

「神の聖水の一ヶ月ものだ。よく効くだろう?」


 ――神の聖水。


 これはカノンがくれた塗り薬と一緒に袋の中に入っていたものだ。

 それが聖水小便だと気づいた時、ダグラスはすぐに捨てようとした。

 しかし、吸血鬼の国に向かうのだ。

 効果の高い聖水は、一応貴重な武器となる。

 念のために持ってきていたのが役に立った。

 そして、この最初で最後の一撃を障害物で邪魔されないため、モラン伯爵を挑発したのだ。

 

 ――怒りで直線的な行動を取らせる。


 一本しかない聖水を無駄にしないため、自分の身を危険に晒したのだ。

 その狙いは成功した。

 ナイフであればかわせただろうが、広範囲に広がる液体はかわしきれない。

 しかも吸血鬼は露出が多いため、服で防ぐ事もできない。

 モラン伯爵は聖水の半分ほどを浴びる事となった。


 彼の肌が焼けただれていく。

 かけられたものがものだけに“腐るという表現は正しい”とダグラスは思っていた。

 しかし、黙ってみている状況ではない。

 すぐさまレプリカソードで、心臓を狙って突こうとする。


 ――だが、それはモラン伯爵の手によって止められた。


 刃を逸らしたり、ダグラスの腕を掴んだというわけではない。

 文字通り、手を犠牲にして刃を止めたのだ。

 そのまま手を横に払う。

 ダグラスは、その勢いに負けてよろけてしまう。


 モラン伯爵は手を切り裂かれたが、心臓は無事だった。

 だが、他の部分は無事とは言い難い状態である。


「ぬあああぁぁぁ!」


 吸血鬼が持つ再生能力も、神が作りだした聖水の前では無力である。

 聖水のかかったところから体を腐食させていく。

 まるで強酸を浴びたかのような状態だった。

 苦痛で暴れ回る。


 ダグラスはただの人間である。

 振り回している腕に当たるだけでも致命傷を負いかねない。

 うかつに近づく事はできなかった。


 やがてモラン伯爵は、ある事に気づいた。

 急いで浴室に入り、浴槽に飛び込む。


「あっ!」


 浴槽の中には、まだ血が残っていた。

 そこで回復するつもりだろう。

 血まみれの浴室は足場が悪いが仕方ない。

 慌ててダグラスは追撃を行おうとする。 

 浴槽内に剣を突き入れる。


 だが、ダメだった。

 またしてもモラン伯爵の手によって止められる。


 ――今度は刀身を掴まれていた。


 モラン伯爵の体は、悔しさで震えていた。

 人間ごときに傷を負わされた事が、なによりも悔しかった。

 そして、みっともなく取り乱してしまった自分がなによりも許せなかった。

 怒りが頂点を過ぎ、かえって冷静になり始めていた。


「よくも、よくも……」


 危険を感じてダグラスは距離を取ろうとするが、剣がびくともしない。

 スイッチを操作して刀身を消して距離を取る。


 浴槽から立ち上がったモラン伯爵は、聖水がかかった部位は溶けたままで治っていなかった。

 あれほど端正だった顔も半分が溶け、醜くなっていた。

 やはりブリーフ以外は裸というのは大きな弱点だったらしい。

 そんな状態でも、血を吸った重みでずり下がりそうになっているブリーフを元に戻す事は忘れていない。


(まずいな。聖水でどうにかできると思っていたけど、やはりゾンビとは違ったか)


 血で聖水を洗い流されたこの状況は、ダグラスにとって危険なものだった。

 正直なところ、聖水でモラン伯爵を倒せなければ、もう打つ手がない。

 レプリカソードで傷はつけられるかもしれない。

 だが問題はどう傷つけるかだ。

 ダグラスができるのは不意を突く事だけで、正面切っての戦闘には自信がない。

 吸血鬼の身体能力で押し切られるだろう。


「助かったわ。彼を相手にどれくらいやれる自信がある?」


 マリアンヌが、ダグラスとモラン伯爵の間に割って入る。

 そう、まだ彼女がいた。

 ダグラスは一人ではないのだ。


「聖銀の武器があるから、胸を刺せば倒せるとは思う。ただ、ヴァンパイアの身体能力を相手にどこまでやれるかはわからない」

「そう、わかったわ。なら私が動きを止めるから、あなたが援護して」


 役割分担である。

 同じ吸血鬼であるマリアンヌがモラン伯爵の動きを止め、ダグラスが支援をする。

 場合によっては、トドメもダグラスが刺す事になるだろう。


「わかった、やろう」


 マリアンヌも態勢を立て直す事ができた。

 一人では倒せない相手でも、二人でなら倒せるかもしれない。

 二人はモラン伯爵と対峙する。

 これが二人の初めての共同作業となる。

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