第72話 シルヴェニアの国境 5
夜は吸血鬼の時間である。
マリアンヌも例外ではなく、ダグラスはこれまで話し相手を務めてきた。
それは今も続いている。
彼女の用意された部屋に呼び出され、二人っきりになる。
それはそれで“夜の相手まで務めるのか”と、また嫉妬される事になった。
しかし、二人はそのような関係ではない。
マリアンヌがダグラスを呼び出したのも、普通に話をするためだった。
「さっきは助かったわ。首筋を差し出されたら困っていたもの」
「首筋から血を吸うという行為の意味は、カノンさんが説明してくれていたからね。さすがにシルヴェニアの人の前ではダメだろうと思ったんだ。マリーの正体とか、シルヴェニアの風習とかを教えてくれていてもよかったのに……。おかげで“マリー”ってみんなの前で呼んだ時、殺されるんじゃないかと思ったよ」
「そういえば、そうなったかもしれないわね」
マリアンヌがフフッと笑う。
ダグラスが“姫殿下”と呼んだ理由が、場の雰囲気を読んだからだったとわかったからだ。
「笑い事じゃないよ。嫉妬の目で見られるなんて慣れてないし怖かったんだからさ。注意点くらいは教えてくれないと困るんだけど」
「そうは言われても、私が気を使わないといけない事なんてないからわからないわよ」
「あぁ、そうか。マリーはお姫様だったんだよね……」
(だったらわかるわけないか……)
――マリアンヌの正体が王女様。
だとしたら、下々の気持ちがわかるはずがない。
なぜなら彼女が気を使われる側だからだ。
仕えられるのが当たり前で、シルヴェニアのデミ・ヴァンパイアや人間の事などわからないだろう。
ここにきて、
彼女から詳しく聞く事はできないだろう。
ダグラスは溜息を吐く。
すると、それを見たマリアンヌがムッとする。
「仕方ないでしょう! そもそも外部の人間社会とかを学ぼうとしている時に世界がおかしくなっちゃったんだから! 私たちを不快にさせるような事をしなければいいのよ!」
「マリーを責めているわけじゃないよ。種族以外にも、これだけ大きな身分の違いがあったんだなーって思っただけだから」
声を荒らげたマリアンヌに対し、すぐさまダグラスはなだめようとする。
「平民同士でも、国が違えば考え方も違うしね。その考え方の違いが争いを生む。シルヴェニアにいるなら、知っておかなきゃいけない事がたくさんありそうだね」
「それは頑張りなさい。ところで――」
マリアンヌがダグラスの手を取った。
「手は大丈夫なようね。普通はあんなにザックリと切ったりしないわよ。加減がわからないなら誰かに切らせなさい」
「カノンさんがくれた薬が効いているからね。出血して失われた血液も補充されているようだし、何度吸われてもヴァンパイア化しないとか、効果がありすぎて怖くなるくらいだよ」
「神の薬っていうのは凄いのよね。あの人が神だと素直に認めたくないけど。でも疲れまでは取れないのよね?」
「そうだね」
ダグラスの答えを聞いて、マリアンヌは悩む。
しばらく考えてから、彼女は答えを出した。
「今日はもう寝ていいわよ。私は状況の確認をしないといけないからね」
――ダグラスの負担を減らす。
彼女も人間が眠らないとダメだという事は知っている。
それでもダグラスと話をしていたのは、みんなが寝てしまって自分一人だけ起きているのは寂しかったからだ。
しかし、その役目も終わった。
ここには半吸血鬼のピエールもいれば兵士たちもいる。
暇潰しの相手には困らない。
それに状況の確認をするというのも本当の事だ。
“ダグラスのためだけではない”と自分に言い聞かせる。
「じゃあ、そうさせてもらおうかな。シルヴェニアの情報で僕が知ったらダメなものもあるだろうし」
ダグラスは貴族に仕えていた事から、情報の扱いもわきまえている。
分不相応の情報を知ったせいで殺されてしまったという話もよく聞いていた。
だから、あっさり引き下がった。
だが、それはそれでマリアンヌはどこか気に入らなかった。
素直に言う事を聞いてくれた事は喜ばしい事なのに、どこかモヤモヤとしたものを感じてしまっていた。
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翌日、ダグラスたちは砦を出発する。
