第70話 シルヴェニアの国境 3

 ダグラスはマリアンヌと別れ、客室へ案内された。

 客室といっても、最前線の砦である。

 小奇麗な個室だというだけだ。

 馬の世話などは兵士がやってくれる事になっていた。


 彼は客室で待っている間に武装を整える。

 ここは吸血鬼の国だ。

 先ほどの兵士たちの反応を見る限り、これまでの常識は通じない。

 万が一に備えておかねばならなかった。

 最も重要である聖水を用意しておかねばならないのだが、ダグラスはどうしてもためらってしまう。


 ――ゼランのホテルで、カノンが聖水を振りまいた場面を鮮明に覚えているからだ。


 聖水が小便だったとは知らなかった。

 今まで使った聖水は臭いもなにもなかったので、神官が魔力を籠めたものだと思っていた。

 だがその認識は間違いだった。

 命に関わる時は仕方ないが、好き好んで持ち歩きたいものではなくなっていた。


(まだデミ・ヴァンパイアだけでよかった。あとは普通の人間なら対処は可能だ)


 普通の吸血鬼とは違い、半吸血鬼ならば銀製の武器で負傷させられる。

 魔法が使えない今、多少強い人間に過ぎない。

 愛用のダガーの代わりに、銀製のナイフを身に着ける。


(思えば、あいつと出会ってから武器を使ったのはゾンビ相手だけだな。……でも平凡な暮らしができたと喜べないのはなぜなんだろう)


 カノンと出会って以来、ダグラスが戦ったのは野盗とゾンビだけである。

 そして武器を使ったのはゾンビだけだ。

 昔と比べれば穏やかな生活ではあるが、ダグラスは喜べなかった。

 むしろ疲れる生活だった

 命の危険を感じるこの場所のほうが落ち着く気がしていた。


「姫殿下がお呼びです」


 ノックと共に、用件が伝えられる。


「わかりました」


 袖口の仕込み針などを確認したあと、ダグラスは扉を開ける。

 険しい表情をした兵士が待っていた。


「ご案内します」


 兵士は愛想のない声で歩きだす。

 ダグラスは彼についていった。

 しかし、気になる事もあった。


「どうしてそこまで敵意を剥き出しにするんですか? 僕はなにもしていませんけど」

「なにもしていない?」


 その声には怒りが籠められていた。


「事情がわからないので説明してくださいよ。一方的に怒りをぶつけられるのは正直不愉快です」


 ダグラスは言い返した。

 兵士一人くらいなら、まだどうにでもできる。

 大勢集まったところで襲いかかられるほうが恐ろしい。

 今のうちに疑問点を解消しておくべきだと思い、一歩踏み込んだ質問をする。

 兵士は足を止め、ダグラスのほうに振り返った。


「主上の付き人という栄誉を一人占めしておきながら、本当にわからないと?」

「ただの成り行きですが」


 殺意まで籠められた視線を向けられたが、ダグラスには慣れた視線だ。

 軽く受け流して、成り行きだと説明する。

 だが、今度は兵士が泣き出した。


「ただの成り行き? 声をかけられるどころか、お世話をさせていただけるなんていう幸運を、そんな一言で済ませるつもりですか? 私などお役に立ちたいと思っていても機会すらないのに」


 どうやら吸血鬼の役に立つのが、この国の人間にとっての幸せらしい。

 ダグラスは“神になる男”の世話をしていても、まったく嬉しくなかった。

 なので、彼らの考えに共感できなかった。

“しかし生まれてから、ずっと洗脳されてきている”と思えば理解はできる。

 吸血鬼が人間を扱いやすいように教育しているのだろう。

 そう考えれば、まだ彼らの考えも理解しやすかった。


 ダグラスは“騙されているよ”とは教えなかった。

 洗脳されている者に言っても聞く耳を持たないし、ダグラスは彼らをここから救い出す術を持たない。

 騙されたままでいるほうが彼らにとって幸せだろうと思ったからだ。


「知らなかったとはいえ、すみませんでした。この国ではヴァンパイアの方々は、それだけ尊敬されているのですね」

「そうです! 吸血の対象に選ばれなかった私は、おそばで仕える事すらできないんです! しかも姫殿下のお相手など想像もできない!」

「そこはまぁ、出会ったのは本当に偶然なので……」


 兵士の圧倒的な熱意に対し、ダグラスの反応は冷ややかなものだった。

 しかし、心中は穏やかではない。


(もし、マリーに首筋から血を吸われていると知られたらどうなるんだろうか……)


 ――すべてのシルヴェニア国民に命を狙われるかもしれない。


 これだけ吸血鬼に対する忠誠心があるのだ。

 ただの人間が、首筋から血を吸われていると知ったらどのような反応をするかわからない。

 しかも“飢え死にするか、首筋から血を吸うかと脅迫した”と知られたら、非常に危険な気がする。

 もしマリアンヌが一言でも漏らせば、ダグラスは国家の敵となるだろう。

 吸血鬼の国・・・・・にきたというだけでも危険なのに、違う方向からも危険が迫ってきていた。


「ですが国外の人間が姫殿下を救ってくださったという事には感謝しております。ですからかろうじて危害を加えようとするものはいないでしょう」

「それはよかったです」


かろうじて・・・・・か。下手な一言で刺激しないように気をつけないと)


 ダグラスは“マリアンヌ様を助けてくださってありがとうございます”と歓迎されると思っていた。

 幸先の悪い出だしに、少しうんざりとしていた。



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 通されたのは応接室で、そこではマリアンヌとピエールが話し合っていた。


「モランの街まで馬車で半日ほど。すぐに出発なさいますか?」

「早めに無事を知らせたいけれど……。ダグラスはどう思う?」


 マリアンヌに話を振られ、同時に周囲の視線を集めるダグラス。

 彼としては話を振られても困るところだったが、素直に状況を報告する事にした。


「僕は大丈夫です。ただ馬は休ませないといけません」

「そうね、じゃあ一晩ここに泊まろうかしら」

「姫殿下、私にご用命ください。馬も馬車も、あのみすぼらしいものより上等なものをご用意させていただきます」


 ピエールの言葉は、マリアンヌに“早く出ていけ”という意味ではない。

 人間とその飼い馬のために、マリアンヌの行動が制限される事が気に入らなかっただけである。

 そして、彼女のために役立ちたいと思っただけでもあった。

 このやり取りは、ダグラスが以前から持っていた疑問を投げかけるきっかけとなった。


「これから先も僕がついていってもいいのでしょうか?」

「当然でしょう。カノンは会わせたくないけれど、あなたは家族に会わせておかないといけないんだから」


 ――家族に会わせないといけない。


 その部分を言葉にする時、マリアンヌは少しだけ恥じらいを見せた。

 その姿は、ピエールたちに怒りを通り越して絶望を与えていた。

“なんでこんな若造がそこまで厚遇されるのだ”と思うと、自然と涙がこぼれてしまう。

 彼らと同じくダグラスも絶望していた。

 しかしそれは死を覚悟してのものである。


(ヴァンパイアの王に、マリーに要求した事を知られたら……。俺は死ぬだろうな……)


 あれほど“できれば一緒に行きたい”と思っていたというのに、今はこの場から逃げ出したくなっていた。

 ただの下っ端ですら、これほどの反応を見せているのだ。

 家族ならば、もっと強い感情を見せるだろう。

 しかし、ここから逃げても一生後悔し続けるような気がしていた。


 ――進むも地獄、退くも地獄。


 どちらがマシな地獄か。

 ダグラスは人生の岐路に立っていた。

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