第71話 シルヴェニアの国境 4

 まずはダグラスの食事は、兵士用の食堂で取る事になったが――


「えっ、これが夕食ですか?」


 ――その食事を見てダグラスが驚いていた。


「そうだ。不満かもしれないが、ここは国境だからな。質にこだわっている余裕はない。量はあるからおかわりは好きに食べていいぞ」

「いや、十分でしょう……」


 兵士用の食事は、想像よりも立派なものだった。

 主菜の肉料理にスープとサラダがついている。

 パンも焼きたてのように思える。

 これはダグラスが知る兵士用の食事とは大違いだった。

 今まで見てきた兵士用の食事は量はあるものの、肉の欠片が浮いた野菜や豆のスープなどである。

 パンもふっくらとはしていなかった。

 だから、これは特別なものだとダグラスは思った。


「あぁ、なるほど。客人用のメニューですか?」


 彼の言葉に、案内を任されている兵士が首をかしげる。


「いつものメニューだが?」


 さも当然のように答える。

 ダグラスは周囲を見回す。

 食事をしている他の兵士たちも、特に喜んでいる様子はなかった。

 まるでこれが当たり前かのように食べていた。


「本当に、これがいつものメニューなんですか?」

「あぁ、そうだ。そっちでは当たり前じゃないのか?」


 ダグラスが逆に質問されてしまう。


「……これくらいの食事を毎日食べられるのは貴族か隊長クラスでしょう。兵士ならばパンとスープくらいですね」

「ええっ!? それで足りるのか? 体力勝負の兵士にそんな食事をさせているとか、為政者はなにをしているんだ?」


 兵士に驚かれてしまった。

 ダグラスは関係ないのに、まるで自分の事のように恥ずかしくなる。


「こちらの食糧事情はいいようですね」

「ああ、すべて高貴なる方々のおかげだ」


 兵士が祈りを捧げる。

 だが、それは神にではなさそうだ。


「高貴なる方々が血を吸うのは知っているな? 我々にはわからんが、血にも味の違いがあるようだ」

「それは知っています」


 マリアンヌも“ダグラスの血には複雑な味わいがある”と言っていた。

 血にも個人差があるのだろう。


「だから高貴なる方々は、より良い血を求めておられる。例えばこの地を納めるモラン伯爵閣下は、生まれてから労働をしておらぬ者の血を好まれる。だが働く者が少なければ、十分な食料を作る事ができん。だから閣下自ら夜のうちに畑を耕したりしているのだ」

「ヴァンパイアが人間のために働いているというのですか!?」


 この国にきてから常識が違うと感じていたが、これには特に大きなカルチャーショックを受けていた。

“人間を家畜扱いしている”という噂は聞いていた。

 自分好みの血の味を作りだそうと、色々試しているので、ある意味ではその噂は正しいだろう。

 だがダグラスは、もっと凄惨な扱いを受けていると思っていた。

 まさか吸血鬼が人間のために働いているなど、誰が想像できようか。

 兵士は得意げな表情を見せる。


「その様子だと、そちらでは違うようだな。どうだ、高貴なる方々は素晴らしいだろう? あと外部の者だから仕方ないが、ヴァンパイアと呼ばないでくれ。お前は姫殿下の事もだが、名前は元より種族の名前を呼ぶ事すら恐れ多い行為だ。まだこの国にいるつもりなら、この国のやり方を学ぶといい」

「それもそうですね。マリ――、姫殿下は名前で呼ぶ事を許してくれましたが、それは人間の国だったからでしょう。シルヴェニアでは、姫殿下や高貴なるお方といった呼び方でいいのでしょうか?」

「それで大丈夫だ。それにしても、姫殿下がお前を王都まで連れていくつもりとは……。よほど気に入られたようだな」

「たまたまですよ」


 ダグラスは謙遜するが、兵士は信じなかった。


「出会ったのは偶然だろうが、気に入られたのは偶然じゃない。王族は天然ものを好むらしいからな。お前の血の味を気に入ったんだろう。本当に凄い巡り合わせだよな。お前が羨ましいよ」

「本当にたまたまなんですけどね」


(もし首から血を吸えと言ったと知られたら殺されそうだな)


 シルヴェニアの人間は、吸血鬼に大事にされている。

 御恩と奉公という考えは人間の国にもあったが、この国ではその御恩が大きいようだ

 吸血鬼は単純に力も強いし、これまでは魔法で様々な事ができていたはず。

 それだけ忠誠も強いのだろう。

 ダグラスは“マリーとの出会いを知られたら、まず生きて帰れない”と思った。



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 ダグラスの食事が終わると、次はマリアンヌの食事である。

 彼女はダグラスがいないうちに、ピエールたちからシルヴェニアの状況を聞いていた。

 表情がかんばしくないので、あまりいい状況ではないのだろう。


「そろそろ食事に致しましょう。この砦にいる者の中では選りすぐりですが、さすがに姫殿下のお眼鏡にかなう者はいないと思います。お口に合わぬものを飲ませる事なってしまい、心苦しいのですが……」


