第69話 シルヴェニアの国境 2
砦の門が開かれると兵士たちが現れた。
(人間を大事にしているっていうのは本当なんだな)
これまでダグラスが聞いてきた噂だと、幽鬼の如くやつれているイメージだった。
しかし彼らは血色がよく、体つきもしっかりとしている屈強な男ばかり。
吸血鬼に奴隷や家畜扱いされてはいても、虐げられてはいないようだ。
こういったものは実際に見てみないとわからないものだと思い知らされる。
だが“神は清廉な人物ではない”などという真実の姿までは実際に見たくもなかったが。
「入れ」
兵士はぶっきらぼうに言った。
やはり警戒しているのだろう。
“マリアンヌを連れてきた”と伝えたにもかかわらず、好意的な反応ではなかった。
それも当然かと思い、ダグラスは馬をゆっくり歩かせる。
先導に従って進んでいくと、長く暗い通路に連れていかれた。
ダグラスは警戒する。
暗闇に連れていかれて襲われるかもしれない可能性を考えたからだ。
しかし、すぐにこの通路の意味に気づいた。
(日中でもヴァンパイアが本館の中に入るために、日差しの入らないロータリーが用意されているのかもしれないな)
日焼け止めクリームのおかげで忘れがちだが、吸血鬼は日差しに弱い。
シルヴェニアの建物は、彼らのための作りになっているのだろう。
ダグラスを殺すつもりであれば、外にいた時に弓でも射かければよかったのだ。
わざわざ内部で殺す必要などない。
そう思うと、少しだけ気が楽になった。
だが気を抜くわけではない。
ここは人類にとって魔境である。
なにが起こるかわからない以上、警戒しておくに越した事はなかった。
しばらく進むと、本館への入り口らしき扉の前にカンテラを持つ複数の人影が見えた。
その中に一人、目が怪しく赤く光る者がいた。
しかし、マリアンヌのような強い恐怖は感じない。
(デミ・ヴァンパイアか。この砦を任されている奴かもしれないな)
――
それは吸血鬼化した人間を差す言葉である。
吸血鬼ほどの力は持たないが、普通の人間よりは強い。
普通の人間は家畜扱いで、彼らは下僕といった立場だという噂を聞いた事がある。
人間よりも上の立場として扱われているだろうか。
ダグラスを見る目が見下しているかのように思えた。
彼らの前で馬車をとめる。
すると、デミ・ヴァンパイアが馬車の後部に移動した。
ダグラスと言葉を交わす価値などないと思ったのだろう。
彼はひざまずきながら言った。
「ウーレ砦を任されております眷属のピエールに、姫殿下と拝謁する栄誉をお与えいただけますでしょうか」
(姫殿下!?)
ピエールと名乗ったデミ・ヴァンパイアの言葉に、ダグラスは御者席から後ろを振り向く。
マリアンヌは一言もそんな事を言っていなかった。
なにかの間違いだろうと思った。
だがピエールの言葉に反応して、棺桶の蓋がゆっくりと開かれ、マリアンヌが起き上がった。
「許す」
「そのご尊顔を確認できました事、恐悦至極に存じます」
ピエールは深々と頭を下げる。
「あなたとは会った事がなかったと思うけど?」
「国外に出ておられる方々のリストが回ってきております。姫殿下のご帰還、祝着至極に存じ奉ります」
ピエールは泣いていた。
いや、彼だけではない。
この場にいる兵士たちも泣き始めていた。
(それだけ強く洗脳されている? それとも本当にマリアンヌの帰還を喜んでいるのか?)
ダグラスとしては戸惑う場面である。
彼は吸血鬼は敵だと教わってきた。
だが、マリアンヌの言葉の端々から“シルヴェニアの人間を大事にしている”というのもわかる。
この国の人間にとって、吸血鬼は敬う存在なのかもしれない。
この状況は、ダグラスの中にあった常識を揺るがすものであった。
「帰ってこなかったのはどれだけいるの?」
「姫殿下のご帰還により帰国者は三名となりました。国外に出ていた十五名ですので……」
「まさか帰国できたヴァンパイアが二割だけだったとはね」
マリアンヌが溜息を吐く。
彼女の話しぶりから察するに、どうやら同行者はカウントされていないらしい。
それだけ命の価値が違うのだろう。
「魔法が使えなくなったあの日、たまたま従者が先に魔法を使ったから私は生き残っただけ。知らずに魔法を使って死んだ者も多いでしょうね……」
「シルヴェニア国内でも多くの犠牲者が出ました。幸い、王族は皆様ご無事です。姫殿下の帰還を待ち望んでおられたはずです」
「それは不幸中の幸いといったところね。私も会いたいわ」
話ながらマリアンヌは馬車から降りようとする。
言われるまでもなく兵士たちが四つん這いになり、荷台から降りる階段を作った。
マリアンヌは当然のように彼らを踏みながら降りる。
それが当たり前なのだろうが、ダグラスはカルチャーショックを受けていた。
「本日はこの砦で休まれていかれますか?」
「そうするわ。私はともかく、ダグラスは休まないといけないから」
彼女が名前を呼ぶと、ピエールたちの視線がダグラスに向けられる。
だがそれは“どんな人間なのだろうか?”という興味による視線ではない。
――嫉妬混じりの視線だった。
それも今にも襲いかかってきそうなくらい力が籠っていた。
一人一人はダグラスの相手にならない程度の実力だろうが、集団から狂気に満ちた目で見られる恐怖をダグラスは感じていた。
「マリーが急ぐのなら大丈夫だよ。どこかの街にでも……」
吸血鬼に名前を呼ばれるのは名誉な事なのかもしれない。
その名誉を外部の人間が受けたのが気に入らないのだろう。
ならば、その逆についてもダグラスは考えるべきだった。
「貴様ぁ! 主上に向かって名を呼び捨てに……、それも名を略すとは何様のつもりだ!」
ピエールが馭者台に座っていた襲いかかってくる。
だがそれは、マリアンヌが彼を地面に押さえつけてとめた。
「私が許したのよ。それになにか問題が?」
「……失礼いたしました。あまりにも許し難い言動でしたので体が勝手に動いてしまいました。もうこのような事は致しません」
「わかればいいのよ」
マリアンヌが手を離すと、ピエールは押さえつけられた事を気にするでもなく、それが当たり前だったかのように立ち上がる。
「驚いたでしょう? シルヴェニアと外の国の違いを教えていなかったわね。私の事も……。全部話して関係が壊れるのが怖かったのよ」
「いえ、お気になさらないでください。事情は承知致しましたので」
ダグラスが他人行儀な言葉遣いになり、マリアンヌの表情が曇る。
王女と知られた時にどうなるか危惧していた通りの反応だったからだ。
ダグラスとの距離が離れてしまったと思っていた。
だが、ダグラスは彼女の立場を知ったから対応が変わったわけではなかった。
彼女と話しているだけでも兵士たちが嫉妬に満ちた目で睨みつけてくるのだ。
マリアンヌに馴れ馴れしい態度を取って、砦中の兵士を敵に回すのが嫌だっただけだ。
シルヴェニアの人間は従わされているのでも洗脳されているのでもなく、自ら進んで吸血鬼を敬っているようだ。
それも狂信者と言ってもいいほど強くである。
彼らに囲まれている中、わざわざ周囲を刺激するような真似をほどダグラスは愚かではなかった。
これが当たり前のマリアンヌとは、生まれ育った環境も常識もなにもかもが違っただけである。
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