今度は、シルヴェニアの騎士たちによる護衛付きである。
これまで敵だと思っていた者に護衛される事に、ダグラスは不思議な気持ちになっていた。
街道沿いには小さな砦がいくつもあり、そこで休憩をしていると、ダグラスは歓迎を受ける。
「外の人間なのに、高貴なるお方を助けるとはわかっているじゃないか!」
シルヴェニアの人間は“外部の人間は吸血鬼を殺そうとする”と教えられていた。
その反動で、彼らはダグラスの事を熱烈に歓迎した。
――帰還が絶望的だと思われていた吸血鬼を連れ帰ってきた。
――それも王女マリアンヌを。
ファーストコンタクトの反省を活かし、ダグラスは同じ失敗を繰り返さなかった。
彼らが好みそうな謙虚な英雄像を演じて応えてやる。
これくらいは潜入作戦に比べればまだやりやすかった。
国境付近から離れると、家が散見するようになった。
昨夜のうちに知らせを受けたのだろう。
そこでも農民がダグラスを――正確にはマリアンヌの帰還を――祝うために集まっていた。
「姫様ー、お帰りなさい!」
「従者様、私が作った野菜を食べてください!」
「私の血を捧げさせてください!」
ここで大人と若者で大きな違いがある事にダグラスは気づく。
三十歳前後と思われる者の肌は日焼けしているが、二十歳未満の子供たちの肌は白い。
人間の数を維持しないといけないので、一定の年齢がきたら食用ではなく、結婚させて繁殖用となるのだろう。
これがモラン伯爵の方針か、国の方針かまではわからないが、子供が働かずとも生きていける程度には豊かなのだという事が見て取れた。
道を塞ぐ群衆の前に、護衛の騎士が馬を歩かせる。
「さがれ、さがれ! 姫殿下を伯爵閣下のところにお連れせねばならんのだ! 伯爵閣下も到着を待たれておられるだろう。閣下を待たせるつもりか!」
騎士の言葉を聞いて、民衆は素直に道を開けた。
それだけモラン伯爵が慕われているのだろう。
同じ伯爵でも、ユベールの元上司とは大違いだ。
「従者殿、申し訳ない。だが、それだけ彼らも喜んでいるのだ」
「歓迎されて嫌な気持ちにはならないので謝らないでください」
ダグラスは笑顔を返した。
この反応ならば、もしシルヴェニアに住む事になっても住み心地は良いものになるだろう。
クローラ帝国に帰るにしても、道中で闇討ちをされたりはしないはずだ。
歓迎する分には困りはしなかった。
道中で何度か同じようなやり取りを繰り返し、ダグラスはモラン伯爵が収める領都に到着した。
日が暮れかけているので、吸血鬼にはちょうどいい時間だろう。
騎士に先導されて街に入ると、今まで知った街並みとさほど変わりはなかった。
人が住む以上、どこでも街並みが大きく変わる事はないのだろう。
街中で道を塞がれる事はなかったが、それでも道沿いに見物人が集まり、祝いの言葉をかけてくる。
反応に困ったが、ダグラスは軽く会釈したり、手を振ったりして応えてやる。
手が疲れてきた頃、モラン伯爵の住処であろう城に到着する。
どことなく城の雰囲気が暗く、おどろおどろしいものに見えるのはダグラスの偏見だろうか。
門をくぐり、屋根に覆われた長い通路の中を通る。
――そこでダグラスは寒気が走った。
馬が怯えるかと思ったが、歩みを止める事はなかった。
普通に歩く馬を見て、騎士がダグラスに話しかける。
「さすがは姫殿下を載せている馬だ。モラン伯爵の威圧感にも動じていない。従者殿も問題ないようだな。私など、近づくだけで手が震えるというのに」
「いえ、僕も寒気がしていますよ」
「そうか、姫殿下にお仕えしているとはいえ、やはり人間なんだな」
話しているうちにも寒気は増していく。
ダグラスは、その元凶を視界に捉えた。
(あれがモラン伯爵か)
――ランプの明かりで映し出された、ブリーフ一枚で立っている男。
どうやら、伯爵自らが出迎えにきているらしい。
彼の事はマリアンヌに任せ、自分は余計な事を言わぬよう口を閉じていようと、ダグラスは肝に銘じる。
ピエールは下着一枚ではなかった。
ブリーフ一枚という事は、実力に自信があるという事。
相応に強いのだろう。
ダグラスでは対応しきれないので、関わり合いにだけはならないでおこうと心に決める。
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