 ピエールは、申し訳なさそうに言った。

 デミ・ヴァンパイアの彼が一級品の人間を持っているはずもなく、マリアンヌの食事に満足なものを用意できないからだ。

 彼女は用意された食事候補の匂いを嗅ぐ。


「そうね……。ダグラスを呼んできなさい」


 マリアンヌは、ダグラスを呼んでこいと命じる。

 食事候補だった者たちは、ガッカリして肩を落とす。

 王族に血を捧げられる機会などまずない。

 そのチャンスをものにできなかったからだ。

 彼らは自分の体に流れる血を恨んだ。


 しばらくしてダグラスがやってくる。

 彼は“食事のため”という話を聞いていたので、部屋に入ってすぐに状況を理解した。


「ダグラス、あなたの血を用意して」


 マリアンヌは、テーブルに置かれたデキャンタに視線を向ける。

 それに血を注げという意味だ。

 この時、彼女は後悔していた。


(いつも首筋から血を吸っていたからって、ここでも服をはだけないでよね。ちゃんとデキャンタに血を注ぐものだとわかってくれるかしら……。やっぱり、用意された食事で今日は済ませるべきだったかも)


 もしダグラスが“はい、どうぞ”と首筋を差し出してきたら大問題である。

 しかし、彼の血に慣れたマリアンヌは、普通の血では満足できなくなっていた。

 彼の血は特別な味わいがあるからだ。


 ダグラスも貴族に仕えていたので、最低限空気は読める。

 先ほどまでの周囲の反応を見れば、首を差し出す事などできないとわかっていた。

 マリアンヌの視線は、デキャンタに血を注げという意味だろうと察していた。

 用意されていたナイフを手に取ると、手首の動脈を切る。


「なんと豪胆な!」


 血を注ぐ加減がわからないため、かなりザックリといってしまった。

 ピエールが驚いたため、やり過ぎだったのかもしれない。


「あれだけ切っておきながら眉一つ動かさないだと! 姫殿下に選ばれるだけあって、血を捧げるのにあそこまで躊躇しない者

だったとは!」


 どうやら痛みに反応しないのが高評価だったようだ。

 痛みを感じないのは本来欠点ではあるが、今回はそれが功を奏した。

 部屋の中にいた者たちから敬意混じりの視線を向けられる。


「それくらいでいいわよ」


 加減がわからないダグラスのため、マリアンヌが止めるタイミングを教えた。

 ダグラスは用意されていた薬を塗って止血する。


「あなたも少し飲んでみるといいわ。そうすれば、私が彼を連れ歩いている意味がわかるでしょう」

「よろしいのですか! 姫殿下のお気に入りを下賜していただけるなど光栄の極み! 生涯、忘れません!」


 ピエールは素直に喜んだ。

 漂ってくる血の香りも気になっていたが、それ以上にマリアンヌのお気に入りの血をわけてもらえる事が嬉しかった。

 しかも本来、デミ・ヴァンパイアになど回ってこない天然ものの名血である。

 涙を浮かべ、マリアンヌに感謝の意を示す。


 まずは使用人の手によって、ワイングラスに血が少量注がれる。

 ピエールはワイングラスを軽く回し、香りを楽しんでから、一口飲む。

 すると、彼は目を大きく見開いた。


「なんと濃厚な! しかもあっさりとしながらも、数多くの血が混ざり合ったかのような濃厚な味わい! モラン伯爵から賜った、六十年物の処女の生き血よりも深く濃厚でコクがある! これが姫殿下のお眼鏡に叶ったというのも納得できますな!」


 彼はまた一口含むと、じっくりと味わう。

 やはり、彼が飲んできた血とは比べものにならないほど味わい深い。

 働かさずに育てた養殖物も、それはそれで美味いものだったが、この天然物とは比べるまでもない。

 マリアンヌからの下賜品というだけではなく、血の美味さから涙がこぼれ落ちそうになっていた。


「わかってくれたかしら」

「彼を特別扱いするのもわかります。いったい、どのような育て方をすれば、これほどまでの味になるのか……。もしくよければ、書物としてまとめてくださると嬉しいですね。この者の育て方はシルヴェニア全土に知ってもらうべきです!」


 ピエールの言葉には熱意が籠っていた。

 それだけダグラスの血を気にいったのだろう。

 ダグラスとしては“血を認められても……”と複雑な気分だった。


 しかし、それも悪くない。

 彼が絶賛すればするほど、周囲の人間に敬意に満ちた目で見られるようになっていったからだ。

 この国の基準は、吸血鬼が中心となっているらしい。

 血の味がいい者は嫉妬ではなく、尊敬の対象になるようだ。

 だから、吸血鬼に絶賛される血の持ち主であるダグラスも、尊敬の目で見られるようになっていた。

“意外とこの国でやっていけるかもしれない”と考えれば、ダグラスにとって悪い事ではなさそうだった。

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